宗教学の勉強にお奨めの動画を紹介します。とても分かり易いですよ。

これ本当に無料コンテンツで公開して良いの?

というくらい、宗教全般を知る上で大変有益な動画です。

この動画でお話しして下さっているのは、「小原克博さん」という方で、

京都にある「同志社大学」の教授です。

上に貼った動画は、実際の大学での講義を収録したもので、

14回にわたって行われたものの「第四回目」の内容です。

ご自分で撮影された神社仏閣の、四季折々の素晴らしい写真などをお見せ下さりながら、

大変、受講者の興味を惹きたてるような構成と話法で講義をなさっています。

とても色鮮やかで綺麗な写真をみると、思わず京都へ観光に行きたくなってしまいます。

大きな画面で臨場感を味わいながらの視聴を推奨します。

僕は、PCからHDMIケーブルを繋ぎ、42型のテレビで一通り視聴しました。

人間が人間たる所以は、文化を学び、知り、理解すること。そして文化の起源は「宗教」です。

この講義を通して、「宗教」について、教養の範囲で最低限押さえておきたい知識の概略を学ぶことができます。

僕は思うのですが、それぞれの宗派の教義がどうで、勝劣が真偽がどうでとかというよりも、

「文化」としての側面こそがそのエッセンスだと思うのです。

それは当ブログでも、【島田裕巳さんの著作についてのレビューを書いた際】にお話しましたが、

宗教文化が土壌となり、新宗教を生み出し、

その新宗教が時を経て宗教文化となって、新宗教を生み出す。

小原さんの話の中にもありますが、

例えば「キリスト教」とて、勃興した当時は「迷信」と捉えられていたわけであり、

「迷信」ということは「新新宗教」であり、「カルト」の類だとみなされてたのです。

キリスト教といえば、現代社会の視点からみれば立派な一つの文化ですよね。

小原克博さんは凄い方ですよ。

小原さん講義

上掲の画像は、第七回目講義の

「禅とその文化」

のテーマに基づく内容ついてお話されている中における

全体から「1時間」ほど経過した終盤のワンシーンですが、

実はこの小原さん、

京都の仏教系大学である、

大谷大、龍谷大、佛教大、花園大、種智院大、高野山大、同志社大、皇學館大

を総括する、「京都宗教系大学院連合」の「発案者」であり、

「議長」を務められていたそうです。

ちょうど動画の「1時間8分」目辺りからですが、そこで小原さんはとても良いことを言っているんですよ。

「今までの伝統に安住することなく、それをどう変えていくか?」

これは、現在の大石寺系教団をはじめとする排他的な宗派には良く玩味してもらいたい内容ですね。

他の宗派の教義を知り、文化を認め、共存を果たした上で、ある程度譲れない部分は特徴として残していけば良いわけで、

確かに「日蓮」を思想を愚直に実践に移そうとした場合、そこの調和は非常に難しい点ではあると思いますが、

前提として「公益性」を謳うのが宗教法人ですからね。

他宗批判に傾倒するあまり社会からバッシングを受けている教団は良く省察し、改善の余地があると思います。

強引な勧誘などもっての他です。

もしこの記事をご覧になっている大学生の方がおられたら、キャンパス内でのあまりに異端な思想への誘いには十分注意して頂きたいものです。

未成年者誘拐の疑いで顕正会関係者三人逮捕】

「宗教のポリティクス」

こちらは、小原克博さんの近刊で、

「ポリティクス」とはあまり聞き慣れない単語ですが、

これは「政治学。政治活動。政治。また、政治的な駆け引き。」

という意味で、

つまりこの書籍は、「宗教と政治」の相関関係についての論考だと推測できます。

面白そうですね。そのうち是非とも手に入れて読んでみたい一書です。

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『宗教学の勉強にお奨めの動画を紹介します。とても分かり易いですよ。』へのコメント

  1. 名前:ポリ銀 投稿日:2015/10/28(水) 10:46:47 ID:659a3f74b 返信

    ミミ 様

    おはようございます。コメントをくださりありがとうございます。

    本門仏立宗には私の母も入っていたようです。創価学会の父と出会った時に、同じ「南無妙法蓮華経」なのねって意気投合していたけど、父が家に来た時祀ってある本尊を見て、ビックリ仰天したという笑い話をきいたことがあります。

    ミミ様は立派な日蓮正宗信徒だと思いますよ。ご自分の修行の具合は、これから徐々に気づかれていくと思います。

    日蓮大聖人様の仏法は観心修行だとお聞きしています。自分の心を見る修行だそうです。心を映す鏡が御本尊様であると。

    顕正会脱会をきっかけとして、ブログを中心に啓蒙活動をされているのですから、その功徳は回りまわって返ってくると思います。

    私の教学理解は、考証学や文献学をあまり気にしないというスタンスに変えました。偽経を例に御書を書かれていることもありますし、年代記関係も当時の常識のままですよね。

    それでも、御本仏様がお認めになり、そこから解釈や会通が開かれているならば、それが真実であろうと思っているのです。

    御本尊様の真偽問題、相伝書の真偽問題など、創価学会員はよく突っかかってきますが、私はそういう人たちに向かって「君たちは真善美を乗り越えた利美善の衆生だろう。真偽そのものに価値などなく、その影響力が利なのか害なのかが大事だ!と獅子吼していたのではなかったのかい?」と言ってあげたいです。

    仏教学・哲学・心理学・・・諸学は仏法への初門であり導入部だと考えるようにしています。過去に戒壇のご本尊様が本物どうか悩んでしまった時、結局は分からないという結論に達しました。

    しかし、信じることならできます。盲信と笑われても、自分の人生が好転する、親父の修羅界の死相が仏界に好転する。その現証で十分だと思いました。また、顕正会のときのように、喜んだ後に落とし穴にはまるような反動もありません。 かつて創価学会員が熱狂して御登山したのは、折伏大行進に励んだのは執行部の謀りに踊らされただけではなかったんだって、創価学会員さんに知らせたいです。

    ミミ様もいつか信仰の確信を得られますように。お祈り申し上げます。