日本で初めて全国統一を果たした武将は「織田信長」でしょうか?
いいえ、違います。
初めて実質的に日本をまとめたのは「豊臣秀吉」です。
それまで、血を血で洗うような戦国時代というのは、主に、
「織田信長」そして、
「上杉謙信」
「武田信玄」
の勢で勢力が均衡していました。
上杉も武田もそれぞれ「金山」を保有していたから資力があったのです。
また上杉には「上田衆」
武田には有名な「騎馬隊」という優秀な部隊ももっていました。
それぞれの勢力がつばぜり合いの様相を呈していたのです。
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抗争はあっけなく終結した。
しかし、なぜこの抗争が終結したのか?
それは結果からいえばとてもあっけないのです。
原因は三者の親頭が踵を接するように、バタバタと一斉に亡くなってしまったのです。
織田勢はギリギリまで上杉領に攻め込みました。
しかしもう少しというところで、織田信長が本能寺で焼かれてしまったのです。
武田はもうちょっと前に織田にやられています。
しかし、この背景には「既に信玄が亡くなっていた」という現実がありました。
跡継ぎの「武田勝頼」はあまり戦の才も、一国の主としての器量もなかったのです。
しかし、「武田信玄」は当時「生きていたこと」になっていました。
武田信玄は自分が亡くなる際に「3年間はこの事実を伏せよ」と言い残したのです。
それぞれが懐いた、日本統一の野望。
織田は勿論そうですが、
「武田信玄」も同じく日本を統一する野望を懐いていました。
僕の実家の近くの「松代」には当時武田が建てたお城の址が残っていますが、
その「松代城」は、当時「海津城」と名付けられ、
有名な武田二十四将の一人、「高坂弾正」が城主に配属されていました。
この海津城は武田軍の軍師であった「山本勘助」が設計したもので、
「海津城」の名には格別の意味が込められているのです。
大河ドラマ「風林火山」では、山本勘助が武田信玄に向かって、
「殿、あとは越後を制すれば、海が手に入りますぞ。」
というワンシーンがあります。海を臨む城だから「海津城」なのです。
このお城の位置というのは、上杉領との境目に位置し、ここを拠点に、
これまた有名な「川中島の合戦」が数度にわたって繰り広げられます。
武田勢と上杉勢、それぞれ当時にしてみれば超巨大勢力同士の「ガチ」のぶつかり合いです。
上掲の像は僕の実家の近くの「川中島古戦場跡」に隣接している公園に置かれているものです。
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日蓮正宗と創価学会と顕正会と…
この戦国時代の話と、現在の大石寺系教団の現在の状況と、
何となく構図が似ているような気がしませんか?
「どこがどこ」ということは別にして。
顕正会は勢力が若干劣りますが、やはり他にはない特有の魅力があるのは確かで、
そこを武器に、創価学会の古参幹部なんかをヘッドハンティングして人材を取り込んでいます。
創価学会はいわずもがな、超巨大組織で未だ圧倒的な勢力を誇っていますが、
やはり、この二者は日蓮正宗からの派生という過去の事実は変えられないので、
日蓮正宗サイドも本家としての踏ん張りをみせています。
しかし、どうでしょう?
顕正会の親玉も、
創価学会の親玉も、
いよいよ、代替わりしなければならないという現実に直面しています。
勿論、浅井城衛さんも原田さんも、実質会のトップという肩書ですが、
やはり、会の求心力はそれぞれ昭衛さん、池田大作さんに依存せざるを得ないという泥沼にはまってしまっています。
では日蓮正宗はどうでしょう?
現在の法主は日如上人ですが、
やはり、功績という意味では「日顕上人」の方が圧倒的に支持があるように思えます。
比べるのはあれかもしれませんが、全然存在感が違うような気がするのです。
創価学会からの総攻撃の矢面に立ったのは、他でもない日顕上人です。
育成にも大変熱心で、講義に立ち、そして多くの書籍を残しています。
創価学会や顕正会ほど、権威が特定の個人に依存するような構造ではないにしろ、
日顕上人は宗の象徴として今でも圧倒的な存在感を有している感があります。
抗争は終結に向かっているのではないか?
抗争の原因は、自分の団体の利益を貪る「欲」というのが、根幹にあるのかもしれませんが、
その手段として相手の親玉の過失をつついて、ディスるということが長きにわたって行われてきました。
しかし、それも当事者たちが亡くなり、遠い過去の話になってしまえば、
新しく会を担っていく若い人たちにしてみれば「どうでも良いこと」になります。
「どうでも良い」のに、わざわざ敵対してリソースを消耗するより、宥和して認め合った方が合理的だと考えたならば、
抗争はそこで終結します。
そもそも今の時代、それぞれが意地を張って、他者との関係を拒みながら個別に存続していこうとする姿勢は時代遅れです。
世俗に目を向ければ、様々なものが統合されてきています。
これは世俗に限らず、宗教的な面でもそうで、
特に、これからの未来、仏教徒は必然的に減少していく方向へ向かっていきますし、
今、宗派の壁というのはどんどん壊され、それぞれが「共存、共栄の道」を選択しています。
それはリベラルな流れに便乗すれば良いという安直な意味合いではなく、
譲れない部分は、それはそれでしっかりと残せば良いと思うのです。
大石寺3兄弟はこの先一体どこへ向かおうとしているのでしょうか。
学会の寄進によって建てられた日蓮正宗の末寺は、資金繰りに喘ぎながら、運営に呻吟しています。
それぞれが統合されるまではいかなくとも、包括主義的な立場に転じて、まずはお互いを認め合うという選択。
これはこの先もずっと実現されることはないのでしょうか?
「私達は創価学会ではありません!謗法団体と一緒にしないで頂きたい!」
などといって、お高くとまっている日蓮正宗の姿というのは何だか惨めに思えます。本当は苦しくて仕方ないのにね。
「K対策」や「フェイク」を使って、何とか流出に歯止めをかけようとする創価学会の姿もみっともない。
「御遺命を破壊した」などといって、見え透いた稚拙な論理で会員を欺く顕正会も姑息であり、それに踊らされている会員たちも哀れです。
「正宗に戻れ!」と、殊更に強調することはしませんが、
僕は、沢山の人で賑わう大石寺、
そして、お互い憎しみ、蔑み、罵り合うことなく、皆で信仰に邁進する姿を、
一度この目で見てみたいのです。
元々は皆が合同で築き上げた「文化」なのですから、
もう一度共有し、皆で謳歌しましよう。
「寺院消滅」は刻々と迫っています。
自分にはどれもカルトに見えてしまいます
信者を取り合いし、三つのカルトをサーフィンしているように見受けます