それでは、顕正会に入信勤行というイニシエーションが果たして本当に必要なのかどうかを、
ある体験発表と照合しながら考えてみたいと思います。
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Index
創価学会からの顕正会に転入した方の体験発表。
顕正新聞 平成27年8月15・25日号より。
池田大作の数々の悪事知り衝撃!特集号を読み正しき顕正会に入会。
〇橋 〇さん
私は
(中略)
創価学会から入会させて頂きました。
入会以前の私は、約15年前に創価学会に入信し、地区リーダーとして聖教新聞の啓蒙や選挙活動に真剣に取り組んでおりました。
(中略)
そのような中、本年一月、〇澤班長と約二十年振りに再会し、折伏を受けたのです。
初めて聞く大聖人様の御事、顕正会員の頂く功徳の感激には驚くばかりで、真剣に耳を傾けて聞いておりました。
(中略)
その後、
(中略)
ビデオ放映、成人式ビデオ放映に参加し、終了後には、浅井先生が著して下さった「学会員を救う特集号」を班長と一緒に拝読していくと、初めて知る池田大作がしてきた数々の大悪事に大衝撃を受けました。
特集号を読み終え、〇澤班長の「正しいのは唯一、御遺命を護り奉った顕正会のみ」との確信ある言葉に「顕正会のお題目を唱えてみたい」との思いが湧き、その日から、戒壇の大御本尊様に向い奉り、朝晩唱題をしていくと、職場において働きやすい勤務体系になり、この現証に「正しいのは顕正会しかないのかもしれない」との思いが湧いてまいりました。
(中略)
学会では味わったことのない温かさと大聖人様絶対の確信に触れ、入会を決意し、晴れて顕正会員にならせて頂きました。
はい、以上です。
功徳、「フラゲ」してますが?
揚げ足取りといえば、そうかもしれませんが、
お気付きになられましたか?
そう、時系列の前後がどう考えてもおかしい。
なんで、入信前に「現証」が出てるのか?
未入信なのに、ちゃっかり、御本尊の法力に浴しちゃってる。
「功徳」とは明確に記されていないものの、「職場での待遇が改善された」って、良く見る顕正会員の功徳と比較して、一体どこに差異があるというのでしょうか。
明らかに、功徳、「フライングゲット」してるんですよ、この人。
こういう話多くない?
この手の話は、実は枚挙に暇がなく、上掲の体験発表以外にも沢山確認されています。
そうですね。小規模な会合や班長会における体験発表に多い印象です。
全てテキスト化されるわけじゃなくて、ほとんどの原稿はお蔵入りになってしまうので、
該当する例を多く挙げることはできませんが、まぁ、上掲のものだけで十分でしょう。
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本来の入信勤行における「意義」とは?
要は、顕正会において、彼らの言う功徳の「経路」というものが、今一つ、不透明なんですよね。
大体、「入信勤行」の意義って何でしょう?
仮に、本人が「心の中でけじめをつけるため」のものであれば、そこに大して重要性を見い出せないし、
ならば躍起になって、そこに「成果」を求めることには何の意味もないですね。
儀式、イニシエーションとして位置付けるならば、そこに明確な宗教的意義が含まれていなければ、あえて形式化にこだわることはないわけです。
他方、日蓮正宗であれば、僧侶が不妄語戒などを授ける。
創価学会なら、余程特殊なケースを除き、入信と同時に「本尊」が下附される。
顕正会は……(?)
縁をする?
「梅子のすき声をきけば口につ(唾)たまりうるをう。」
これ、情報筋の各々方なら十中八九、諳んじていることと思われますが、
他の組織はいざ知らず、少なくとも僕は、勧誘の際に「入信勤行」の意義について問われた際は、
上記の「おことば」を引いて説明していましたよ。
要するに、一度も梅を食べたことがなければ、その人にとって、梅がどんな味なのか想像することもできないが、
一度、食べたことがあれば、味を想像することが出来、口に唾がたまってくる。
類推して、顕正会の御本尊の前で、一度顕正会の勤行を行えば、
後は、自宅で、御本尊がない環境であったとしても、
「眼前にまします」
との臨場感をもって勤行に臨むことによって、功徳が享受できるのだと。
だから、一度だけ、その「経験」を積みに行きましょう!
