初めにあったのは「膨大な意識」でした。
(中略)
膨大な意識の中に一つの「ひずみ」が生まれました。生まれた「ひずみ」は、その瞬間から解消に向かい動き始めます。
その「動き」こそが宇宙に満ちているエネルギーの流れにほかならないのです
なんと!宇宙に存在するエネルギーは「動き」であると。
今回のお話は、前回紹介した、木内鶴彦さんの「死亡体験」において、
彼が目にした、宇宙の実体について取り上げてみたいと思います。
(※参照リンク↓)
【死後の世界の体験談。木内鶴彦氏が語るリアルなあの世と人生論。】
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そうだ!宇宙の始まりを見に行こう!
人は死ぬと一体どのような状態になるかについては、木内さんのお話に基づき、前回記事で見てきました。
即ち、「思ったらそこに居る」。
「想念がそのまま行動に反映されてしまうという摩訶不思議な世界」です。
そこで木内さんは、「宇宙の始まりを見てみよう」と、思い立ったんです。
天文を学んだものなら、誰しもが一度は考えること。
それは、宇宙の始まりは本当にビッグバンなのかということです。
動き?何ソレ?
ところで、宇宙を支配するエネルギーの実態、正体が
「動き」
と言われても、ピンときません。
しかし、では木内さんが適当なことを言っているのかというと、
決して、そうとは言い切れないのです。
実は、この事実は僕が先日、別記事で紹介した「量子論と仏教と道教」の動画の中で説明されている内容とも一致しています。
(※参照リンク↓)
【量子論と仏教の話。これは解り易い!科学の発展が思想の統合をもたらす。】
つまり現在、科学的見地からもこのことは大いに明かされていて、
「ひも理論」などはまだ仮説段階ですが、その内容が示唆するのは、
やはり「動き」があらゆるものを構成している根源だとする概念です。
宇宙エネルギー=「動き」の発生源。
どうしてこの「動き」が発生したのか?
それは上に挙げたように「ひずみ」がもたらした産物だと木内さんは語ります。
って、そう言われても具体的なイメージが湧きませんよね‥。
そこで、木内さんはこんな例えで説明されています。
まず両手の手のひらをピッタリと合わせてみて下さい。
次にその手をパッと離し、手のひらの間に空間をつくります。
すると、かすかですが空気がその空間に流れ込むのを感じることができると思います。
このときの空気の流れ、これがエネルギーの流れだと思っていただくと、イメージに近いかもしれません。
更に↓
ひずみによって生まれたエネルギーの流れは渦をつくり、それによって空間に漂う塵が凝縮し、物質が作り出されます。
(中略)
渦の中で最初にできた元素は水素でした。(ガス状)
(中略)
そのガス状の元素が自重によって引き合ったり反発したりしながら、さらに大きな塊へと成長していきます。
そして極限まで成長した塊は、やがて大爆発を起こします。
この大爆発こそが、ビッグバンだとされているもののようです。
(中略)
私たちの生きる三次元世界はこうしてたった一つのひずみから生まれました。
正しくはひずみが解消に向かう過程が、三次元という空間と時間に支配されている世界だったのです。
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宇宙の実体、正体とは?
宇宙を構成しているのは、「一つの膨大な意識」なのだそうです。
ちなみにこのことは、現在、スピリチュアルの分野では、割と定説のようになっている感があります。
木内さんの話は「集合意識体」という概念と同義に思えますし、
著書中における、
「その膨大な意識は、宇宙のすべてが誕生してから今までに経験した記憶といえるのかもしれません」
とのくだりは、「アカシックレコード」を彷彿とさせるかのようです。
そうなると木内さんの話は、いわゆる「オカルト的」な分野にカテゴライズされるかのようですが、
ご本人はあくまで「科学者」を標榜しているわけです。
ここに、大変重要な意義が孕んでいます。
というのは、このことが体験と紐づけたカタチで、
「科学」に造詣の深い「木内さん」の口から語られているということです。
つまり、「双方の垣根が徐々に取り払われ、概念が一致してきている」
このことを示唆しているのではないかと思えてなりません。
月の誕生
更に、著書の中では、地球において生命体が発生したプロセスなど、
体験から語られる内容には、心が躍らされますが、
中でも殊更、知的好奇心をくすぐられるのが、
「月の誕生」について語られるシーンです。
今から約一万五千年前、大量の水分を含んだ巨大彗星が地球に大接近したのを見ました。
巨大彗星は火星の付近まで到達したとき、水分が気化し太陽よりも巨大なガス状の天体に変化しました。
そのガスは地球にまで達しました。
そしてそのガスの部分は、地球の引力に引き寄せられていきました。
ガスは地表に近づくにしたがい冷え、雨となって地表に降り注ぎます。
こうして大地の三分の一が水底に沈むほどの大雨が地球に降り注いだのです。
(中略)
地球が再び静けさを取り戻したとき、地球の三分の二は海に覆われ、多くの種の動物が死滅していました。
そして空を見上げると、水分を地球に吸い取られた巨大彗星の核が月となって輝いていたのです。
つまり月は、最近やってきたもので、
その到来を機に、地球の環境は一変した。
そのことを「この目で見てきた」と語っているわけです。
そのことが現在の天文学の見地からみて、どこまで信憑性のある説なのかについて、僕は知る由もありませんし、
木内さんもこのことについては、
もちろんこのような荒唐無稽で科学的な裏付けのない話を、にわかに信じることはできないのかもしれません。
実際に経験した私でさえ、蘇生した直後は自分でみたものを信じることができなかったのですから。
と所感を述べています。
一つの仮説として。
眉唾だ!というのなら、まずは木内さんの書籍を読んでみてはいかがでしょうか?
僕はその分野については疎いですが、仮説として見る分には十分な信憑性を有しているように思えます。
というより、木内さんの話は「真偽」の云々以前に、希望に満ちています。
それは自分が信じたものをまっすぐに貫く姿勢。
そして、それをやり遂げようとする、生命の活力、エネルギーの力強さです。
興味のあるかたは是非、円満な木内さんの人柄に触れてみて下さい。
無から有が発生するのはなぜなのか、という話はとてもおもしろいですね。
易経が好きな僕はどうしても、無極太極のマークを思い出してしまうんです。
なぜだか理由は分からないのですが、学生時代からあのタイチーマークがすきで、サーフィン関連グッズのT&C Surf Designsとか大好きでしたね。
太極図も一種の曼荼羅のようで、目にした人間の心になんらかの作用を及ぼすようです。
私は心がやすらぎます。
完全な無でも有でもはなく差異化の無限連鎖・・・外道と馬鹿にする人もいますが、易経ってなかなか奥が深いですよね。