顕正会という組織を離れて、1年と8ヵ月が経過しました。
入会したのは僕が19歳の頃。
それより7年間の顕正会員として人生を歩み、
今思い返すと、何というか、無駄に忙しかった気がします。
時間的にもそうですが、何より精神的に落ち着かない日々を過ごしていたからでしょう。
脱会して、まだ日が浅いですが、現時点で確実に様々な変化・改善を実感しています。
それでは具体的に「7つ」の項目に分けて見ていきましょう。
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Index
仕事が続いています。
顕正会時代はありえないくらいに職を転々としていました。
このことは僕に限らず、多くの会員に当てはまることだと思われます。
なぜなら、誓願という名の「勧誘ノルマ」を達成するにあたり、始めは既存の知人関係だけに頼っていれば事足りるのですが、
そのうち勧誘対象者の不足という事態に追い込まれるため、職場の人間関係にも着手せざるを得なくなるからです。
すると、瞬く間に悪評が広がり、だんだん居たたまれなくなって、退職を余儀なくされるという。
まぁ顕正会では恒例のパターンですね。
その遍歴のざっくりと述べれば、
まず入信して、最初に就いた流通系の仕事が、「1年と2カ月」
次に就いた営業の仕事が「6ヵ月」
その次の飲食が「6ヵ月」
その次の飲食は「2ヵ月」
その後少々無職の期間を経た後、
販売の仕事が「半年」
その次の販売の仕事が「2年と3カ月」
そして現在勤め中の製造業に至ります。
こうして書き出してみると、つくづく実感しますが、ホントこれ社会人として終わってますよね。
もっとも全て顕正会のせいにするわけではないですが、
例えば2ヵ月で辞めた飲食の仕事などは、総幹部会の会場に近いという理由だけで、縁もゆかりもない川口市にアパートを構えて生活した結果、
あっという間に精神が病み、仕事も酷い辞め方をした後に生活も困窮して、やむなく実家に出戻ったんですね。
それから最初の仕事も、上司が僕の悪評をさんざん周囲にばら撒いたので、気まずくなって辞めたんでした。
今の職場は、一応現時点で、3年と4か月勤務を継続できています。
ペットのネコがカワイイ。
確実に変化しました。これは本当に顕著です。
カワイイんです。心底カワイイと思うようになったんです。
では以前はカワイイと思っていなかったのかというと、全くそういうワケではないんですが、
見て、触れて、「ときめき感」が全然違うんですね。
存在自体に慈しみを感じます。
最近は帰宅すると真っ先に「缶詰」を与えることが日課になってます。
文字通り「猫可愛がり」ですね。
時間が増えた。
顕正会時代はとにかく、義務的にやらなければならないことが多かったです。
もう「報告」だけでゲンナリしてましたので。
金曜にはメール。月曜にはメールに加え電話。
メールの作成の所要時間は2~5分くらいでしょうか。
そう言うと、さほど煩わしいイメージがないように思えるかもしれませんが、
その都度、「精神的負担」というものがあるのですよ。
成果が芳しくないと、報告が重荷となります。
またそのことを考えると、前日あたりから徐々に焦りが生じてきます。
これが時間の消費に繋がるんですよ。
もう「報告」から解放されただけでもハッピーなのです。
更に、日曜日には1時間かけて最寄の会館まで行かなければならないし、
活動をサボって家にいると、まず間違いなく上長から電話があるので、休日だからといってオチオチと休んでいられません。
もっとも、かなり能動的に活動していた初期の頃は、毎週のように深夜に至るまで勧誘に駆けずり回っていましたから、月曜は朝からぐったりしていましたね。
ビデオ放映は後輩の付き添いなどがあるため、日を分けて何度も会館へ足を運ぶことになります。
会合は、本部近隣を活動拠点とする組織に所属していたため、月に一度は、群馬県から毎度「2時間~2時間半」くらいかけて大宮までいかなければなりません。
ために、車の走行距離がすごいことになります。
と、ここまでは最低限の範囲であり、成果を得るためには、まめに後輩に連絡をとったり、会いに行ったりと、
経営者顔負けのフットワークが求められます。
こう書き連ねてみて実感しますが、なんとまぁ、凄まじい消耗っぷりです。
