最近は暑さのピークも過ぎ、盆も終わったということで、少しずつですが秋の足音が近づいてきた感がありますが…
とは言ってもまだまだ8月。油断は禁物ですね。今日もかなり暑かったです。みなさん熱中症には十分お気をつけください。
約3ヶ月振りとなる本投稿では、私の地元の長野市のちょっとしたPRに絡め、先日帰省した際に感じたことを書いてみようと思います。
どちらかというと今回は一般の方向けではなく、元顕正会員さん向けのエントリーになりますかね。
なんかタイトルとずれてるような気がしないでもないですが、多分読み進めて頂ければわかると思います。
SPONSORED LINK
Index
見ているようで実は全然見えていなかったもの
顕正会員だった頃に接していたものの中で、脱会後に改めて向き合ってみた際に、全然違った見え方、感じ方をされた経験のある方は多いと思います。
まるで、慣れ親しんだ小学校時代の通学路を大人になってから通って見たら、「あれ?この道はこんなに狭く短かったんだっけ?」といったような体験に似たような…
読者の方全員がそんな体験をされたことがあるかどうかはわかりませんが、少なくとも私は高校卒業後すぐに上京をしたので、度々の帰省の際に懐かしのスポットに通りかかってみてはそんな感覚をしばしば懐いていたのでした。
上京して社会人になって。それよりは半年程地元に戻り、また上京し、その後また1年程地元に戻り、また県外へ…といった根無し草みたいな放浪生活を送っておりました。
なるべく顕正会員だったせいにしたくはないのですが、どうしても仕事に対する心構えがふわふわして固まらない半端者の期間を長く経験してしまいました。
地元で暮らしていた期間も会の活動に明け暮れていましたから(当時、たまたま男子三万人結集大会が実家のすぐ近くで行われたんですね)自分の地元といっても、ほとんど高校生だった頃の情報量から進歩のない状況だったんですね。
やはり出戻っていた期間も、もう少し自分が育ったこの土地について理解を深めようなんて考えはこれっぽっちもなかったように思います。
いや、これっぽっちは言い過ぎかな?少しはあったかもしれません。
ただし。そんな私の健全な心に対して当時、確実に妨害を加えていた奇異な信条があったのでした。
それはこのブログで何度も何度も言及している「謗法」というマインドフィルターです。
SPONSORED LINK
謗法というフィルター
県外の方に、私の地元は一応長野市です、と伝えると「そういう市があるんだへぇ〜」というような反応をされることが度々あります。
長野といえば、「軽井沢」「松本」それから「佐久」などの地域はそこそこ知名度が高いことでしょう。
「松代」というと、そこそこ「知ってる、聞いたことある!行ったことある!」という方がおられるかもしれません。
私の地元は先述の通り長野市内ですが、位置として厳密にはほぼ松代です。
というのは、その間に千曲川という川が流れているので、実家は川沿いですが、丁度川向こうが松代なのです。
ところが!
実はつい数日前まで松代への行き方がよくわからなかったのですw
一体どういうことか、これだけでは読者の方はよく意味がわからないと思いますのでちょっと補足します。
新幹線の通る長野市街というのは実は私の実家から見て松代とは逆の方面、松代が南で市街地がおおよそ北の方面に位置していて、私が通っていた学校、小・中・高は全て南の方面にはなかったため、縁がなかったというのが大きな理由の1つです。
中学校までの実家は長野市方面でした。それから高校生に上がる時に引っ越してきて周囲の土地勘が欠落したまま高校時代を過ごすことに。
遊ぶとなればもっぱら長野市街。友人のお宅ももっぱら長野市方面でしたから、ずっと松代のことはよくわからないまま上京し、最近に至るまでそれっきりというわけです。
それで話を戻すと、「なんとなく川を渡って行けば松代に着く」ということは知っていたのですが、地元に戻っていた期間にはあまり積極的に「そうだ!散策してみよう!」といった気持ちを起こすことはなかったし、妻とちょっとだけ訪れてみても要は興味がなかったので大して記憶に残らなかったですね。
ん?興味がなかった。
よく顧みればそれは少し違ってましたね。
興味がない、というより「気持ち悪かった」のです。
古い町ですし、観光場所もお寺や神社など年季の入ったスポットが多いです。当時そういったものは「なるべく近寄らないように」していたわけですね。
謗法ですからね!
