彼らの信条を構成する概念のひとつに「魔」という存在があります。
まぁ存在するというより、正確には「存在を信じ込まされる」といった方が妥当です。
キリスト教関係の教団でいうところの「サタン」のようなものでしょうか。
この存在・概念を肯定するための根拠として、彼らは日蓮大聖人の御書を引用します。
『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび 愚者は退くこれなり』(御書1091頁)
顕正会員にとって「魔」は大きく二つ。「内的なもの」との「外的なもの」に分類されます。
彼らは常にこの「二方面」から働きかけに対し、絶えず警戒をしています。
彼らは一体どのようなものを指して「魔」と呼ぶのでしょうか?
以下。この「二種」の「魔」についての具体例と、「魔」にという概念がもたらす心理的な影響について、「二冊の著書」から該当部分を引用しながらお話ししていきます。
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内から湧く「魔」。
これは顕正会の信仰を退転させるための煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)の働きのことを指します。
例えば、「この信心は間違っているのではないか」と疑問を懐くことです。
更に、この感覚に対する意識が過剰になってくると、
「金銭的な欲求」や「上長への反発心」、「組織や生活への不満・不平」
これら全てが「魔の教唆」だと思うようになり、「自由な心の行き場を失い」、徐々に精神が病むようになっていきます。
外からくる「魔」
信仰に強く反対する家族、友人、活動家の創価学会員、日蓮正宗信徒。これらは「外的な魔」の代表として、常日頃より重々注意を払うよう厳重な指導が行われています。
つまり彼らは、信仰の退転を唆す他者の意見は全て「魔」の「謀略」によるものだと解釈しているのです。
「魔」は自由に人の中に入り込み、「操作」することができるとされており、
それら、自分の退転に陥れようとする「魔の入った」人の存在を、彼らは「魔民」と呼びます。
解り易いところで言えば、このサイトの存在が「魔」です。
だから顕正会員からすると僕は「魔民」なのです。
「思考停止」の技術
メンバーがひとたび組織から脱会するとか逃亡するとか思考をしようとすると、極端に恐怖を喚起してしまい、思考そのものをストップさせようとする。ハッサンはそれを「思考停止の技術」と呼んでいる。
彼らは、上述したような「魔」という、自分の信条を覆すようなアンチテーゼ(反対意見)が心中に胚胎したとき、あるいは外部からもたらされたとき。
それにつられて信仰活動を退き、「愚者」にならないよう、自己防衛反応として「思考のシャッター」を閉めます。
顕正会員との会話が困難を極める理由として、彼らは相手の意見・主張を「魔」と認識した時点で、全て「魔の教唆」として脳内で変換されてしまうからです。
つまり、彼らはまともに話を理解する能力が「全く無い」というわけではなく、「理解することを拒んでいる」状態に陥っているといえます。
思考の柔軟性の欠陥。パターンの単純化。
マインド・コントロールでは、メンバーの日常の生活をパターン化して単調にします。そんな状態にした上、メンバーは常に上司に相談し、指示を与えられることが多いために、解決方法の未知な問題には遭遇しにくくなり、意思決定に迷うことなく、なかば自動的に対処するようになります。これに慣れてしまうと人はそのパターンから外れた思考は困難になります。彼らが特に意識して外れた思考をしようとしても、いつもの枠組みをはずすことができないし、思いついても罪悪感や恐怖感が生起して自由な思考を妨げます。
自分の中に教義や組織への矛盾や疑念・猜疑心が生じたとしても、既に確固として形成されている「魔」の概念によって、それらの思考は妨げられてしまいます。
信仰に対してネガティブな思考を巡らすこと自体が「愚か」であり、考えないことをもって彼らは「賢者である自身」を維持しているのです。
「魔」を「口実」に耳を塞ぐことは、彼らが日常的に直面する生活上の問題から「逃避」するための「大義名分」を得たということです。自ら情報を遮断し、これを繰り返すことで、「健全な自己価値」は失われ、「歪んだ」人生観が形成されていきます。
「魔」という概念からの脱却。
まず彼らとディベートする際には、この「魔」の概念を取り除かなければ、基本的に会話は成立しません。
また、個人差はありますが、思考パターンは「脱会後の生活」にも影響を及ぼします。
要するに「単純化された思考パターン」が「健全化」を果すためには、「脱会できたからもう大丈夫」と安心するのではなく、
自身を「ケア」するつもりで、惜しみなく様々な「努力」をすることが大切です。
その度合いによっては、周囲の協力が必要となるケースも多々あり、
信仰の自由が法的に許されているとはいえ、人間の「健全な思考」を「著しく害する」ような団体のやり口については、「社会問題」として、積極的に世間に喚起していくべきではないかと思っています。
ご尽力お心尽くし、同じものを似た思いの中に味わった同志として心から敬意を表したいと思います。
互いに丸い 星たちの