モーセの生涯を手っ取り早く学びたい?お奨めの映画の紹介とレビュー。

「十戒」だけではありません。

先日、「エクソダス神と王」をツタヤで借りてきて視聴しました。

旧約聖書、出エジプト記に刻まれた「モーセ」の生涯を、効率的にあらましだけを「サクッ」と知りたい方にはオススメの作品です。

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「モーセって誰?」「何をした人?」

「知ってるよ」という方は読み飛ばして頂いて結構です。

モーセとは、古代オリエント時代。

エジプトにて、奴隷として虐げられていた「イスラエルの民」たちを、

約束の地カナンへと導いた預言者です。

エクソダス神王 奴隷のシーン

(予告編の動画より。以下の画像についても同様。)

旧約聖書の中では、数多の預言者が登場しますが、彼はその中でも最も重要な役割を託された人物と言っても過言ではありません。

誰から託された?

預言者ですからもちろん「神」からです。

この神というのは、キリスト教、そしてイスラム教における「共通の神」であり、

モーセが神から「遵守すべき信条」として啓示を受け、石板に著した「10の戒」。

これがユダヤ教では、教義の骨子である「律法」を形作る上で、大事な倫理規範としての役割を果たすことになります。

十戒の詳細。

それぞれ、は「神との契約」。は「人倫」に関する条目。

1、あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

2、あなたはいかなる像も造ってはならない。

3、あなたは紙、主の名をみだりに唱えてはならない。

4、安息日を心に留め、これを聖別せよ。

5、あなたの父母を敬え。

6、殺してはならない。

7、姦淫してはならない。

8、盗んではならない。

9、隣人に関して偽証してはならない。

10、隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ロバなど隣人のものを一切欲してはならない。

律法の形成とキリスト教の派生。

これらの条目が基盤となり、当時の人間社会の中に形成された宗教的価値観を土壌として、

イエスはその要諦を抽出し、「社会的立場の弱い者にも積極的に救いの手を差し伸べていきました」。

その結果、祭司たち(宗教的権威者)の不興を買って、磔刑に処されてしまうわけですが、

かえって復活を遂げることで、イエスは神の子としての性質を顕然と世に示し、

その後、強心の弟子たちによって「キリスト教」というものが徐々に体系化されていきます。

更にその後発生したイスラム教も含め、一神教形成の一連の流れを遡って見た時、

この「モーセ」の功績というのは、その端を発した根本的、且つ画期的な出来事であったと考えられます。

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十の災いのシーンがド迫力!

