魔法の言葉です。
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「肚を決める。」
「肚を決めることが大事。」
「肚が決まれば必ず御守護が頂ける。」
「肚が決まってないから戦い(勧誘)が進まない。」
肚を決めるとは、一線を越えるということです。
普段、生活している中で、肚を決める場面などそうそうありません。
例えば、学生時代なら、ちょっと寒い日にプールの授業があって、みんながジャンプして飛び込むもんだから、
「よしっ!俺もっ!」
って時とか。
あと、好きな人に告白するときくらいですかねー。
前者はハードルが低いけど、後者は割と高い。
人を宗教に誘う行為というのは、なかなか勇気がいるもので、
自然とそういう話になって、その流れの中で、あくまで「信仰」を一つの選択として提案する程度なら、それほどでもないかもしれません。
しかし、本意を隠して食事に誘った相手に、
しかも即決で宗教の営業をかけるのだから、
そういった行為は、普通の感覚からすれば当然憚られます。
一度、肚を決めると。
一度肚を決めて人を勧誘すると、
「馴れ」とは恐ろしいもので、次も案外平気となります。
もう次から次へと。
崇高な使命感を懐き、そして自分が幸せになるためなら手段も厭わず、
場所も相手の都合も、「一名」のためなら、なけなしの金さえも、
惜しげもなく活動資金に充てることが平然とこなせるようになります。
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コミットメントの一貫性。
モラルに逸した行動を「違和感なく」起こせるようになってしまったら、おしまいです。
「コミットメントの一貫性」と言います。
人は、一度取った言動に対して、「後から」自己正当化を図ろうとする心理が働きます。
危険な領域に、足を踏み入れてしまったと後悔したとしても、
「あれは間違っていなかったのだ」
と、過去の言動への認識を歪めることによって、自己肯定感を保護しようとします。
人は大概、この方法を無意識的に選択する傾向があるのですが、
これは、自分の意思が行動を決めているのではなく、
「自分の行動が意志を決定付けている」ということに他なりません。
いつでも、その危険な領域から「自分の足で戻って来れる」といった過信が生じるのは、
自分の意思の「コントロール感」を錯覚しているからです。
だから最初の一歩目が肝心。
「あちら側の人間になるかどうか?」は、
心の中で葛藤が起こったその時、岐路に立たされているのです。
おかしいと思ったらすぐに引き返すこと。
唆されたからといって、やたらと肚を決めてはいけません!
ハードルを越えれば越える程、
顕正会員であるあなたは、確実に「おかしな人」化していきます。
現実世界と乖離していきます。
いつかはこの世界に戻ってくるのですから、
あまり遠くへ行ってはいけません。
おかしいと思ったら、そこに足を踏み入れてはいけません。
「肚を決める」
憶えておいて下さい。
これは確固たる「マインドコントロール」です。
ミミさん、こんにちは。
ミミさんのブログ、よく見てる元顕です。
「肚を決めると、こんなにも楽になるのか!」みたいな登壇を聞いてから、自分はいつ楽になれるのかなあ、早くなりたいなあと顕正生活送っておりましたが、あぶない、あぶない(-.-)
楽チンになる前に顕正やめられてよかったです(*^^*)