はぁ、バカバカしい。
というわけで、初めて「まともに」松代観光したよ。
松代は真田のお膝元であると同時に佐久間象山先生の生誕地、地元です。
まずは宝物館。
館内は撮影禁止なので全然写真ありませんが、古いものが綺麗なまま多く残存していて驚きましたね。
暑くて湿度が高い地域に比べ物持ちが良いということと、真田家が戦乱の世の後、長く安定してお家を守ってきたことの証明だと思います。(実は江戸末期には幕府に沢山借金をしてしまっていた事実は内緒)
真田のお屋敷
お屋敷から出て周囲も散策。
丁度正面に綺麗な山が見え、なかなか良いアングルで撮れました。
写真は今どき検索すれば沢山出てきますので本記事ではこれくらいにします。
戸隠神社
松代の話はここまでにして、次は有名スポットの戸隠神社です。そばが美味いところです。
定番過ぎるので取り上げる価値がないようにも思えますが、実はここ、顕正会員だった頃に「近くまで」行ったことがあるのです!
そう近くまで!
戸隠神社には訪れておりません。
何と言っても当時は「謗法」でしたからね!
で、その際に、そば屋さんにも入ったのです。
戸隠神社から最も遠いそば屋さんに!
「田んぼ」というそば屋さんでしたね。今回はもう少し神社に近い店舗に入りました。老舗で味自慢のお店は神社の周囲に固まっているんですよ。行列が凄かったですが。
今回体験したのは林道の景色、雰囲気の素晴らしさでした。戸隠は飯綱高原から車で10分近く森の中を通って行くのですが、顕正会員だった当時通った森の道が「こんなに綺麗だったっけ!?」と驚いてしまいました。
やはり心が拒否してたんですよね。絵に描いたような綺麗な林道なのにどうせ「魔の力だ、騙されてはいけない」とか思ってたんでしょうね。
戸隠神社、中社の奥にある小さな滝です。清楚で癒されますね。
ちなみに戸隠は長野市街から北に上って行くのですが、ルートによっては善光寺を横目に見ることができます。
門前町も会員だった当時は「なるべく素早く通り過ぎたかったところ(できれば目をつむって息を止めて!)」でしかありませんでしたが、落ち着いて見ると面白そうなスポットが色々ありますね。
目が生まれ変わったようです、全然違うものが見えます。
そんな中、妻はご当地ツイーツに興味を示していました。
皆神山
この場所は一般的には割とマイナーではないでしょうか。スピリチュアルとかそういうのが好きな方は結構知ってるかもですね。
とても不思議な山なんですよ。
上った先にある皆神神社です。黒サンショウウオの産卵が行われている池があったり、この山自体がピラミッドではないかと言われていたり、戦時中天皇がこの山の下を本拠地として移転する計画があったり、なんか不思議だらけの不思議山なんですよ。紹介しきれないし私も詳しく語れるタチではないので、興味があったら検索してみてください。
ここも実家のすぐ近くです。
「皆神山」というくらいですから、顕正会員時代には絶対近寄りたくないスポットの1つでしたね。大謗法の山ですよ。実際見る場所もメインが神社ですし。
神社から見下ろす下界の景色は最高でしたけどね。
謗法フィルターを外そう!
さらりと書くつもりが結果的にそれなりの長文記事になってしまいました。
とにかく「謗法フィルター」のない世界は最高です。そういった視野狭窄に陥ってる方は早くフィルターの存在に気づいて、そんなものさっさと投げ捨てて、この世界のもっと素晴らしい所をその目で発見して欲しいですね!
衆生所遊楽!
地元がブログ主さんと一緒なのですが、私は善光寺などにも普通に行っていたので同じ長野でも全然違う学生生活を送っている方もいるんだなぁと感じました。
突然なのですが、一度試しに顕正会員の会に参加してしまっただけで入会届を書かれてることはあるのでしょうか?住所や誕生日は割れてしまっています。御時間があれば回答してくださると幸いです。