前回の記事で、
「自分だけは大丈夫」、
「自分だけは騙されない」と過信している人ほど実は「マインドコントロールに陥り易い」という話をしました。
とはいえ、この「大丈夫」という根拠のない自信というのは、誰もが大なり小なり、それとなく懐いているものですよね。
このことについて西田さんは著書の中で、その理由として、人間には必ず次のような性質があるからだと述べています。
1、コントロール感の錯覚
2、他者からの影響の過小評価
僕たちは生活上、常に他者から様々な影響を受け、その影響によって半自動的・無意識にどういった行動を取るかという判断を下しているのですが、
人は得てして、自分の言動が「他者の影響によってもたらされている」という認識が薄く、そのほとんどが「自己判断のみ」によって決定したものだと錯覚をしてしまうのだそうです。
具体的にどのような場面、あるいは方法によって他者から影響を受けているのでしょうか?
解り易いように、顕正会員が後輩信者を、会の恒例行事である「ビデオ放映」に電話で誘う際のやり取りを想定して、典型的な会話の例を挙げ、該当箇所に解説を入れながら説明してみたいと思います。
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顕正会員から電話がキタ!
またか‥。今月はもうこれで3回目だ‥。いい加減相手にも悪いような気がするし、まぁちょっとくらいを聞いてやってもいいかな。いざとなったら忙しいと言ってすぐに切ればいいんだから‥。
もうこの時点で「返報性」の心理作用。何度もしつこくコールされたら誰でも大概は「このまま無視し続けるのも申し訳ない」といった感情が喚起され、本当は嫌だったとしても良心から電話に出てしまったりする。
もしもし
あ、〇〇君!?久しぶり!最近、全然電話に出なかったけど大丈夫?何かあった?
顕正会員は頼んでもないのに過度に人のことを心配する。そう、人の不幸は蜜の味かの如くに。もし相手に悩み事があれば、それは「罰」だと脅したり、「信心すれば解決する」などとこじつけるように活動を促す。決して彼らに付け入らせるような口実を与えてはいけない。
いや、別に。特に何もないけど。どうしたの?
いや実はさ、明日「ビデオ放映」があるから、たまには参加してみたらどうかな?と思って!明日とか暇!?
まぁ、特に予定はないけど‥。ビデオ放映かぁ‥。
明日は「最終日」なんだよ!今回はあの歴史的な「〇〇大会」のビデオ放映だから、これに参加する「功徳」は大きいよ!明日を逃せば絶対に一生「後悔」すると思うよ!
「最終日」とか「功徳が大きい」とか「後悔」とか並べられると、バカバカしいと思い、疑いつつも、薄っすらとそこに「価値」を見出してしまったりする。「希少性」の心理作用。また彼らは「絶対」を多用する傾向があるが、これは稚拙極まりない。
そうなんだ(笑)でも面倒だから今回はパスするよ。
そういうと思った。でもね。僕も「ビデオ放映」に出るようになってから「宿命」が変わってきたんだよね。特に「金銭面」とか「人間関係」は劇的に変わった。ところが一時期、信心がたるんでしまった時期があって、そのときは「ビデオ放映」にも出ていなかったんだけど、財布を紛失したり、バイトでもミスを連発して先輩に何度も怒られたりしていいことがなかったんだ。〇〇君もせっかく「入信」したんだから、このまま「ビデオ放映」に出ないでいるとこの先必ず「行き詰まる」よ!
ここで「賞罰論」を展開。これを出されると明確に否定できず、反論の余地が失われるため、会話は相手のペースにのまれてしまう。
そ、そうなんだ。でもなぁ、どうしようかなぁ‥。
明日暇なんでしょ!?じゃあ〇〇時に先輩と一緒に「車」で家まで迎えに行くから!それなら〇〇君は車に乗っているだけだから面倒くさくないでしょ?
相手が承諾しやすいように、要求のハードルを下げる。これは「ローボール」。
うん‥まぁ、それならいいけど‥。
じゃあ約束ね!それじゃあ明日!
電話を切る。
あぁ、言ってしまった…。嫌だなぁ、まぁOKしたからには「行くしかない」か。
そんな一見どうでも良い約束でも、人は、他者から信用を失いたくないという心理から、常に一貫した行動を取ろうとします。これは「コミットメントと一貫性」の心理作用。
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いつでも辞められると思ったら大間違い。
以上、このように顕正会員の話術(?)の中には、所々、巧妙に一時的マインドコントロールの技術が練り込まれているわけです。
とはいえ、勧誘を受けた側もさすがに「何となく騙された感」を自覚しているはずですよね。
ところが、「自分は騙されている」ことを自覚していたとしても、
「いつでも元の自分に戻れる」という根拠のない「安心感」によって、安直に教団に深入りしていってしまうことがあります。
これは上で述べた「コントロール感の錯覚」です。
また、自分が起こした言動(コミットメント)に対して、常に「一貫性」を保とうとする心理的作用も働きます。
(※参照リンク↓)
人は、教団との関わりを繰り返す中で、相手の意図する方向へ無意識に誘導され、
植え付けられた感覚や価値観が、いつの間にか自分に定着し、それが以前とは全く異なるものだったとしても、人はそのことに対してあまり深刻に考えない傾向があります。
更に、考えないどころか、教団によって与えられた、新しい感覚・価値観を、
「自分は以前からそのように思っていた」
と、本人の中で肯定的にすり替えられ、錯覚に陥ってしまうものだと、西田さんは指摘します。
先の「ビデオ放映」とは教団が視聴者に「新しい感覚・価値観」のすり込みを行うための最たる手段ですが、
では、具体的にどのような方法で行われているかについては次回。
「先入観」がもたらす「教祖信仰」。ビデオ放映・会合の意図とは?
で詳しく述べていきたいと思います。
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