夏に「カラマーゾフの兄弟」を読んでより、小説の虜になってしまった。
一つの作品を読み切るには、相応の根気と体力を要する。
特に面白くないものは、いっそ途中で閉じてしまうのも合理的判断のように思えるが、中盤あたりから急に展開が変わって面白くなるようなものもあるので、一概に、見極めといっても難儀である。
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古典を手に取る。
正月は7日間たっぷりと時間があったので、カラマーゾフ以来疎遠になっていた古典を何冊か手に取ってみた。
といっても、マニアックなものではなくどれも良く名の知れた大家による名作なのだが、
十代の時より偏狭な思想に傾倒して世間一般の啓蒙を意識的に遠ざけてきた僕にとって、年齢も30代に差し掛かろうとしているにも関わらず、今更ながら、ようやく文系大学生の必修レベルであろう文学作品たちに触れる機会が訪れた。
まさか、そんな自身の行為をわざわざ公にするには少し恥ずかしい気持ちもある。
だけどそんなこと言ってたら、何も始まらない。
まぁブログなんて単なる筆のすさび、神経質に構える必要はないと割り切って、読み、感じたことを吐き出してみたいと思う。
ゲーテ。若きウェルテルの悩み。
まず文豪との誉あるゲーテの人気作を開いてみた。
つまらなかった。
全然面白くない。というか、ウェルテルの煮え切らない、というか回りくどい愛情表現とも言うべき手紙の文面を追っていると、次第にやきもきしてきて、まったく読むに堪えない。
めんどくさい。
多分僕の感性が、まだこの作品を受け止めるだけの資質にまで育っていないのだろう。
もういいよ、さようならウェルテルさん。
半ばにも達しない時点で静かに本を閉じる。
ジッド。狭き門。
退屈だったのはほんの十数ページか数十ページだけで、あとは楽しく読み進めることができた。
いや、決して楽しい内容でもないのだけれど、シナリオとしても、登場人物の個性にしても、何より平易であるあたり、読者の心を掴む要素に富む、評判に適った作品に違いない。
悲劇のヒロインたるアリサの言動がまじで病んでいる。
というか女性特有の感情の機微のような、そう、男に決して理解できないあの「めんどくささ」が克明に描写されている。
「わかるわー」と思いつつ、結局主人公のジェロームと同様に、アリサの手のひらの上で転がされていたのかと、読後に気付いたとしても時すでに遅しって話。
僕自身も高校時代、近似の経験があったことがこの作品への没入を助長させたのかもしれない。
もっとも最後彼女が死ぬことはなかったが‥。
ただこの作品、名作と謳われるだけあって、確かに現代にも通底する様々な示唆を与えてくれる。
例えば、人は「理想化したい」という信念に基づく行為の暴走、その累積により現実との大きな乖離を生み出してしまうという、普遍的な思考の悪癖だ。
壊す気概を失うくらい、途方もなく大きな理想を作り上げる前に、常に現実との「擦り合わせ」という行為が必要なことをこの本は教訓として伝えているのかもしれない。
一般の平均的な読書スピードに基づけば、4時間弱もあれば読み切れるボリュームなので、手軽さと、思索の潜在性を併せ持った優れものだと思う。
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カミュ。異邦人。
これは正解だった。
読後、強烈な余韻を残したので、夢中でネット上の解説を読み漁った。
この小説ではとにかく主人公ムルソーの「せいじゃない」出来事が沢山起こる。
宗教的にも世俗的にも、世の中「理不尽」なことで溢れている。
誰のせいでもない。人間など本質的には取り巻く環境と、その流れ、潮目に従ってクラゲみたいに漂うことしかできないのだ。
ムルソーは最終的に死を主体的に選択する。あらゆる意味での「死」である。
なんだかソクラテスみたいだ。
裁判所における審問の場面は、カラマーゾフの兄弟のドミートリ―を連想させる、既視感ならぬ、「既読感」を僕に喚起させた。
この本が本領を発揮するのは、最後、ムルソーの死刑の罪が確定した後だ。
いつも平静を装っていたムルソーが独房の中で様々な思念を巡らす。更に、しまいには司祭に向かって激昂するのだ。
先に紹介した「狭き門」に比べるとページ数は半分程度しかない。超短編に仕上がっているので、古典や小説に無縁な人も、多忙な日常の合間を縫ってでも、これだけは挑戦しておいて損はないかもしれない。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
異邦人は、カラマーゾフと双璧をなす本だと思っております。
ビートたけしさんも、推薦してましたよ。私にとって、主人公の最期の言葉は自分の心の叫びであり続けています。
文学はお金儲けにはなりませんが、なんといいますか宗教とは違う力を与えてくれますね。
もし良かったら、amazonレビューに投稿してますのでお読みください。