独自教学によって養われる、顕正会のちょっとおかしな「日蓮観」。

顕正会員は各会館で購入することのできる「南無日蓮大聖人」という本を通し、

「日蓮」の生涯について学びを深めています。

実物の外観はこんな感じ。

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彼らはこの本の中に書かれている「日蓮」を信じ、

それによって、顕正会独自の「日蓮像」を作り上げていきます。

逆を言えば、彼らは「日蓮関係の本は顕正会で発刊したもの以外、読むことが禁じられている」のです。

よって彼らは、この本に書かれている「日蓮」しか知り得ません。

もし顕正会員がこの記事を読んでいたら、他の本も読んでみることを切実におすすめします。

まずは島田さんが書いた「ほんとうの日蓮」が導入編として最適かと思います。

基本は母体である日蓮正宗の模倣。使用している写真まで…。

ちなみに日蓮正宗では基本的に、日蓮大聖人正伝という本を通して「日蓮」の振舞いを学びます。

また、斡旋されるもの以外の日蓮関係の本についても、特に読んではいけないという規則はないので、

その意味では日蓮正宗の方が思想の自由度は高いと言えます。

ということで、まずは内容の前に以下の写真をご覧ください。

日蓮正宗 書籍 身延山写真ページ

顕正会 書籍 身延山写真ページ

前者が「日蓮大聖人正伝」、後者が「南無日蓮大聖人」。

共に、身延入山についての意義を説示されたページに掲載されている写真です。

見比べてみて下さい。

よ~く見ると若干写真が異なりますが、ほぼ同じアングルといって良いと思います。

続けて、

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こちらも同様に、前者が「日蓮大聖人正伝」、

後者が「南無日蓮大聖人」。

こちらは伊豆の配流についての意義を説示されたページですね。

えー、これは歴然です、全く同じ写真を使用していますね。

波の飛沫を見るとわかりますが、完全にコピペです。

ちなみに、「日蓮大聖人正伝」の初版は「昭和56年10月13日。」

対して、顕正会の「南無日蓮大聖人」の初版は「昭和62年12月13日。」

ということで、顕正会の方が後となっています。

顕正会員は「一谷(いちのさわ)」を知らない。

肝心の内容ですが、

では「南無日蓮大聖人」は、史実に忠実な書かといえば、全くそうではなくて、かなり端折られています。

代表的なものを上げれば、この二書を比べたとき、

「南無日蓮大聖人」には「一谷」についての記述が一切見られません。

ちなみに今回の佐渡会館建立に寄せても浅井会長は「塚原」を強調するのみで、

やはり「一谷」には触れないのです。

この部分が「日蓮大聖人正伝」ではどのように書かれているか、ちょっと引用します。

大聖人は文永九年の初夏、佐渡塚原より石田の郷一谷へ移られた。

移居の理由については、いくつか考えられる。

まず、鎌倉幕府が用いた「延喜式(えんぎしき)」の中には、流罪人に対して、一日に米一升と塩一勺を与え、春になって種を給し、その収穫によって生活をするように定められており、この制度によって移されたという説。

あるいは二月騒動の予言的中によって待遇改善説や門下の積極的な折伏弘教を憎む邪宗徒の迫害から保護するためという説などが挙げられている。

(中略)

一谷へ移った当時は塚原の廃屋同然の三昧堂に比べれば、住居は恵まれていたが、このころになると大聖人に随従する弟子たちの数も増え、食糧の欠乏に困窮された。

一谷へ移居された史実をバッサリ削除してしまうとは、

実際の「日蓮像」を意図的に改ざんしている、といっても過言ではないと思います。

「祈雨の勝負」についてのくだり

日蓮は文永八年六月十八日より、良寛が雨ごいの祈祷をすることに寄せて、祈雨の勝負を行っています。

このことについて、「南無日蓮大聖人」の方では、記述内容の表現に少々着色が施されている印象を受けます。

結局、良寛は雨を降らせることが出来ず、日蓮が勝利を収めたのですが、

例えば、七日で雨を降らせることのできなかった良寛が。あと七日の猶予を日蓮に乞い、必死に祈祷を行う様子について「南無日蓮大聖人」では、

「しかし良寛はまだ頭を下げなかった。未練にも“あと七日の猶予を”と哀請して来た。大確信を有せられる大聖人はこれを承諾された。

再び良寛の必死の祈りが始まった。前にもまして人数をかり集め、脳天よりしぼるその声は晴天に高く響いた。

だが落ちるは良寛の汗と涙ばかり。またしても雨は露ほども降らなかった。

それだけではない、悪風が終日吹きまくったのであった。

まさに完敗である。良寛は泣き伏し、弟子共は切歯扼腕した。」

と表記されています。

「日蓮」の神格化。

「大確信有せられる」というような表現は、日蓮大聖人正伝の方には見られません。

「南無日蓮大聖人」では所々、日蓮を必要以上に神格化している感があります。

本来仏教は信仰の対象よりも「法」を仲介とするところに、一神教との区別が存するのですが、

宗祖を祀り上げ、「無謬性」を強調するあたり、本質的にはキリスト・イスラム等の一神教と限りなく近いという印象を拭えません。

大石寺系は皆そうなのですが、特に顕正会は日蓮を「絶対神」的な観念で捉える傾向が強いと感じますね。

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『独自教学によって養われる、顕正会のちょっとおかしな「日蓮観」。』へのコメント

  1. 名前:未活動 投稿日:2015/10/13(火) 08:47:23 ID:84585f51f 返信

    絶対神である日蓮のお声が聴こえる唯一無二の神格化されたお方が浅井さんという位置付けです。
    北の将軍様はのような世襲と批判分子の排除を行ってじんりきいます。統制をしています。

    • 名前:ミミ 投稿日:2015/10/14(水) 09:47:19 ID:6e3342c17

      未活動さんへ
      声が聴こえる…。
      そのうち自動書記とか始めそうですかね(笑)
      大山ねずの命に近しいものがありますね。