最近「臨床宗教師」なるものが。にわかに注目を集めてきている模様。
民間資格への制度化に向け、徐々にその動きが波紋を広げてきているようです。
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臨床宗教師の仕事とは?
臨床宗教師養成講座 武蔵野大が開講へ (中外日報2015年12月14日の記事)
この動きを牽引しているのが、いわゆる仏教系の大学で、
東北大をはじめ、龍谷大や高野山大などが現在中心となって動いているようです。
で、一体何をするのか?ですが、
端的に言えば、ターミナル期における「宗教的な」グリーフケアのようなイメージと考えて良さそうですね。
末期患者に対して宗教的なアプローチを行い、
精神的な苦痛を緩和させてあげるのが、その役割の趣旨で、
如何に、相手の心を開き、寄り添えるかというのが、その資格者の手腕を図るものさしとなりそう。
なぜ必要なのか?
これは日本以外の先進国全般に当てはまる事象ですが、
近代化に伴い、元来、「宗教」が請け負っていた多くの仕事が細分化され、
聖職者の持つ権威、管轄領域が縮小化の傾向を呈しています。
その昔、「寺」は役所だったり、学校だったりしたわけで、
言わずもがな。既に寺院はその機能を民間、あるいは自治体に譲渡し、
結果、坊さんの収入は減り、ジリ貧状態に陥っているのが昨今の現状。
この「世俗化」の流れは、
本来、「死」と臨床的に関わる、医療従事者と、宗教者の連携が絶たれてしまっている構造的な問題を生み、
そのことが近年、度々指摘されるようになりました。
これら、現場で噴出した声というのが、
今回の動きの大元、制度化への「要請」だったのではないでしょうか。
ちなみに先日当方でご紹介した「寺院消滅」という書籍の中で、
尼僧である看護師さんの体験を通じ、現場において一体どのような弊害が起こっているのか、
その好例が示され、問題の一端を垣間見ることができます。
(※参照リンク↓)
「寺院消滅」レビュー。僕が思う、寺が必要なくなる単純な理由。
資格の所得者の条件は、聖職者に限らない。
上貼のリンク先の中外日報記事によると、
「宗教者に限定せず、医療者を含む一般の人も受講対象とする。」
とあります。
確かに、医療現場に従事する当事者が、「宗教性」の表現によって、より人間的なケアを患者に施すことが可能となれば、
ホスピタリティの向上に貢献すること請け合いでしょうし、
病院が担う社会的役割も、以前とは異なり、より多様な需要に応え得る機関への変化が期待できそうです。
上述した、看護師の話から看取できるのは、
「公」の場から「私」を退け、
それがただ形式的に遵守され、実践されてきた結果、
看護者の属人的要素がなおざりにされ、柔軟性の欠陥を招いてしまっている現状です。
これは世俗化が生み出した、「負の側面」と言っても過言ではないでしょう。
今回の制度化が、行き過ぎた世俗化への緩和機能を果たし、
「機会的医療」から「情操医療」への好転換が実現できたならば、
今回の試みは「成功」と呼べるのではないでしょうか?
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現在の国民意識の実態
“東日本大震災の翌年に行われた前回調査と比べ、災害時に宗教や宗教家にできる役割が「必ずある」と答えた割合は20・6%から10・4%に半減”
って、臨床宗教師の資格化と国民意識が逆行しているような・・・。 https://t.co/sDwAtRFeN2— ミミとヨロリ (@mimiyorori) 2016, 1月 19
問題なのは、そういった宗教界の機運と、明らかに国民の意識が逆行しているということです。
むしろ、そういう状況だからこそ、制度化を急ごうと考えるのも、至極真っ当な結論かもしれませんが、
ただ、上のリンク先の調査内容というのは、この事案を考える際に決して軽視してはならない、由々しき実態で、
つまりこれは、聖職者への期待度が急降下している状況を痛切に物語るものです。
生活定点の調査結果
他の調査結果も念のため参考に見てみたいと思います。
以下は、サイト「生活定点」からのキャプチャ。
宗教界の起死回生なるか!?
さて、今回の制度化と逆行する、国民意識の実態を、
統計と共に見てきました。
「宗教」はその存在意義を盛り返し、
社会的スタンスを確立していくことができるのでしょうか?
ただ、要請は確実に存在していて、それに対し呼応するための環境を整備を図ろうとする、
一部宗教者たちの「恒心」と「道念」が、
世俗化によって失われた、人々に胸中に眠る「宗教性」を喚起させ、
より豊かな人間性の養育に寄与し、善き循環を生み出してくれることを、
僕は大いに期待したいと思います。
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