群馬県安中市、新島襄の旧宅へ行ってきました。アクセスと案内の概略。

群馬県安中市にある、新島襄と御両親が住まわれた「旧宅」に行ってきました。

旧宅への行き方。アクセス。

旧中山道 写真

国道18号から「旧中山道」を通って旧宅へ向かいます。

新島襄旧宅への案内板 写真

途中、所々に案内が出ています。

旧宅は古い住宅地の中にひっそりと佇んでいますが、案内に従って行けば迷うことはないでしょう。

新島襄旧宅の駐車場 写真

到着です。

広い駐車場が隣接しています。

新島襄のイラスト旗 写真

新島襄の旗が何本も立っているのですぐにわかりますよ(^^)

新島襄旧宅周辺の地図

周辺の新島襄関連の施設との位置関係を示したマップ。

全部周るには丸一日あっても足りないくらいです。

新島襄旧宅の休館日と開館時間の案内

休館日は毎週月曜日。

正月休みはやっていません。

住所:群馬県安中市安中一丁目7番30号

この旧宅と新島襄の関係。

この旧宅についてですが、ここは新島襄の生誕地というわけではありません。

新島襄と両親の絵

これは、アメリカから帰国後、両親との再会を果たす新島襄の姿が描かれたもの。

実は新島襄さん。このお宅には生涯の内、たったの「三週間」しか滞在されなかったそうです。

帰宅も束の間、キリスト教の布教の応援に呼ばれて、すぐに京都へ向かったとのこと。

新島襄の家族の写真

新島襄さんと八重さんと御両親が供に映っている貴重な写真。

ちなみに八重さんの方は「四度」こちらのお宅へと訪れているそうです。

旧宅の外観と和の庭園

新島襄旧宅の外観

こちらが外観。

ほとんど当時のままの趣です。

新島襄の旧宅入口の写真

狭い入口。

古い様式ならではの造りを体感できます。

新島襄の旧宅内部

入ってすぐ右の部屋には囲炉裏が設置されており、

当時の部屋の様子が再現されています。

新島襄の旧宅の囲炉裏

新島襄の旧宅の囲炉裏の写真2

この竹の筒で火を起こしたんですね。

新島襄の旧宅 お膳セット写真

新島襄の旧宅の窓 写真

ではメインのお部屋に移りましょう。

新島襄の旧宅 天井の写真

天井は、木と竹と萱で作られた旧宅ならではの簡素な造り。

新島襄の母の趣味 写真

新島襄のお母さんが「お茶」を嗜まれたそうで。

その形跡がここに残っています。

新島襄の妻の「八重」さんも晩年はお茶の先生になっていますね。

このお母さんの影響もあったのでしょうか?

八重の桜の撮影で使用した草鞋 写真

大河「八重の桜」の撮影で使用された「草鞋」が展示されています。

新島襄の旧宅のふすま 写真

内部は所々復元されているようですが、

こちらは完全に当時のまま残っている貴重な箇所の一つ。

新島襄の旧宅のふすま ズーム写真

新島襄が書いた句

新島襄の書かれた句が展示されています。

「いしかねも透れかしとて一筋に 射る矢にこむる大丈夫(ますらお)の意地」(↑の右)

新島襄が書いた句 2

良心全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」

(良心全身に充満した青年が現れることを望んでやまない)

新島襄の旧宅の庭 写真

部屋から外に目を向けると、整備された庭園が広がっています。

メインの資料館では、豊富な資料が展示されており、新島襄の生涯について詳しく知ることができます。

当方では、ガイドのおじいさんの話を基に、その内容と展示された資料を適宜加え、

その大綱を簡略にまとめてみました。良かったらご覧ください↓

写真で見て「3分」で分かる「新島襄」の生涯。概略説明。群馬、安中の資料館より。
アメリカへの渡来。同志社大学創設など、新島襄の生涯をざっくりと紹介します。
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