「罰が怖くて辞められない」
という方を良く見聞きします。
お気持ちは分からなくもないですが、外部から見ればこれこそ不可解な信条で、
「知らぬが仏」という言葉もあるように、
そもそも、「罰」という概念を知らなければ、そんなこと悩む必要すら、元々無かったわけです。
内部にいると、いわゆる「未活動者」と呼ばれていた人たちが、
「罰」を実感して続々と組織活動に復帰している光景を目の当たりにしているせいか、
「自分も、組織から離れたら同じ憂き目に遇うのではないか?」
と不安感を拭えずにいるのは、至極当然と言えます。
組織から離れた後も、しばらくはそういった強迫観念とも言える信条は残り続けますね。
今回は、心理と事象の密接不可分な「法則性」についてご紹介します。
「罰」を引き起こす原因というのは、実は「不信心」ではなく、「信心」なのです。
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引き寄せの法則。
「引き寄せの法則」とか、あるいは「マーフィーの法則」といった言葉を耳にしたことのある人は多いと思います。
いわゆる自己啓発のジャンルで、
「自身のマインドセットが、あらゆる事象を引き寄せている」
という視点から因果関係を見出すものです。
ただこの教えを「商材」として利用し、そういうことを信じ易い体質の人をターゲットにした、
商売が横行しているので、なんとなく「眉唾だ」といって敬遠している人も少なくないはず。
特に、宗教団体に帰属すると、「嫌儲主義」となる傾向があるので、余計かもしれませんね。
ただし、「食わず嫌い」は禁物。
自分も散々勧誘の際には「やってみなきゃわからない!」と、過去に相手に提言し続けてきたわけですからね。
心理学者、リチャード・ワイズマン氏の言葉
自分を不運だと考える人は、人生のあらゆる場面で不運に見舞われるという。
常についてない不運なことばかり考えてしまうからだという。
実験によって検証済みです。
「踏んだり蹴ったり」なんて言葉がありますが、踏まれた〜とばかり思ってたら蹴られるし、
蹴られた〜とばかり思ってたら踏まれるんでしょうね、きっと。
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つまり秘訣とは「罰なんて無い!」と本気で思うこと。
要するに、
「罰なんてものは存在しない」
ということを、「本気で思うこと」によって、
「罰」という現象を回避できるという、シンプルなお話です。
「罰」を恐れる人は、自分自身が作り上げた仮想現実が、実際にリアルに及ぼす影響を知らなければいけません。
未活動者と呼ばれる人が、組織に戻ってくるのは、背信的な自意識があった人に限定されるわけで、
そもそも、そういう観念がなければ、何か不運なことがあったとしても、組織に戻ろうなどとは考えませんからね。
「罰」を信じる心が、「罰」を招いてしまっている。
「罰」を信じなければ、「罰」は起こらない。
ということです。
模範にすべし!
顕正会から離れて二度目の冬。という事は三年前は教学試験受験会場に居たって事か。そんな事はどうでもいいけど、離れてから月々日々に幸せを実感しているなあ
— タカチョー (@takacho15) 2016, 1月 30
僕も、顕正会脱会者という意味では、ほぼタカチョーさんと同期ということになりますが、
それでも「罰」を信じて疑わない人は、タカチョーさんの現在の生活の充実ぶりを見よ!↓
無間地獄確定?一闡提?
仏法では「一闡提(いっせんだい)」という言葉があります。
一闡提とは、仏の慈悲が及ばない人。
つまり、「いくら、何をしてあげたとしても、救いようのない人」のことです。
僕の存在は、顕正会にとっては「一闡提」に相当します。
小耳に挟んだのですが、僕が顕正会を脱会後、良く利用していた会館の主任さんが、僕のことを指して、
「無間地獄確定」と断言していたそうです。
死後、無間地獄行きが確定すると、「もうその人には罰が出ない」と教えられます。
既に重罪を犯しているから、その他の瑣末な余罪は裁かれない、
故に、その人にはそれ以上「罰」が与えられないと説かれるわけですね。
これ、思うんですが、
「もうそういう人を相手にするのは時間の無駄だよ。さっさと諦めて次に当たろうね」
との意図が含まれた、活動における合理性を図るための「口実」ではないかと。
「救おう!」という純朴な善意から発する活力を、有効的に使うため、
教団が設けた教理でしかなく、これ、所詮、人間が決めたことなのだから、微塵も恐れる必要などありません。
「罰が怖い」と言っている人は、早く「無間地獄確定」と言われることを目指すと良いですよ。
「もう戻りたくても戻れない」状況に進んで身を置くことにより、
自分の気持ちにけじめをつけることができますからね。
どんどん新しい情報をインプットして、有害な観念など、忘却の彼方に葬ってしましょう。
私は組織から離れてまだ3、4ヶ月くらいですが、強迫観念以外は趣味が充実してきてとても良い感じに過ごせています。
顕正から離れてみて、色んな書籍に触れてますがあまりにも顕正思考が狭くて暗くて引いてしまいました。