僕が顕正会に入信したのは平成18年4月。
真剣に活動を始めたのはそこから約半年後の同年9月か10月頃。
そして会の活動の一切から退く旨を上長に伝えるに至ったのは、平成25年12月の初頭のことでした。(半年程前から徐々にフェードアウトはしていましたが。)
僕が活動に打ち込み始めた頃は、まだ御書講義も年に2回程のペースで盛んに行われていたし、顕正新聞では「やさしい教学」のコラムが連載されていました。
また先輩たちも今(僕が辞める直前)と違ってまだまだ教学を重んじ、指導の中にも巧みに御金言などを練り込んで説得力のある話をする人が僅かながらにも存在したし、またそういう人には役職もそれなりの重役が与えられていました。
ただ一方で、その頃には顕正会全体に教学を軽視するような風潮が蔓延しつつあり、「難しいことはわからなくて良い、一念信解で良い」といった機運がドンドン高まってきていたのです。
やがて数年後には御書講義は完全になくなり、顕正新聞の「やさしい教学」のコラムもいつの間にか打ち切られてしまいました。
そういった流れに抵抗するかのように、既に廃版になっていた教学誌「冨士」を先輩に求めたり、活動の合間に、極めて解説の乏しい顕正会発行の十大部の御書冊子を真剣になって読んでいたり、また、読んでわからないところを先輩に質問していたりしていた僕は、
諸先輩からすると「成果は上げてくれるけど、内心ちょっと扱い辛い異端児」のように映っていたのだろうと思います。
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暴力体質が顕著だった過去の顕正会
当時、僕が組織の仲間と話をする中に、「昔の上長は酷かった話」を随分聞かされていました。
「電話ボックスの中に閉じ込められて折伏の予定が取れるまで出してくれなかった」
とか、
「一名折伏を決めても、上長に褒められるなんていうことはなく、もっと数決めてから報告に来い!などと言われる始末だった」
とか、とにかく「昔は厳しかった」と語ってくる人が多くて、当時の僕は正直「入信がその時でなくて良かった」と密かに思っていました。
悪名高かった「S藤隊長」は、僕が入信する少し前に全く関係のない組織へ移籍になっており、
初めてお世話になった隊長は、「大量の入信報告書偽造」がバレて除名になりましたが、少なくとも当時の僕には、大変人徳のある方のように映りました。
その次に隊長に任命された方も、いわゆる「熱血系盲信者」とは一線を画する「魅力」を持っていました。
何度か直接お話してもらったり、一緒に駅まで歩いて帰ったこともありました。
正直、初めて出会った上長が「S藤隊長」だったならば、恐らくもっと早い段階で顕正会からフェードアウトしていたと思います。
時期的に恵まれていたのでは!?
僕が配属された組織は、現在の理事長が過去に隊長として指揮していたこともあり、チャリンコ2ケツして折伏に飛び回った話など、古参の方からは、そういうある意味貴重な話なども色々と聞かせてもらっていました。
こうして色々と顧みてみると、僕が入信したころは、案外ちょうど良い時期だったのかもしれません。
もし入信が早すぎたら、間違いなく暴力体質で過酷な組織での信仰活動を余儀なくされたわけだし、
もし入信が遅すぎたら、「教学無用論」が蔓延る現在の体たらくの中、日蓮大聖人の仏法の骨格を成す「三大秘法」や「一念三千」など、日蓮大聖人の仏法の「教義の醍醐味」に触れることなく、
何も考えずに、勧誘に奔走し、ヒューマンリソースを搾取されるだけのほぼ無意味な活動を何年間もするはめになっていたかもしれません。
浅井克衛氏の失脚。
僕が入信する直前、顕正会では青天の霹靂とも言うべき大変な事態が惹起していたようです。
長男、克衛さんのまさかの失脚です。
実際、浅井さん親子間に何があったのか。そのことについては情報が錯綜していて、真相は今も謎に包まれたままですが、
もしかすると一番ショックだったのは、彼を慕っていた会員たちじゃなく、後継者として一番期待をかけていた「浅井会長」だったのかもしれません。
やはり時期的に恵まれていたのだと思う。
『行学絶へなば仏法あるべからず』ですから、広宣流布を進めるためには、問答巧みな強い教学部員の拡充は必要不可欠なはずです。
この長男の失脚が契機となって、恐らく浅井会長は半ば力が尽きてしまったのかもしれません。
活動方針として、攻めるよりも囲い込み重視ともいえる、一念信解、教学無用路線に切り替えられていったのが、
この長男失脚の時期とおおよそ重なってしまうのです。
僕が顕正会に入信した時期は、「教学を学ぶ」ことに関して決してやぶさかではないといったような「余韻」が残っていたし、
同時に、一昔前の極めて乱暴な体質も徐々に和らいできていた頃、
そういう意味で、何かとちょうど良い時期だったんじゃないかと思います。
僕は顕正会を誹謗中傷したいがためにブログを書いているわけではないのです。
ありがとう!顕正会!
御紹介下さりありがとうございます。
いいように受けとれば、過去の間違いのおかげで今の僕があるかなあって、最近は思えるようにもなりつつあります。
もしも、生まれたときから法華講であったとしても、平穏に生きてこれたかどうかはわかりません。もしも平穏だったら、今のように信心をがんばってなかったかもしれません。
とにかく、最低10年はがんばらなきゃ、どうこう言っても始まらないかなあ?
まだまだ5年。
ありがたいと思う日々ですが、油断禁物ですね。
顕正会の人に一日も早く気づいて欲しいです。