「顕正会から日蓮正宗法華講へ移ったブログ」僕を窮地から救ったブログ。

セロリさん

こちらは僕が個人的に一番お世話になったブログです。

もしセロリさんがいてくれなかったら…と思うとゾッとします。

誠実で優しい人柄と、懇篤な文脈。

「文は人なり」と言いますが、このブログには「何とか顕正会員に顕正会が間違っていることを気付いてもらいたい!」という、セロリさんの切実な思いと、誠実で、やさしい人柄がにじみ出ているんですね。

例えば顕正会員というのは、こちらが何か指摘するとすぐに「でっち上げ」だとか、「証拠を示せ」なんて言いますが、

そういう人のためにわざわざ新聞等の現物を写真に撮って、画像データとして記事にアップしてくれているんですね。

コピペして、間に合わせで作ったような、内容の軽薄な記事などではなく、

ちゃんと苦労して作られているから、それだけコンテンツのクオリティーが高いんですよ。

更に、平易で解り易い説明、言い回しによって、思考停止状態の顕正会員が読んでも、ある程度理解できるように配慮されてます。

ターゲットを明確にした上で、読み手に対する「思いやり」を感じますね。ここに、このブログならではの良さがあります。

また、顕正会を論駁する側にとっても、大変有益なサイトであることに間違いありません。

過去の会長発言における矛盾点などを適切に拾い上げて、実用的にまとめてくれています。

中でも、「国立戒壇の洗脳を解きたい」シリーズが個人的にオススメです。

顕正会教義において、この「国立戒壇論」は大きな一つのバックボーンですからね。

大概、これらを一通り閲読すれば、国立戒壇論の荒唐無稽なロジックは崩れます。

それでもなお「国立戒壇!」とか言ってたら、その人は非常に残念な方だと思います。

では、紹介用に一部抜粋、転載させて頂きます。

顕正新聞 平成元年1月25日号に掲載された浅井会長の講演

「『国立戒壇』という名称を使わないからといって、それを以て直ちに違背とはいえない」

「しかし学会・宗門が放棄したのは名称だけではない。その内容をも放棄したのである。」

平成4年10月度総幹部会の会長講演

「正義は蘇りつつある」

「本年八月二十八日に開かれた全国業者講習会において、ついに阿部管長は次々のような発言をするに至ったのです」
「『…今は、主権在民だから、国民が国主なんだ、日本の国は。そうすっと(爆笑)国民が将来憲法を改正し、こういうことをしようってだけの決議ができるだけの数になればいいね。これ憲法違反じゃなく、可能であるということは、言えるな。…【国主立】という言い方にすれば、そういう面でも異論がないんじゃないかということ…』と云っている」(『』は日顕上人の発言)
「論旨のはっきりしない所はあるけれども、この中で述べられていることは、結局【国立戒壇】と同じことでしょう。
すなわち、一国の総意で憲法を改正して本門戒壇を立てるということをいっているのですから、要するに国立戒壇ということじゃないですか。」
「いま直ちに【国立戒壇】というのはちょっと恥ずかしいか、都合が悪いんでしょうね。
というのは、散々自分自身が国立戒壇を否定してきたし、また宗門の公式決定としても、【国立戒壇】は禁止用語になっている。」
「そこで、【国主立戒壇】なんて名前を変えて国立戒壇と同じ意義を言おうとしているわけなのであります。
「この阿部管長の発言はまことに重大であります。曖昧な言い回しではありますが、この阿部管長の発言こそ、まさに宗門において二十有余年にわたって否定され続けてきた国立戒壇の正義を、ほぼ認めたものである、これは極めて重大なことであります。」
そして、
「戒壇の大御本尊様への不敬解消さえ成れば、顕正会は他に求めるものは何もない」

国立戒壇は矛盾だらけ。

この二つを読み比べてみるだけでも、国立戒壇論が矛盾に満ちていることは、火を見るよりも明らかなんですね。

ざっと要約してみましょう。

浅井会長は

「名称を放棄したことが問題なのではない。重要なのは内容である。だから内容も放棄した宗門は間違いだ」

と、言いつつ、その舌の根の乾かぬ内に、以下の発言。

「宗門は御遺命の戒壇を国主立戒壇などといって、国立戒壇という名称を使用しないのはけしからん。でも日顕上人が国立戒壇の内容が正しいことを認めたわけだから、あとは正本堂がどうにかなってくれさえすれば、今の宗門に対し何も異論はない。」

こういうことなんですね。何と無節操な。同じ人間が吐く言葉とは思えません。正反対の内容ですね。

この二つの発言内容を総括すると、

「じゃあ結局国立戒壇ってなんなんですか?先生、何が望みなんですか?」

ってなりますよね(笑)

しかもその後、正本堂は解体されたわけだから、本来ならこれで顕正会は目標達成。存在価値はその時点で完全に消失したわけなんです。

あとは現場で想定されるのは、どうせ「御相承云々」と言ってくるので、そのことについてはこちらを参照に。

顕正会を論駁するのに、これだけ抑えとけばもう十分だと思います。

あとは、他愛のないことをギャーギャー喚くか、このことすら理解できないか二つに一つでしょう。

ここまで掘り下げてしっかりまとめてくれたのは、セロリさんの功績です。本当に感謝します。

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『「顕正会から日蓮正宗法華講へ移ったブログ」僕を窮地から救ったブログ。』へのコメント

  1. 名前:セロリ 投稿日:2015/04/22(水) 22:01:53 ID:463cf853f 返信

    ご無沙汰してます。
    いつもミミさんのブログ更新を楽しみにしております!
    顕正会を知らない人や、入ったばかりの人にとって絶大な効果があると思います(*^^*)

    自分のブログの紹介ありがとうございます(^-^)/

    真面目な顕正会員さんのためにこそ、マイペースながらもブログは続けていきたいです(*^^*)

    国立戒壇は今思えば本当にバカらしく感じます(((^_^;)

    • 名前:ミミ 投稿日:2015/04/22(水) 22:33:35 ID:4fcebaf22

      セロリさんへ。
      コメント&いつもブログを見に来て下さりありがとうございます(^-^)
      予定が合えば、総本山でゆっくり語らいたいものですね。豪雨じゃなくて、晴れた良い日に(笑)