一度「縁」をすることで、あとはいつでも、どこからでも、戒壇の大御本尊とコネクトできますよ!
@mimiyorori 遥拝なんだから「友人に数珠を渡して勤行の仕方を教えればいいかな?教本はコピーしてやればいいし」といったら「絶対駄目!会館で入信勤行しなきゃ」と班長に言われたが会館のねーちゃんも普通の人だし「この女が日蓮さんとコネクトしてくれるんか?」と不思議だった
— 唯ちゃん (@nhkeru) 2016, 1月 17
えぇと。そんな論理で宜しかったでしょうか?
先程挙げた例では、登壇者は、学会版の本尊は一度、視覚に収めているが、
顕正会の本尊は一度も拝んだことのない状況下で、「現証」が起こっています。
顕正会では、学会版本尊は功徳を生じないことになっているのではないのか?
あるいは、本尊の概ねの相貌(そうみょう)だけインプットしていれば、功徳享受における条件は満たされるということでしょうか?
で、あれば、「写真」で事足りるわけで、
やはりあのイニシエーションには、悪いけど、何の意味も見い出せない。
提案、ムスリムを模倣せよ!
ということで、前回の「窪み」システムに引き続き、
入信の儀式もイスラム教に倣うことを提案します。
会館において大石寺の方角を示す「窪み」システム↓
(※参照リンク↓)
三大秘法の戒壇義を再確認。顕正会へ、本尊に替わる〇〇の提案。
ムスリムに改宗するために必要な手続きは、至ってシンプル!
「アッラー以外に神はなく、ムハンマドは神の使徒であることを証言します。」
と、2人以上の証人の前で、宣言するだけです。
それ以外の煩わしい手続きは必要ありません。
これを顕正会に置き換えれば、
「日蓮大聖人様以外に仏はなく、浅井先生は御遺命を守護し奉った無二の師匠であることを証言します。」
と、2人以上の顕正会員の前で、宣言するだけです。
センセーの「一言、代理として~」とかも要らないんですよ~。
六信五行のメッカ巡礼に替わる「本尊巡礼」。
ムスリムの教義の基本は「六信五行」と呼ばれ、
信仰に関わる営為は、ムスリムなだけに、至ってスリムで明瞭です。
その「五行」の一つに「メッカ巡礼」というものがありますが、
これは「一生に一度」達成させせば、良いとされています。
で、やはり、ここも同様に倣って、
「本尊巡礼」を導入すべきかと。
勿論、まんま「一度だけ」にとらわれず、日蓮正宗における「御登山」をまねるカタチで、
年に二・三度を及第点として励行すれば良いのです。
会館はこれ以上増やさない、現状維持でとどめておいて、
自宅拠点も必要なし。
よって本尊の増刷も必要なし。
天生ヶ原の土地を購入して、将来、「国立戒壇」の建立予定地に「新たな本部会館」を建設し、そこを巡礼地に充てるというのはどうでしょう。
御遺命実現の素地も固まり、一石二鳥ですね!
遥拝に徹するということ。
「遥拝勤行に徹する」ことを、根本精神として据えるのであれば、
有言実行に努めるべきであり、さもなければ、会員の信用は得られませんよ?
「武勇伝」をいつまで引っ張るおつもりですか。
成長の止まった師匠は求心力を失い、辟易した会員から「そぉっと」組織を離脱していきます。
ムスリムは偶像崇拝を厳格に禁じています。(厳密にはカーバ神殿や廟の存在は矛盾が孕む。)
顕正会も遥拝一本で行くと決めたからには、
今回僕が提案した方向性というのは、理に適っていて、一番望ましいと思うのですが。
とにかく、「本尊のばら撒き」などと言う、見え透いた「最後のイタチっ屁」は、
正直、傍から見てて見苦しいですよ。
いわれてみれば、こう言った体験発表は多かったような気がします。入信してないのに、お題目だけ唱えてたら功徳が出てそのまま入信するみたいな‥。会の中にいた時は全く不思議に思いませんでしたが、おかしな話ですよね。