オウム事件から20年。当時、事件を担当した元裁判官「三上英昭さん」のお話

「似たようなことは再び起きる」。担当したオウム裁判を振り返る元裁判官の三上英昭さん=札幌市の北海学園大で
*狂気呼ぶ「集団の正義」
オウム真理教による一連の事件の刑事裁判は、元信者の高橋克也被告(56)に対する30日の東京地裁判決で、起訴された192人全員の1審が終結する。20年にわたるオウム裁判は、「誤った正義」を妄信してしまう若者たちの危うい姿を浮かび上がらせた。東京地裁の裁判長として初期のオウム裁判に携わった元裁判官が取材に応じ、信者らの内面に迫った日々を振り返った。【山本将克】
北海学園大法科大学院教授の三上英昭さん(70)は1969年に裁判官になり、95年に東京地裁で始まったオウム裁判を担当した。当時の地裁は「オウム一色」。教団が新たな事件を起こす可能性も指摘され「防弾チョッキを着て出勤していた」という。
印象に残るのは、地下鉄サリン事件で自らサリンを散布したと供述し、自首が認められて無期懲役となった元医師の林郁夫受刑者(68)の公判だ。起訴内容の認否で林受刑者は泣き崩れ、傍聴席では遺族が号泣した。「法廷がしーんとした。無残な事件だと思った」。その後の審理でも林受刑者は真摯(しんし)に事件に向き合った。「(死刑覚悟で)命を捨てた雰囲気があった」という。
公判に、後に死刑が確定する教団元幹部が証人出廷した時のこと。元幹部は入廷するなり、驚いた表情を浮かべた。陪席裁判官が東大時代の後輩だったからだ。その陪席裁判官からは「(元幹部は)学生時代は立派で、こんなことをやる人ではない」と聞いた。「裁く側と裁かれる側に分かれた2人を見て、もったいないと感じた」*「救済」求め入信 矛盾垣間見えた
林受刑者の公判は異動で別の裁判長に引き継いだが、計15人の裁判に関わった。凶悪犯罪に手を染めた元信者の多くが「救済」を求め入信していた矛盾が見えてきた。「真面目な青年だったはずなのに、どこか狂っている」と割り切れなさが募った。
駆け出しのころに起きた連合赤軍事件。アジトで仲間を次々とリンチで死なせた末、山荘で銃撃戦を演じた事件を、戦争経験のある先輩裁判官は「集団の正義に支配されると、人間は理性を失うことがある。軍隊が最たるものだ」と解説した。オウムの事件にも通じると感じた。
三上さんは「正しいことだからやれ、と組織に命令されたら簡単には断れない。人間にはそういうところがあるという前提で、教育をする必要がある」と警鐘を鳴らしている。

毎日新聞2015年04月14日の記事より引用。

「国立戒壇建立」なんて錦の御旗を掲げて、

多少強引でも、ウソをついても、「救うための正義」だったはずなのに、

人生に取り返しのつかない過失を負ってしまった、元会員さんたちが本当に不憫です。

自分達が「オウムのような団体」と言われても、

Nemo / Pixabay

マインドコントロールの渦中にあっては、何のことだかさっぱりわからないんですよね。

カルトの諸問題に精通し、そのことについていくつかの著書を発行している「櫻井義秀さん」は、

「カルトからの脱会と回復のための手引き」の中で、以下のように仰っています。著書から引用します。

これらの脆弱性は当人達の素質であり、トラブルに巻き込まれてしまったことは自業自得といえるのでしょうか。個人の知識・判断力の脆弱性はかなりの程度社会環境に規定されます。経済的に頼れる人(家族)がおり、困ったときに相談できる物事のよくわかった人が周りにいてくれるのであれば、個人的なトラブルはかなり避けることができます。

今後は、カルトに対する脆弱性を明確にしたうえで、その克服方法を考えていかなければなりません。カルトへの批判は、カルトに頼らざるを得ない状況に陥った人達に十分な社会的サポートを与えられなかった現代社会を反省することから始めたいものです。

カルトを生み出した世をはかなんだり、現代を一挙に転換するような理想論をいくら唱えたりしても意味はありません。そうしたことはカルトや口先だけの評論家に任せ、地道に自分や社会を育てる方策を考えて、実行していきましょう。

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