教学不要の大合唱。新しい教学書では「五綱判」は添削の対象。

「理解できなくとも現証があれば信ぜよ」胸のすく感動、大折伏の決意湧く 総合婦人部長 湯浅〇子(顕正新聞 平成27年7月15日号)

これが先生の諌暁の戦いなのだ!「現証があればこれを信ぜよ」の仰せに感動 副総合婦人部長 小峰〇子(顕正新聞 平成27年7月15日号)

「理解できずとも現証があれば信ぜよ」先生の獅子吼に胸のすく大感動 女子部総務 西山〇子(顕正新聞 平成27年7月15日号)

「理解できずとも現証があれば信ぜよ」先生のお叫びに胸のすく感動 第14婦人部長 柳田〇枝(顕正新聞 平成27年7月25日号)

「理解できずとも現証があれば信ぜよ」大反発の夫が功徳の現証を見て入信 女子部第77区班長 〇島〇子(顕正新聞 平成27年7月25日号)

判で押したような文句の羅列。スローガンのように。まるで「教学不要の大合唱」ですね。

これらの内容の出所は、6月度総幹部会における浅井会長の発言。

現証があれば信ぜよ

たとえ理解できなくとも、現証があればこれを信じなければいけない。(中略)観心本尊抄には「心得られざれども、現証有らば之を用ゆ」と。たとえ自分に理解出来ないことであっても、現証があればそれを信じなければいけない。私はこのことを全日本人に言いたい。自分の小さな頭で考えて理解できなくても、大聖人様の仰せの通りに全ては動いているのであります。(顕正新聞 7月5日号)

う~ん。とにかく盲信せよ!としか聞こえませんよね。

更に続けて、7月度総幹部会でもこのように。

観心本尊抄には「心得られざれども、現証が有れば之を用ゆ」と。たとえ理解できなくとも、厳然たる現証があれば、これを信じなければいけない。(顕正新聞 8月5日号)

更に更に、続けて8月度総幹部会でも。

【一念信解で信心口唱するだけ】

では「一念信解」とはどういうことか。それは“何もわからないが、ただ有難いと信ずる”という位です。(顕正新聞 平成27年9月5日号)

月々日々に中身のない団体になっていきますね。

先日、正理会の会長さんがご自身ブログで「顕正会には教義がない」なんて仰ってましたが、

本当にこれでは、有って無いようなものですよね。

新しい教学書

と思いきや、まさかのこのタイミングで

さてこのたび「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」と題する一書を、新しく発刊することになりました。

とのこと。

ある意味「従来の教学」で都合が悪くなった部分を否定するための新たな「教学書」ということですね。

内容の概略は次の通り。

・従来の折伏理論書を土台にして大幅に加筆を加えたもの。(ページ数は284Pから472Pとなる)

・特に第一章の「仏法とは何か」と第七章の「日蓮大聖人の御化導」を全面的に改訂。

・第十章の「御遺命守護の戦い」に正本堂崩壊以後、今日に至るまでの経緯と、創価学会の「戒壇の大御本尊を受持の対象にしない」件について筆が加えられる。

・「宗教批判の原理」(五綱判)は別冊となる。

・10月に発刊予定。

都合の悪いところ

ではなぜ改定する必要が出てきたのか?恐らく以下のような部分が現在の発言と整合性がとれなくなるため添削、あるいは解説文の見直しが図られる対象になってくるのではないかと。

まず道理とは、その宗教の教義が正しい道理に立脚しているかどうか、すなわち理論の合理性の上から正否をみることである。正しい理論は幸福をもたらし、誤った理論は不幸をもたらすゆえに、理論の正否は最も重要なことである。

ただし現証といっても、臨終の現証を除いて、現世の生活現証には種々の要素が加わるので、表面的あるいは一時的な見方をしてはならない。(折伏理論書 P294)

所詮、正しい道理と文証に裏付けられぬ現証はごまかしに過ぎない。唱法華題目抄には『但し法門をもって邪正をただすべし、利根(賢いこと)と通力にはよるべからず』と仰せられるのである。(折伏理論書 P296)

理論の正否は「重要」なことなのに理解しなくても良いの?

表面的あるいは一時的な見方をしてはならないと言ってるのに、頭ごなしに信じろとはどういうこと?

えっ!「ごまかし」かもしれないのに、何も考えずに頭ごなしにそれも信じろと!?

と、矛盾が出てきてしまいますからね。

さて、一応は「五綱判は別冊」とあるので、上掲した「三証」の解説箇所については添削の対象外ということになりますが、

すると、これらの解釈文をどう改訂するんでしょうかね?

僕は、立場上この新しい教学書の中身をすぐに確認することができないので残念です。

これについては、すかいみかんさんのツイートが流れてくるのを首を長くして待つ他ないようですね。

(※追記。新しい教学書では五綱判だけでなく三証も添削されてしまいました。詳しくは以下の記事を参照。)

顕正会の「ゆとり教学」。ク〇教学書遂に出来!
顕正会員にとって長年座右の書であった折伏理論書が遂に刷新され、新たに基礎教学書に名称を変えて販売が開始されました!
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『教学不要の大合唱。新しい教学書では「五綱判」は添削の対象。』へのコメント

  1. 名前:いおなずん 投稿日:2015/10/03(土) 00:07:49 ID:373398f60 返信

    こんばんわ。
    またまた夜遅くにすみません。
    浅井先生、大聖人様に対する一念信解の想いと恋慕渇仰の信心が重要なのですよね。
    それが正しいのなら基礎教学書の発行は無駄だと思いますよ。
    必要ないですから、答え出てるし。金の無駄。
    一応顕正会の意見を知りたいので出たら買いますが。

    余談ですが、浅井先生はいつも一言多い。

    • 名前:ミミ 投稿日:2015/10/03(土) 21:45:18 ID:2451576ee

      いおなずんさんへ。
      こんばんは。
      教学不要をすり込むための教学書みたいな役割なんですかね。驚愕ですね。
      とはいえまぁ、教学ですからね。何でもありです。
      出世本懐成就御書とか言ってる時点で何でもありなんですよね。