一度言ってみたかったんですよ。
「まだ消耗してるの?」
ねぇ、明らかに消耗してますよねぇ。
一体、いつまで消耗し続けるの?
全日本人が顕正会員になって、国立戒壇が建つその日まで?
寝言は寝て言え、という感じですかね。
まぁね…。信仰自体は自由ですから、僕のような他人が容喙すべき問題ではないのかもしれませんが。
もちろん、信仰することによって得られる実利的な側面は、決して軽視してはいけないと思っています。
とはいえ、それ以前に顕正会は「カルト」ですから。
失うものが多すぎます。
享受できるメリットに対し、色々な意味でリスクが高すぎるんですよ。
でも彼らはきっと、人生において、そこで学ばなければならないことがあるから、経験し、乗り越えなければならない問題を抱えているから、
それをクリアするために最適なフィールドとして「顕正会」が用意されているのかもしれません。
僕は、そう思うのです。
彼らがそこに居続け、活動し続けなければならない理由があると思うのです。
人生のフェーズというか、段階的な意味合いで、現在の彼らにとっては「おあつらえ向き」であり、必要なのだと思います。
だから、いつまでもそこに居続け、活動し続けなければならないのは、
例えるならば、何か人生において試験のようなものがあって、
未だ、合格ラインに至らないから、繰り返し繰り返し「追試」を受け続けているようなものです。
辞められないということは、本当の意味では顕正会に入信した当時から何も変わっていない、自分自身が成長できていないことの証左に他なりません。
だから、余計なお世話かもしれませんが、僕からすると不憫に思えるのです。
何でも一生貫き通せば良いってもんじゃないんですよ。
そんなものは「正義」ではない。
そのような人が「賢者」だということでもない。
「真理」であるわけがない。
と、前置きが長くなりましたが、
それでは実際に顕正会という教団に身を置くことによって、どれだけ「消耗」しているか、
元顕正会員の立場から、想定されるものを具体的に列挙してみたいと思います。
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人間関係(信頼)の消耗。
個人的にはこれが一番イタかったです。
親戚、友人、知人、職場。
顕正会員ともなれば、自分と縁のある人間には一通り「勧誘」をしますよね。
勧誘したことによって壊れた人間関係、信頼は二度と修復できないケースもあります。
せっかく仕事の面では評価してもらっていたとしても、「勧誘」をしてしまったばかりに、そのことが原因で「信用」を失い、
免職にされる会員がいかに多いことか。
経済的な消耗
次に深手を負ったのが、これ。
新聞やら何やら、
顕正会は会費というものを徴収しないから、一見お金がかからないように思えますが、
案外、細々とした支出が嵩みます。
都内に住んでいた頃は、会館参詣するための電車賃だって、そりゃ週に何度も行けば当然金額は嵩みましたし、
「勧誘」する際や、あるいは「語り合い」なんていって、ファミレスに入る機会も多いから、その都度飲食代もバカになりません。
「勧誘」や「指導」や「集会」は近場で済めば良いですが、遠方へ赴かなければならない場合も多々あります。
顕正新聞の年間購読推進が行われる「5月」には、何部も負担しなければならなかったり、
「12月」の広布御供養では、資金に余剰のある人は「何口」も負担しなければならないという暗黙もルールさえ存在します。
時間の消耗
とにかく活動に膨大な時間が削がれました。
まず日曜日といえば、ほぼ丸一日時間を奪われますし、
平日だって、仕事を終えてそのまま活動へ直行という日が実に多かったですね。
帰宅時間は大概「11時前後」。
それから勤行をして、風呂に入って、即就寝。
なんもできませんよ。
情報リテラシーの消耗。
リテラシーを消耗するという表現はちょっと語弊があるかもしれませんが、
いわゆる「視野狭窄」というもので、カルト活動に傾倒していると、世間を見渡す能力が著しく阻害されます。
何か楽しいことをを考えると「煩悩障」などといって、ほどほどにしておこうなどという、いらぬ心のブレーキが働きますし、
結果的に、俗世間への興味が薄れていき、浮世離れしてしまいます。
また、会長の偏狭な思想に強く感化されるので、物事を一方向からしか捉えられなくなります。
思考パターンの柔軟性が脅かされ、有用な情報を収集する能力が失われます。
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精神的な消耗。
「ノルマ」に対する焦燥感から、いつも勧誘に追われているような感覚に陥り、
心の健康を害します。
「瑠璃堂みうさん」がそうですが、最終的に「うつ」を患い、組織から離れていくというケースも多々見受けられます。
そこまで至らなくとも、「ビデオ放映(自分の参加と結集)」「集会(自分の参加と結集)」「報告」「勧誘」「座談会」などと、タイトなスケジュールが日常化し、常に精神的には緊張状態が続きます。
結果、心のゆとりが失われ、精神的に不安定にならざるを得ません。
更に「勧誘」は、すればするほど人から嫌われていきます。
職場で白眼視されたり、親戚の訃報すら受けられなかったり、
世間との間に生じる軋轢は、精神的に物凄く負担となります。
マイカーの消耗。
経済的な消耗と若干かぶりますが、
顕正会の活動カリキュラムを普通にこなしているだけで、マイカーの走行距離がとんでもないことになります。
交通費の消耗だけでもバカになりませんが、自動車も消耗品ですから、エンジンが痛めば乗り換えなければなりません。
僕は群馬に住んでいますが、毎月大宮へ行ったり、その他にも、盛岡へ行ったり、千葉の南房総は数十回行きました。
その他にも、山梨へ行ったり、長野へ行ったり、宇都宮へ行ったり、神奈川へ行ったり、新潟へ行ったり、
本当に良く運転しましたよ。
ガソリン代よりマイカーの消耗の方が痛手かもしれませんね。
というわけで、思いつくものを一通り挙げてみましたが、
本当に色々な意味で大変でした。
辞められて良かった~。
えっ?まだ顕正会で消耗してるの?
顕正会時代を振り返り、「犠牲」は良く思い付いた言葉でしたが、「消耗」は思いつきませんでした。
こうして振り返れば確かに「消耗」してましたね(>_<)
顕正会員は「仏法には断じて犠牲はない!」と師匠から強々と言われることで、「必ず後で功徳の見返りがある」と信じてしまいますから不憫ですね(T-T)