謗法(ほうぼう)が気持ち悪くない。
謗法とは何かというと、「他の宗教の関連するモノや施設」のことです。
恐らく、経験の無い、一般の正常な方々からすると、この感覚は極めて不可解だと思われますが、
気持ち悪いし、コワいんです。かなりビビッてましたね。十字架とか、守り札とか、
「この世から無くなってしまえば良いのに」と思ってました。
クリスマスツリーに装飾されている「ワタ」。あるじゃないですか。そうです、あの「白いふわふわしたやつ」です。
あれ、どうしても「カビ」にしか見えなかったんですよね。
近寄ると「粉」が飛んできて体に付着するんじゃないかと思って意識的に避けていましたから。
その上、この感覚が過敏になってくると、ふすまに描かれた和風の「絵」とか、赤く塗られた「橋」とか、
何でも気持ち悪く見えてくるんです。
これはもう一種の病気です。
暴食体質が改善された。
元来、凄い食べる人間だったんです。
僕の胃袋は「三千大千世界か」というくらいに。※三千大千世界とは仏教で説かれる宇宙観のことです。
もっともこの症状は、顕正会に入会する前から患っていたので、顕正会のせいではないのですが、
年齢的なものも若干関係があるのでしょうか?
辞めてからは、あの破壊的な食欲は治まりました。
バイキングが大好きでしたし、
仲間には「仕事のように食べるね」とまで言われたことすらありました。
知識の幅が広がった
会員時代の偏執的な性格が随分改善されたと思います。
謗法を避ける必要がないため、ネットも気兼ねなく利用できるようになりましたし、
何より「本」をたくさん読むようになりました。
カルト宗教に耽溺すると、肉食動物かというくらいに、視野が狭くなり、幅広い情報が受信できなくなります。
まぁそもそも俗世間に興味が湧いてこなかったのですが。
なぜなら、あと「十有余年」後には全日本人が顕正会に入信するのだと盲信していたので、
現在の常識はすべて顕正会のカラーに塗り替えられる予定だから、あまり学ぶ価値がない。
と、思っていたんですね。
顕正会というコミューンで生活していたせいで、「7年間何やってたの?」というくらいに「知識」という面では薄弱になってしまいました。
浦島太郎です。「ショーシャンクの空に」のブルックスです。
本当に毎日、新鮮な情報ばかり。
おけげさまで大変濃厚な日々を送らせてもらってます。
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好きなことができています。
僕が今まさにこうしてブログを書き、多くの人に情報発信できていることが本当に楽しいです。
最近はいわゆるオピニオン系の記事も書かせてもらってますが、
自分の過去や、新たに得た情報をアウトプットして、微弱ながらも人の役に立っていると思うと嬉しいですし、
何より、こうして「表現」できることは喜びに堪えません。
「表現できない」、あるいは「しない」ということは、「ストレス」、あるいは「つまらない人生」に直結すると言っても過言ではないと思います。
顕正会時代は、「生活基盤」が定まらないことで健康的な営みが害され、人として「正常な思考」は抑圧され、「時間や行動」も随分と制限されていたようです。
毎日、目の前の義務的活動にあくせくして、生き方ついて熟慮する余裕がありませんでした。
いや、あったのかもしれませんが、思考のための材料が不足していましたし、
そもそも人生のベクトルが今とは大きく異なっていたのです。
滅私奉公の封建的な世界では、自由などあってないようなものです。
もちろん、顕正会を辞めたからといって、ここに示した「7つのこと」が全ての人に共通して起こり得るわけではないと思います。
また、現役会員でも健康的な生活を送られている方もおられるかもしれません。
しかし、もしそうでなかったとしたら、一度立ち止まり、冷静になって考えてみてほしいのです。
そして、この情報が何か「気付き」のきっかけとしてお役に立てたのなら幸いです。
久方ぶりのコメントになります。
この記事を読ませていただき、私も同じだったなと、当時を振り返りました。
正に顕正会にいるとそうなりますよね。
これからも良い情報を発信し続けて下さい。
益々の御活躍を御祈念申し上げます。