晩年の日蓮は、身延の山中に身を寄せ、いわゆる隠居をしています。
その期間は約9年の長期に及び、ここにおいて、遠方の弟子たちに多くの手紙を認めているのです。
そこで、多くの者が日蓮の下を訪れ、そのまま住み着いてしまうわけですが、
その様子について日蓮正宗で扱わている書籍「日蓮大聖人正伝」では、
しかし、当初の静けさも、いつのまにか日増しにふえる弟子や参詣者によって、賑やかな庵室に変わっていった。
(中略)
さらに弘安二年八月の「曾谷殿御返事」には、
「今年一百余人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。」
とあり、その数は百人以上にふくれあがることもあった。たいていの者は「私はだれそれの兄です、弟です」と、
何かの縁をたよりに大聖人を慕って集まってきた人々であった。
と書かれています。
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ほんとうは煩わしかった。
何だか楽しそうな様子ですね。
皆で和気あいあいと、日蓮もまんざらではなく、むしろ喜んで迎え入れたといった印象を受けます。
しかし、中にはこんな遺文も残されているんですね。
「いかにせき候へどもこれにある人人のあにとて出来し舎弟とてさしいで。しきゐ候ぬれば。かかはやさに。いかにとも申しへず。心にはしずかにあじちむすびて、小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず。」
兵衛志殿御返事
訳は以下。
「どんなに断っても、ここにいる者の兄だからと言ってはやって来て、弟だからと言って入ってくるので、断ることもできません。
内心では静かに庵を結び、若い僧侶と自分だけでお経を読んでいたいので、
これほど煩わしいこともないのであります」
結構、いい加減めんどくさかったんですね。
これを読むと、本当は「もう来ないでくれ、しっしっ」
と、やりたかった心中が窺えます。
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ほんとうは下痢でした。
身延山中において、日蓮は次第に体調不良に悩まされることになります。
このことを日蓮大聖人正伝では「少病少悩」と書かれ、具体的な病状については明記されていないのですが、
「中務左衛門尉殿御返事」には、
「将又(はたまた)日蓮が下痢、去年十二月卅日事起こり、今年六月三日四日、日々に度をまし月々に倍増す。」
と、あります。
訳は、
「さて、下痢の症状も、去年12月30日にはじまり、今年の6月3・4日にはとくにひどくなり、日々に回数が増し、月ごとに相当悪化する状況であります」
とのことで、
「下痢」だったんですね。
しかも、入山してから3年半くらいからこの症状は始まっているので、段階としては結構早いです。
その症状を抑えるべくして、「良くお酒を飲んだ」そうです。
ほんとうの日蓮を知ろう。
調べていくと、人間臭い一面が分かったりして、
自分が今までいかに、部分感しか知らなかったのか、
あるいは神格化していたのか自覚、認識することができます。
是非、当ブログで度々オススメしている、
「ほんとうの日蓮」を読んでみて下さい(^^)
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