さて、本題。

この映画の見どころですが、

まず臨場感溢れる、迫力満点の映像、

特に、「十の災い」のシーンには圧倒されます。

イスラエルの民たちが故郷、カナンの地へ戻ることについて、エジプトの王が難色を示したため、

神が、種々の災難を加えることで、その承諾を迫るというものです。

ディテールも凝ってますね、技術的にポイント高いです。

1、血の災い

ナイル川に住む生物が死骸によって、水が真っ赤に染まります。

それによって農作物に甚大なる被害をもたらします。

エクソダス神と王 川が血で染まるシーン

2、カエルの災い

住処を失ったカエルたちが悉く地上に這い上がってきます。

もう王の寝室までカエルだらけ。

エクソダス神と王 カエルの災いのシーン

3、ぶよの災い

ぶよが蔓延します。ぶよだらけ。

4、あぶの災い

あぶまで溢れかえります。

5、疫病の災い

家畜がバタバタと倒れていきます。かわいそうです。

6、腫れ物の災い

皮膚に腫れ物に侵され、王も含め、顔までボロボロになってしまいます。

7、雹(ヒョウ)の災い

大量の雹が降り注ぎます。当たったら痛いなんてもんじゃない。頭蓋骨がへこむレベル。

エクソダス神と王 雹の災いのシーン

8、いなごの災い。

いなごの大群が街を襲います。それによって大事な作物なども食い荒らされてしまいます。

エクソダス神と王 いなごの災いのシーン

エクソダス神と王 いなごの災いのシーン2

9、暗闇の災い。

三日間真っ暗。明かり無しでは何もできません。

エクソダス神と王 暗闇の災いのシーン

しかし、エジプトの王はそれでもまだ懲りません。

モーセが反乱を悔い改めるまで、イスラエルの民の公開処刑を続行します。

エクソダス神と王 処刑のシーン

そして最後…。

10、初子の死の災い

最も残酷な災いです。

エジプトの国中の赤ちゃんが一人残らず死んでしまいます。

もちろん王の子とて、その対象から逃れることができず、ベットで息を引き取り、

夜のエジプトの街は嗚咽と悲鳴に満ちた、地獄絵図と化します。

作品に込められたメッセージ。

ところで、およそ作品というのは、その内容の中に暗示が込められているものが多く、

ただ、視聴者側が、それをどのシーンに見出し、感じ取るか?

そして、どう解釈するか?については、各人、差異があると思います。

僕、個人的に、この作品から受信したメッセージとは、

「神とは何か?信仰とは何か?一度立ち止まって再確認すべきではないか?」

と、いった「問い」ですね。

エクソダス神と王 モーセが叫ぶシーン

神の制裁に対し、モーセは度々反発します。

もともとモーセはどちらかといえば無神論者的な立場に属しており、

神から、出エジプトに際し、牽引役を命じられた彼は、当初は困惑し、拒絶します。

ところが、与えられた使命に抗うことができず、徐々に芽生える自覚と共に、預言者としての振舞を確立していくのですが、

それはお世辞にも神々しげな姿とはかけ離れた、

「人間モーセ」としての、ありのままの姿が描かれています。

海が割れた!?

例えば、エジプト軍に追い詰められたイスラエルの民が、

眼前の海を渡り、王の追随から逃れるシーン。

1956年に公開された、「十戒」では、

映画十戒のジャケット

海が「パカッ」と割れ、

超常現象的な描写として表現されています。

映画「十戒」モーセの姿

こちらの方はまだ視聴したことがないので詳しくは分かりませんが、

セリフを入れるとしたら、

「神よ!我々の為に道を開き給え!」

みたいな感じでしょうか?

しかしこの「エクソダス神と王」では。

エクソダス神と王 海が割れるシーン

「人がギリギリ渡れる程度に水位が下がる程度」

に描かれており、

割と現実的です。

しかもこの現象は、モーセが仮眠を取ってる最中に、いつの間にか起きていたことであり、

この映画の中では、あくまで「モーセが何かをした」というわけではありません。

神は残酷!?

十番目の災いの後、エジプトの王から、イスラエルの民の解放を言い渡されるシーンにおける王のセリフ。

「人殺しの神!お前たちは、本当にそんな神を信じるのか!?」

という問いに対し、

モーセは、

「ユダヤの子は皆死ななかった。」

と答えるのですが、

この発言の裏に、宗教的差別正当化のロジックが潜んでいるように思えます。

「あっちの子は殺しても良い。」

理由→神の意志だから。

イスラエルの民は約束の地カナンを侵攻するに当たり、

上記に示した十戒の「あなたは、いかなる像も造ってはならない」

との条目に従って、当時地域に根付いていた、バアル神などの偶像を次々と「破壊」していくことになるのですが、

これ、現在の「IS」の姿と重なりませんか?

こういったシーンや、

モーセが良心の呵責と、神の意向との間で板挟みとなり、苦悩に喘ぐシーン。

これらの表現から、

「信仰、そして神とは何か?」

について、もう一度、認識を改める必要性を訴えたかったのではないか?

この作品にはそんな隠喩が込められていたのではないか?

そう思った次第です。

信仰の対象について「知る」。

キリスト教に馴染みのない方で、更に細かく、人格的な面における「神」を知りたければ楽しく学べる 聖書入門を読んでみて下さい。(これ、分かり易くてオススメです。)

案外、神って恣意的で残酷なんだなぁ~と思うかもしれません。

その位置、その視点から、再度「信仰とは何か?」について考え直してみること。

そういった試みは、信仰者にとって大きな意義が存するはずです。

神格化された教祖の先入観からは少し距離を置いて、人間的な側面を知ることは、

「過信」の抑制に貢献し、また、信仰に「謙虚さ」をもたらす意味で重要且つ、必修事項だと思います。

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