1878年…。
上州安中藩(現在の群馬県安中市)出身である、「新島襄」は、地元の求道者30名に洗礼を授けることにより、
日本初の日本人の手によって設立されたキリスト教会である、「安中教会」の創設に大きく貢献しました。
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安中教会の周囲の環境
こちらの施設は国民的財産たる「有形文化財」に指定されています。
写真のちょうど真ん中あたりに遠く映っているのが、国道18号の陸橋の上から良く見える巨大な工場施設。
「東邦亜鉛」の工場です。
「安中教会」は、この東邦亜鉛から真っ直ぐ西方の丘の上に位置しており、
これでおおよその位置関係が掴めるかと思います。
敷地内には幼稚園が隣接されています。
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安中教会の外観
こちらが安中教会の外観。
内部を見学したい場合には「予約」が必要とのことで、
そうとは知らずにアポなしで行ったので、残念ながら中に入ることはできませんでした。
安中教会の「素材」
安中教会の建物は「大谷石」を使って造られています。
拡大してみましょう↓
これ、ホント偶然なのですが、
先日、この大谷石の産地である宇都宮の「大谷町」に観光へ行ってきたばかりでして、
何かの巡り合わせでしょうか…?↓
【大谷寺の千手観音と平和観音。大谷石に彫られた石仏たち。実際見たら「ぶったまげる」レベル。】
大谷石は、天然ゼオライトという成分を含んでいるそうで、
耐火、防湿、防臭に優れた性質を持ち、更に、軽量で柔らかいため、加工しやすいのが特徴とのことです。
日本人による日本初のキリスト教会。
日本では長らく、キリスト教の布教は禁止され、またキリシタンは弾圧されてきました。
当然死刑に処されたキリシタンもいたそうで、それは大変残虐な、有る意味日本の黒い歴史でもありますね。
これ、日本人はあまり自覚がないものの、海外のキリスト教圏の方々には割と有名な話だという同志社大の小原教授のお話。
(参照リンク↓)
【宗教学の勉強にお奨めの動画を紹介します。とても分かり易いですよ。】
開国後にもキリスト教の禁止令はなお続き、やっと布教が解禁されたのが、岩倉使節団の派遣を機とする、
1873年(明治6年)のこと。
とはいえ、日本はその後、天皇崇拝を基として「神道は宗教にあらず」と謳う国家公認の神道道徳化。
すなわち、「国家神道」の道を歩んでいくこととなり、
実質的には、宗教や思想の自由は認められないといった状況が戦後まで続きますから、
この「キリスト教の布教の解禁」ということも、国民の内発的な自由権の獲得というには程遠い「カタチだけのものだった」というのが実態なのです。
つまり、その本質は、「外国人による日本でのキリスト教の布教を許す」という外交の中における一つの「条件」としての理由があって、
止む無く要求を飲んだだけに過ぎなかったというのが当時の実情。
そのことを如実に示す代表的な事件の一つとして「内村鑑三不敬事件」が挙げられます。
上述したように、「安中教会」が創設されたのは「1887年」
このように、キリスト教についてはまだまだ国内での反対が多い中での
「教会」の創立ですから、
その意味でこの「安中教会」は大変価値のある建造物なのです。
この教会が完成したのは新島襄が当時「35歳」の時。
日本におけるキリスト教の布教に先鞭をつけ、尽力された「新島襄」は、
当時、この教会の完成を心から喜んだと同時に、並々ならぬ深い思い入れがあったに違いありません。
平和の遣い新島襄(上毛かるた・「へ」の札)
私も覚えさせられました。
私のキリスト教のイメージといえば、やっぱり「信じるものは救われる」です。
安中には友人が床屋をやっているので時々行きます。
でも、新島襄ゆかりの場所には一回もいったことがありません。
そういう意味で、大変参考になります。
というより、おいしい回転寿司の店があるのでそちらの方によく行きます。
そう、「華より団子」です。
「かいおう」後存知ですか。
時々訪れますので合えるかもしれませんよ。