「先入観」についての実体験。

先日、「先入観がもたらす教祖信仰。ビデオ放映・会合の意図とは?」というタイトルの記事を書きました。

これは、事前に与えられ、インプットされた情報を、「先入観」として機能させることで、意図して対象に好感を懐かせることが可能であるという、普遍的な心理の性質について述べた内容でした。

最近僕は、このことを自らの体験を通して、深~く実感した一件がありましたので、今回はそのことについてお話してみたいと思います。

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「馬医」

韓流の「馬医」というドラマをご存知でしょうか?

「馬医」とは、2012年10月1日から2013年3月25日まで韓国MBCにて、全50話で放送された17世紀前期から後期までの李氏朝鮮を舞台にしたテレビドラマ。

日本における吹き替え版も、昨年の6月29日までNHKBSプレミアムで毎週日曜日21時に放送されていたようです。

この「馬医」を、妻が職場の同僚に勧められ、DVDを借りてきたのがキッカケで、ちょっと試しにと見始めたら止まらなくなってしまい(笑)昨日、とうとう全50話全て視聴し終えた次第です。

いやぁ~本当に面白かった。1話につき1時間なので全部で「50時間」もあったわけですが、あっという間ですね。

今までは、韓流なんて何かファッド的なものだろうと思い、高を括って、目もくれなかった僕ですが、

今回視聴してみて、その認識は覆されました。

ドラマというものに関しては、とりわけ目が肥えているというわけではないので、もっともらしい批評は書けませんが、

とにかく、そのクオリティの高さに驚きました。

脚本が凝ってるんですよね。また演出も結構露骨なシーンが多くて(医療というテーマ柄、思わず目を覆ってしまうような場面も‥)間違いなく日本のドラマにはない醍醐味がありました。

で、これを視聴していく中で、続きをレンタルすべくゲオ(DVDレンタル屋)の韓流コーナーに赴いた際、

ズラ~っと韓流ドラマのタイトルが並ぶ陳列棚を眺めて思ったこと。

「うん。間違いなくチョ・スンウが一番カッコいい」

チョ・スンウとは馬医の主役(ペク・クァンヒョン)を演じる俳優さんのこと。

う~ん。どう見てもチョ・スンウが一番だ。

その容姿から、気丈で正義感が溢れる人柄がにじみ出ている。

チョスンウ

どうでしょう?なんか草薙君に似てますよね。パーツが。

と、そこで、ドラマを見始める前、彼に対する印象がまだ白紙の状態だった頃を振り返ってみます。

すると…。ある事実が浮彫りに。

僕は、最初から彼に、今のような「好印象」を懐いていたわけではないんですよね。

「大したことはないだろう」と。チョ・スンウさんには失礼かもしれませんが、この俳優が主演かぁ、と、とりわけ期待を寄せるほどではなかったんですね。

これは、「演技だとわかっていたとしても」、彼がドラマの中でカッコ良く振る舞うことによって、僕の心に「先入観」が植え込まれたことを明確に物語っていました。

ちなみに妻にも全く同様の現象が起こっていました。

この一件は、与える情報の内容によって、「意図的に印象を操作することが可能」だという事実を、身を以て味わうことのできた貴重な体験となりました。

神社仏閣

容姿の話題からはそれますが、この現象はモノに対しても当然起こり得ることです。

これも自らの体験として大いに実感するところですが、話ついでに今回その一例について取り上げてみたいと思います。

僕が顕正会時代に懐いていた「神社や仏閣」に対する印象は確実に変化しました。

街中を移動中に目に飛び込んできたものなら、即座に目を逸らしていたし、

その写真ですら、いちいち浮き足立って放り投げたり、あるいは破り捨てたり…

なんかもう病的ですよね。

それくらい神社や仏閣に対して恐怖感や嫌悪感を懐き、なにより「気持ち悪い感覚」にとらわれていました。

それは強烈な「先入観」でした。

それらの単なる「建造物」が僕に何か危害を加えてくるはずもないのに。

「魔の巣窟」などと言われて、繰り返し、「伏魔殿」的な印象をすり込まれ、「何かとてつもなく恐ろしいもの」だと反射的に認識するようになっていたんですね。

とはいえ今でも、その厳粛な様から若干恐怖心が喚起されることは無きにしも非ずですが、それは言わば一般的な感覚の範疇でしょう。

夜で独りぼっちで神社の境内にいたらやっぱり怖いですもんね。

しかし、あれだけ敬遠してきたものを、現在は変な違和感もなく、また以前懐いていた強烈なバイアスも取り除かれ、

その存在をありのままに認められるようになった自分が不思議です。

建造物の持つ趣の深さなど、美的観点で捉えられるようになり、

どれほど「先入観」に心が支配されていたか、今、ハッキリと自覚することができます。

先入観を植え付けるまでが勝負

その筋で考えると、カルトと呼ばれる教団の側からしてみれば、

いかに「先入観」を植え付けることができるか、

これが信者のエンゲージメントを獲得するために重要なポイントであるかということが理解できます。

「先入観」を植え付けることさえ成功すれば、もうそれは頸木となってガッチリと信者を掴んで離しません。

ゆえに顕正会の指導では、とにかく会長を美化して、良い印象を与えることに注力されるというわけですね。

また教団の「ライバル」にも、信者に悪い印象を与えておくことは、流出を防ぐ有力な手立てとして機能します。

選択の余地を奪うわけですから。

カルト教団のやり口というのは本当に抜け目がないですね。

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