先日、亡くなった祖母の四十九日法要に参列すべく、郷里である長野の実家へと帰省しました。
式の際、僕は霊前に置かれた祖母の写真を眺めながら、顕正会時代に犯した失態を回顧していたのです。
「祖母には本当に心苦しい思いをさせてしまった。」
もう恥ずかしいやら、悔しいやら。
こみ上げてくる祖母への申し訳ない気持ち。
今回は、僕が過激な信条に基づいて、向こう見ずな行動を起こしてしまった結果、
一家の大惨事を招いてしまった「黒歴史」を披瀝したいと思います。
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Index
傍若無人なる僕の過去の所業。
法要は、実家の昔から付き合いのあるお寺である、曹洞宗にて執り行いました。
曹洞宗の本尊。
木魚。
その他仏具…。
これらの多くのものは、僕が過去に「ぶっ壊したり、捨てようとしたもの」でした。
本尊をビリビリと破く。
まず、本尊ですが、これは新しくお寺から下附してもらったもので、
以前のものはというと、僕が過去にビリビリに破いて捨ててしまいました。
いくら謗法だからといって、そこまですることはなかったはず…。
東京から実家に出戻ったその日、
ベロベロに酔っぱらった父親から、勝手に処分の許可をもらったと勘違いした僕は、
夜間に、家中の謗法物の大がかりな処分を決行。
当時父親とのやり取りに、付き添った先輩が半ば強引に進めた話とはいえ、
実行犯は紛れもなく僕なのですから、人のせいにしてはいけませんね。
曹洞宗の本尊や神棚の御幣、札をはじめ、
お守りなど細かな物に亘り、あらゆる謗法物を撤去。
その場で破壊できないものはゴミ袋へ詰め込み、翌日捨てる予定でそのまま就寝。
朝起きて、大騒ぎというわけです。
祖母への罪悪感。
大体、本尊をはじめ、多くの物は、
家の所有物でありながら、実質は「祖母」の物だったんですよね。
本当に祖母には生前、辛い思いをさせ、多大なる迷惑を掛けてしまいました。
曹洞宗の本尊を眺め、木魚の音を聞きながら、
本当に悲しいやら、やるせない感情が湧いてきました。
不幸中の幸い。生前の祖母に、僕がそのことを深く陳謝する機会が与えられたことが唯一の救いでした。
もし、謝ることすらままならず、祖母が逝ってしまっていたならば、
僕は過去の失態に対する罪悪感に、より苛まれていたことでしょう。
何か貰い物があれば、「死んだ爺さんに」と、逐一仏壇にあげていた祖母ですからね…。
もし当時の僕に遇うことが叶うのならば、全力で阻止し、げんこつをくれてやりたい気分です。
叔父が亡くなった時にも。
この謗法破壊だけでなく、叔父が亡くなった時にも、僕は騒ぎを起こしました。
当時、叔父の訃報を受けて、一番乗りで実家に辿り着いた僕は、
遺体の横で顕正会の題目を必死にあげたのでした。
まもなく葬儀屋が到着し、遺体を叔父の部屋から、曹洞宗の本尊の前へと移動したのですが、
その遺体の安置場所が「謗法の前ではいかん!」ということで、
「まだ題目をあげている途中だから元の場所に戻せ!」と。
そのことで、叔父の遺体を前に、父親と揉み合いの大喧嘩に。
慌てる祖母と、父親と同様、怒り心頭に発した従妹が仲裁に入り、
何を言っても聞かない僕に対して父親は、今までないくらいボコボコに殴った挙句、外へと突き飛ばしました。
家からはじき出された僕は、それでも尚、その場で正座をして外から叔父に向かって顕正会の題目を送るという往生際の悪さ。
もし当時の僕に遭うことが叶うのならば、ビンタして背負い投げしてやりたい気分です。
それでも葬儀への参列が祖母への餞(はなむけ)だろう。
葬儀、そして四十九日は、しばしば穴があったら入りたい気分に駆られましたが、
礼を正して参列することは勿論、喪主である父親にできる範囲で手助けをし、恙無く葬儀を終えることこそが餞と心して臨みました。
迷惑をかけた親戚の皆さんには、前回の葬儀の参列の折、個々に頭をさげて謝りました。
「本当にすみませんでした。もうあのような過激な思想は捨てました。」と。
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謗法の指摘が人を傷つけてるかもよ?
現役顕正会員にお伝えします。
いくら貴方が、人の所有物を指して「謗法だ」「不幸の元凶だ」と喚こうとも、
それは貴方、及び所属の教団に限定された狭い価値感だということを深く肝に銘じて下さい。
貴方には謗法に見えるかもしれませんが、相手にとっては凄く大事な物かもしれないのですよ。
どうか、そんなちんけな価値観にこだわって熱くならないでほしい。
ビリビリに破いた本尊は、またお寺に頼めばすぐに購入できますが、
ビリビリに破いた人間関係、信用は、二度と復元できないかもしれません。
小さな御守りでも、あるいは十字架でも、
相手にとって大切な物であったならば、
それを指して、所有者を否定し、批難する行為がどれ程相手の心を傷つけるでしょうか?
謗法がある部屋で勤行すると功徳が出ない?
アホか。
貴方が遥拝する方向の直線上に、神社や他宗の寺院は一つも存在しないのか?
もしアパートやマンションの隣の部屋に学会の本尊が掛けられていたら、
それだけの理由で引っ越すのか?
それとも隣の部屋だから関係ないのか?一枚の壁が謗法の影響を遮断するのか?
では、窓を開けていたら、そこから外の謗法の害悪が入り込んでくるのか?
謗法って何?
センセー曰く、日本国中が日蓮大聖人に背き続けているのだから、
そもそも日本国全土が謗法で汚染されているんじゃないの?
海外へ移住しますか?地球から出ていきますか?
なら出ていって下さい、地球から。
ヴァン・アレン帯で撃沈して下さい。
正義の暴走は人を狂わせるんです。
ミミ様
年末のご挨拶ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
阿修羅族もルシファー一味も、元々は天界の住人だったと聞いたことがあります。
キリスト教と仏教の違いを超えて、天に唾吐く者たちの出自がともに正義の神・天使であったというのは、面白い象徴ですね。
浅井さんの正義・池田さんの欲望・・・根本は違いますが、道を外れた結果は同じだったというのが悲しいですね。
私のブログに訪問してくれていた顕正会員さんも、正義に憑かれていました。他者の間違いを厳しく追及することに夢中になって、自分の犯している非道に気づかなくなっていました。
正しさの追求が悪を産む。。。
中庸の徳を説いた、孔子様やゲーテについて、最もバランスを尊ぶ易経について、年末年始に思索を深めたいと思っています。来年のテーマは易と潜在意識の関係について。。。なんて思っています。
よいお年を。ミミさんとの交流が最も大きな収穫の一年でした。ありがとうございます。