遂に出来しましたねぇ。驚愕の「〇ソ教学書。」
顕正会の「ゆとり教学」に更に拍車がかかった感じです。
【削除されたもの】
・勤行の解説にあった 「三宝」 の解説
・平成25年の誓願 1000万人
・宗教批判の原理(三証、五鋼判)【追加されたもの】
・平成16年の国家諌暁
・御隠尊日顕上人猊下様への公開対決(最後に申すべきこと)
・創価学会の本門戒壇の大御本尊を否定
なるほど。
って何か話が違いませんか?
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「三証」は残すはずだったのでは?
先日、
【教学不要の大合唱新しい教学書では「五綱判」は添削の対象。】
で、書いたように、会長の発表では、
・「宗教批判の原理」(五綱判)は別冊となる。
というわけだったんですが、予定を変更したんだか何だかわかりませんが、
「三証(道理・文証・現証)」の部分も今回添削されてしまったようですね。
ゆとりもゆとり。
もう円周率が3.14から3になったどころの話じゃないですね、これは。
「テキトー」な正しさ
ま、既に辞めた人間にとってはこんなのどうでも良いことなんですが、
個人的にはなんだかちょっと淋しいですね。
そうですね、子供の頃によく遊んだ空き地にマンションが建っちゃったような感じです。
というのは、顕正会時代の布教の原動力というか、当時、会員であることの「プライド」みたいなもの支えていた背景には、
曲がりなりにも「正しさ」の裏付けのような、教学面におけるバックボーンがあって、
それというのが、今回「基礎教学」から「除外」された「宗教批判の原理」だったんですね。
基礎の範疇から外すということは、要は「基本的には知らなくても良いこと」にカテゴライズされてしまうわけでしょう。
「平成25年の誓願」なんてものはさほど重要ではないにしろ、
「三宝」と「三証」だけはまずいでしょう。
というのが率直な感想です。
当時僕が会に魅力を感じたのは「正しい」という主張そのものであったのは勿論のことですが、
それは、その「理屈」「ロジック」の部分がそれなりに説得力に富むものであったからであって、
そういった盤石な土台があったからこそ、
信じるに足りるものだったわけです。
またそういうものを信奉し、実践している「自己」というものが、
ある意味アイデンティティ化していたのでしょう。
「巌虎独白」がグダグダながらも続いている理由も、きっとそのようなものの名残というか、
これは、筆者やブログの存在自体に、組織につくとかつかないの次元を超えて、大石寺教学ありきの人格形成が成された代表的なモデルを見ることができはずです。
つまりこの例というのは、そういった文化的な側面における「従来教学の役割」というものを確認できる一つの典型でしょう。
勿論、今こうしてブログを書いている時点で、それは僕に関しても当てはまることかもしれませんが。
いずれにしても、今回の発刊に伴って、古参会員たち(一応それなりに教学というものを知っている人たち)の憮然とした様子が目に浮かぶようです。
「月々日々にオチブレ給え。」
顕正会…。
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法華講への流出は防げても…。
ところで、僕の現役時代の終盤に、同じ組織の班長さんが退転の危機にさらされたことがあったんですね。
なんと、その班長さん。「霊友会」に魅了されてしまったのですよ。
その理由は至って素朴なもので、
「霊友会にも素晴らしい功徳の体験があるから」
とのこと。
なぜこんな話をするのかというと、
つまり、普通に考えれば、顕正会から鞍替えするとなれば、移籍先は勿論「日蓮正宗」と考えるのが当たり前のような時流にあって、
彼の場合「霊友会」。
つまり、「難しい教学は不要」論を唱えることは、
確かに日蓮正宗への会員の流出の歯止めにはなるかもしれませんが、
あまり骨を抜きすぎると返って「ふにゃふにゃ」になってしまって、
結果として「どこへ流れるか分からない」
ということ。
いくら「正しい!正しい!」と会員にすり込んでも、
だからといって「理屈が要らない」ということになってしまったならば、
その信念の支えというものも、「軟弱」で「おぼつかない」ものに成りかねないリスクを伴っているということ。
浅井さん、顧客争奪戦のライバルは日蓮正宗だけじゃないんですよ。
別冊の内容はどうなんでしょう?
まぁ、とはいえ顕正会教義から「三宝」と「宗教批判の原理」が抹消されたというわけではないわけですから、
あとは、別冊として発刊されるものが、
どういったアプローチで販促されるのかということですね。
「こちらも大事だからセットで購入するように」
となるのか、
それとも、「こっそり」と発刊されるのか。
ま、どうでも良いんですけどね。
今回は割とマニアックなお話をお届けしました。
基礎教学書から三宝の御報恩の説明が抜けてしまったわけですが、本当の恐ろしさは、顕正会の経本の御観念文から「三宝の御報恩」の項目が無くなってしまう可能性が出てきたことになります。
御指摘の通り、別売りで五綱判・三証と共に発刊するようなら話は別です。
でも、それはそれで別の問題があるのですが・・・