上掲は、直近三年間における顕正新聞元旦号の会員総数について書かれた紙面。
書き出してみます。以下。
- 平成24年末時点の会員総数は「1,563,562名」内、外国人の会員総数は「11,851名」
- 平成25年末時点の会員総数は「1,625,499名」内、外国人の会員総数は「14,501名」
- 平成26年末時点の会員総数は「1,694,212名」内、外国人の会員総数は「20,269名」
- 追記> 平成28年末時点の会員総数は「1,857,841名」内、外国人の会員総数は 「33,316名」
次に勧誘成果の合計について。
- 平成25年度の勧誘成果合計は「61,937名」内、外国人の勧誘成果合計は「2,650名」
- 平成26年度の勧誘成果合計は「68,713名」内、外国人の勧誘成果合計は「5,768名」
- 追記> 平成27〜28年末の勧誘成果合計は「163,629名」内、外国人の勧誘成果合計は「13,047名」
最後に、勧誘成果の合計の中で、外国人勧誘成果が占める割合について。
- 平成25年度は、「4・3%」
- 平成26年度は、「8・4%」
- 追記> 平成27〜28年末はなんと「12.5%」
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外国人勧誘の依存度が高まっている
こうしてデータを書き出してみると、外国人を対象とした勧誘の依存度が年々高まっていることがわかりますね。
平成25年度と平成26年度では成果の差は
なんと「倍以上」。
この推移から、今後更に外国人への勧誘は激化していくのではないかと予想されます。
多い「国」は?
僕が現役会員時代(一年半前まで)、
集会の登壇等で良く見かけたり、耳にする機会の多かった外国人入信者は
「台湾人」
「モンゴル人」
「ブラジル人」
「ベトナム人」
が主で、
ごく少数ですが、「アメリカ人」や「中国人」の方もおられました。
中でも「台湾」には会館が、「モンゴル」には「総班」がありますから、上記の成果の中ではこの二者の占める割合が最も多いと思われます。
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ネパール人の勧誘について
あまり登壇では見かけませんが、実際に相当な数を占めているのが「ネパール人」
多くのネパール人の方々は、来日して「カレー屋」に勤めている場合が多く、カレー屋に赴いて勧誘を行うため、ちまたでは「カレー屋の戦い」などと呼ばれています。
僕が現役時代に所属していた組織は、この「カレー屋の戦い」の専属部隊で、支隊を構成する「8箇班中」「7箇班」がほぼ専属班としてこの活動に従事していました。
残りの「1個班」は僕の班でした。何故かというと、くだらないのであまり関わらないようにしていただけです。
なぜ「ネパール人」はターゲットにされやすいのか?
「カレー屋」の戦いの「オイシイ」ところは、「紹介」の連鎖を狙うことで「芋づる式」に大量の入信者を確保できる点にあります。
日本人を入信させることは容易ではありません。1名の成果を上げることがどれ程の難事であるか‥。
それがネパール人に対象を移すだけで「手っ取り早く」しかも「連鎖的」に成果を獲得できるなんて、「ぷよぷよ」の連鎖みたく爽快ですよね。
僕の所属する組織は一法戦中(3~4か月)に、30~40名程の成果の内、なんと9割以上をネパール人の入信者から得ていました。
他の組織でもネパール人勧誘だけで、一個班「3桁近い」成果を叩き出しているところもあれば、ネパールに渡航して「3桁」の成果を上げるグループも存在しました。
ネパール人の方々は日本人と比べると「落としやすい」のです。
これは「成果至上」の顕正会で活動する者にとって、大変「効率的」な勧誘方法なんですね。
なぜ「ネパール人」は入信しやすいのか?
それは彼らのもつ「文化」と、「仏様のお話」が、相容れ易いという要因もあるとは思いますが、
最大の理由は彼らが「商売人だから」という点です。
「入信」という行為も、広い意味で彼らの「商売」の一貫。
お店に食べに来てくれる人は皆「お客様」であり、それは相手が「顕正会員」であったとしても例外ではありません。
つまり「お客様」との関係を大事にする気持ちが前提にあり、「義理で入信をする」パターンが多いということです。
悪く言えば、「食べに来てやってるんだから顕正会に入信しろよ」と、商売を逆手に取った汚いやり口なのです。
「ネパール人の店舗責任者」や、「先に来日を果たした先輩ネパール人」を入信させることができたなら「しめたもの」。
彼らの配下のネパール人たちも同時に入信が見込めるし、更に彼らの情報に沿って国内に滞在するネパール人たちを訪ねていけば、同様の手順で「ごっそり」と成果が確保できるというわけです。
初めまして。ときより拝見させていただいております。
ネパール人勧誘は、女子部が勢力的に行っているそうです。
中には、ネパール人からプロポーズされてしまう女子部員もいるとか。
私は、現在半活動状態の会員です。
言ってしまえば罰が怖くてやめれない臆病者です。
本当に功徳と罰は存在するのでしょうか…。
私は祖父を折伏し、祖父は末期の白血病を克服して
元気になったため功徳は存在すると今まで思って来ました。
しかし、延々と続く勧誘の辛さや、かつての友を思うと
孤独感と焦燥感に見舞われます。
本当に、大将から歩兵まで皆、正義感(世間的な良し悪しは別として)
で動いている団体なのでしょうか。
今は大聖人様だけは裏切れないという思いがあり、
勤行は欠かさず行っているのが現状であります。
メールかコメントでお返事いただけたら嬉しいです。