ペットなどもう飼育したくないと思うことがある人が3割!?

一昨日、ブログの読者さんからDMで応援メッセージを頂きました。

その方は大変な愛猫家だそうで、同じく家も大の愛猫一家。

猫好きな方がブログを読んでくれていると思うと、何だかそれだけで嬉しくなったりします。

顕正会を題材にして書いているにも関わらず、ブログを通じて縁する人達はなぜか猫好きな方がとても多い気がします。

もっとも、猫好き同士が自然に惹かれ合うというのは自然なことで、そういった知り合いが増えていくのは当たり前のことなのでしょうが、それにしてもそのレベルを超えて随分多いような実感があります。

「猫好きな人に悪い人はいない」というと少々言い過ぎかもしれませんが、僕に関わってきてくれる人達は、大なり小なりそういった認識をもっているのだと思います。

先日、日経産業地域研究所がマクロミルに依頼したペットに関する調査で、「今飼っているペットをもう飼育したくないと思うことがある人は、ペット飼育者の3割に及ぶことがわかった」そうです。

僕はその情報を目にした時、何だか訝しさを覚えてしまいました。

猫は家族

確かにペットを飼うことは大変です。

こうやって、PCに向ってキーボードを叩いてる最中にも、家の「ミミ」は僕のひじに頭を擦り付けてくるので誤打してしまったり、「あぁ、もう!」と思うようなことは日常の中で頻繁にあります。

キャットフードを買って、持って帰るというのもなかなか重くて大変な作業です。

だからといって、決して「飼育したくない」とまでは思いません。

動物も人間と同様、主体性をもった生命です。一つ屋根の下に住む者に対して、もし「家族」という意識の枠から除外してしまうのならば、それはとてもさびしい考え方だと思います。

家の場合は猫であって、魚を飼おうとは今のところ考えてはいませんが、以前職場にグッピーを飼っている人がいました。

その人が仕事から帰宅すると魚達が反応を示すようで、「俺が帰ってきたことがわかるんだよ~」と嬉しそうに語っていました。

その人にとってグッピー達は紛れもなく、また、かけがえのない「家族」なのでしょう。

生活上で起こる様々な苦難も、それぞれが持てる力を出し合って、供に乗り越えていく関係が「家族」という存在ではないでしょうか。

時には自分の至らない点を相手に指摘されたり、反対に自分が家族に対して感情的になってしまうことはあっても、

それは一部の修復不可能な事態を除けば、必ずしも「家族を辞めたい」と本心で思って言う程のケースなどそうそうないでしょう。

「もう飼育したくない」とまで思ってしまう人は、ペットに対して「家族」という認識が軽薄なのではないかと感じてしまいます。

また、ペットを単なる畜生だと蔑んだり、過度に軽視するような人も少なからず存在するのは事実です。

割合、年輩の方に多いという印象です。

これはイデオロギーが違えば仕方のないことだと思うのですが、僕が「愛猫家」だということについて嘲笑してくるような人には正直虫唾が走ってしまいます。

偉大な大統領だったといわれるアメリカのエイブラハム・リンカーンは、

「私は犬や猫を大事にしない奴を信用しない。」
と言ったそうです。

たとえ、僕がコーヒーを飲んでいるときに猫がひじに体当たりしてきて、コーヒーが服の上にこぼれてしまったとしても、

猫を大事にする心、許す心のゆとりを常に持ち続けている自分でありたいと思います。

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