「先入観」がもたらす「教祖信仰」。ビデオ放映・会合の意図とは?

顕正会員に「ビデオ放映」とはどのようなものかと問えば、

恐らく、「体験発表」や「浅井会長の講演」の素晴らしさを中心に、参加することの意義を語り出すでしょう。

ただし、この説明には重大な「欺瞞」がはらんでいます。

「ビデオ放映」において、「体験発表」と「浅井会長の講演」に充てられる時間は、合算して約「1時間」程度。

「約2時間」という放映時間全体の半分でしかありません。

では残りの半分はというと、

それは「活動報告」や「代表決意」ということになりますが、

この内容について、先輩信者から後輩信者に対し、積極的に語られることは少ないでしょう。

なぜなら、ここの大部分は「浅井会長を賛美する」内容で占められているからです。

大概の新入信者は、ここに対して「大いに違和感を」感じると共に、

場合によっては、脱会の意思をも招く「強烈な表現が多く含まれて」います。

しかし、マインドコントロールを画策する側からすれば、

まさにここが、ビデオ放映の「要」の部分ではないかと思われます。

要するに、

「視聴者に、会長讃嘆の美辞麗句を大量に浴びさせること」

が、真の狙い。

これによって「会長はすごい!」という「先入観」を信者たちに植え付け、

信者の信仰の矛先を「仏様」から「会長」へと巧みにすり替えることこそが、

本当の目的ではないかと思われます。

顕正会では、「浅井先生の仰せのままに」がモットーであり、それに対して、正直に、忠実に活動する人間が評価される世界ですから。

愚直にビデオ放映に参加し、「会長信仰」を心肝に染めた者こそが、会が求める人材としての「理想像」なのです。

ということで、実際に「先入観」というものが、その対象についての「印象」に、どれ程強い影響を与えるものであるかを、

著書中の「実験とその結果」から引用して示したいと思います。

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実験の結果が示した「先入観」を与えることによる「印象の変化」。

ケリーの実験では、講師の印象が、「紹介のされ方」で大きく影響を受けることを示した。大学生の被験者は、経済学の授業で特別講師を招いたと告げられる。そして被験者は、講義が始まる前にその講師の紹介文を読まされる。あるグループの被験者が読まされたその文章には、講師の人柄について「非常に暖かい」という言葉を含めておき、別のグループのその文章には、「いささか冷たい」という言葉を含めておいた。その後、被験者はその講師の25分のディスカッション指導を受けたあと、どういう印象をもったかについて評定させられた。この実験結果によれば、あらかじめ「暖かい」と紹介されたグループのほうが、「冷たい」と紹介されたグループよりも、その講師を好意的に評価したのである。

オレゴン大学の学生に、ある特定の人物紹介とともにクルト・ウォールデンという人物のポートレイトをみせた。そのとき、あるグループには、この写真の人物はナチスのゲシュタポのリーダーで、残忍な実験の責任者であると紹介した。また別のグループには、この人物は反ナチスの地下運動をおこない、大勢のユダヤ人を救ったと紹介した。その結果、否定的なイメージの教示を与えられた被験者は、写真の人物を残忍で冷たそうであると認知し、他方、好意的なイメージの教示を与えられた被験者は、その人物を暖かくて親切そうであると認知する傾向にあることが示された。

「先入観」が与える影響力が如何に甚大であるかが窺えます。

では、実際に登壇の中に、どれほど会長を賛美する文言が盛り込まれているのでしょうか?

顕正新聞に掲載された登壇内容から該当箇所を抜粋してみます。

顕正新聞 H27/5/25 代表決意 副総男子部長 〇久保 〇介。
・立宗御報恩勤行会における重大指導は大感動でありました。
・冨士大石寺を冠して戦う先生の弟子との立場に、胸のときめきを感じるものであります。
・先生の卓抜の御見識にはひれ伏す
・先生の大聖人様に対し奉る大忠誠心により、必ずや第二の不思議たる広宣流布・国立戒壇建立に至る
・このたび先生は、日寛上人の御恩徳について、重々の指導を下さいましたが、〇〇との仰せには胸が詰まり
・お声を詰まらせられる先生のお姿には、ただ泣き伏しました。
・お言葉が胸に迫り、深き大感動がこみ上げたものであります。
・いま先生から頂いている指導の有難さがいっそうの重みを以て胸に迫り、その指導の全てが掲載された顕正新聞こそ宝であると感じてならず

以上です。

大感動したり、ときめいたり、ひれ伏したり、胸が詰まったり、泣き伏したり、胸に迫ったり、

大変ですねぇこの人は。お疲れ様です。マンセーマンセー。(ん?ときめきって‥???♡)

そしてこれらのすり込みを繰り返すことによって、視聴者は、

「先生の指導は大感動するものだ」

「先生の前ではひれ伏すものだ」

という新たな思考パターンが徐々に形成されていきます。

そして【前回記事】で示した、

「コントロール感の錯覚」と、

「他者からの影響の過小評価」

といった人間の普遍的な性質によって、

その思考パターンは、他者から影響されたものではなく、自らがその考えに至ったのだ。

あくまで、自己のコントロールの範疇であり、他者によってもたらされたのではない。

と、錯覚し、それが揺るぎないものになった以後は、

自らの意志によって、依存的にマインドコントロールされることを欲し、

教団が教示するドグマに沿った行動を自発的に実践するようになります。

一時的マインドコントロールから「永続的マインドコントロール」への変革ですね。

更に次回。【マインドコントロールのやり方。「群集心理・感覚遮断」の応用編。】では、これらが人にもたらす効果が如何に甚大であるかをもう少し詳しくみていきたいと思います。

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