春風駘蕩、うららかな季節の到来に合わせて、色々と新しいことを始めていきたいと思います。
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読者の皆様へ。
ブログタイトル変更について、連載形式でお送りしている最中ですが、
取り急ぎ、周知させて頂きます。
この度、顕正会界隈の情報・意見交換、またはそこに付随する雑談などを交わせる「場」として、
「掲示板」を新設しました。
板のトップには、読者さんたちなら、恐らく馴染みの深い、「顕正会.info」のバナーを用意しました。
なぜ掲示板をつくったのか?
先日、タイトルの文字列から「顕正会」の三文字を削除し、
もうカンケーねぇ!などと背伸びして言い張ってはみたものの…、
こうして、「顕正会」そして「大石寺」が僕の中から消えゆく事態にいざ直面してみると、
やはり、どこか寂寞とした感情に駆られたんですよね。
加えて、コメント欄に寄せられた、ささやかで温かなエールの数々。
現時点で、読者の皆さんとの「会話」から切り離された日常というのは考えられません。
約10年前に顕正会に入信。そして2年と約4カ月前に日蓮正宗に移籍すると同時に、FC2ブログで【顕正会 衝撃の真相】を立ち上げてより、
常に、大石寺・顕正会と対峙し、寄り添ってきたわけで、ブログを中心に意見を発信し続けてきました。
しかしそれは、僕のしがない意見に耳を傾けてくれた、大石寺界隈の方々の存在があってこそであり、
今後、ここの「大石寺・顕正会色」が希薄になっていくことは、そういった、現在、親しくして下さってくれている方々と、徐々に疎遠になっていくことを意味します。
そう考えると、何だかやるせない感情が湧いてきまして…。
それぞれのアイデンティティーを共有し合う、一つの居場所としての性質を残してはおけないだろうか?
僕を含め、大石寺界隈に関わる「自分」を表現し、確認できる場所…。
そこで俄かに思いついたのが、「掲示板の設置」という処置でした。
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「共に考える」を「楽しむ」!
教える側にまわることの一番の危うさとは、自分のまわりに集まってくる人たちがドンドン受け身体質の人たちばかりになってしまうこと。「インキュベーションされるヤツらが劣化していく」ってホント名言だなと思ってる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年2月10日
だからこそ人に何かを教えたい!と言うよりも、自分が精一杯楽しんでいるところに自然と集まってくる人たちと一緒に何かやったほうがいいと思う。それが結果的に、教えるという行為に繋がったとしても。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年2月10日
「一方的に教える」じゃなくて、壇上から降りて「共に考える」という方向性にシフトしたいと思っている人が多いのはおもしろいなぁ。なんでなんだろう?でも確実に今は、セミナーよりもそっちの方が時代に合っているとは思う。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年2月10日
上掲はブログ「隠居系男子」を運営されている鳥井さんのツイート。
このツイートについて、もう少し深堀りして言及されている記事がこちら↓
もの凄い頭の良い方ですね。記事を読んでいて鳥肌が立ちました。
こんなこと仰ってます。リンク先から引用。
作り手と受け手の間の双方向性を大切にし、その考える姿勢や知恵のようなものを共有するメディアをつくってみたかったのです。(中略)
今は一つの答えだけを提案したところで、本当にフィットするのは、ごく一部の限られた人たちだけになってしまう。そこに汎用性は全くありません。
であれば、答えを提示するだけではなく、そこにたどり着くまでの“考え方”の部分を共有する。各人が自身の置かれた状況の中で判断し、その環境の中で一番最適な解を導き出す為にはどうすればいいのか?その“知恵の部分”を共有するしかないのだと思うのです。
そしてそれこそが、これからの時代のメディアの役割だと僕なんかは思うわけです。
何か忘れていたメディアの「存在価値」として、最適解を提示して下さってるような気がします。
今までのやり方
今までの、ウチのやり方というのは、
まず、Q&A的な情報提供。
これは「教える」という性質のもので、事実、実態を伝えることにフォーカスしたコンテンツ。
ここに「濃い会話」は存在しません。知識を深め、納得して帰ってもらうだけです。
それ以外は、一方的なオピニオンの投げかけ。
こちらは、その内容に対して「読者さんが思ったことを書き込み、僕が回答を述べる」という、やり取りが展開されています。
ただし、ありきたりで、且つ、柔軟性のないルールみたいなものに縛られた閉塞感は否めません。
勿論、「ブログ」というメディアの性質上、当然の格好なのだろうと思いますが、
それは、折角、闊達に意見が交わされるべき可能性を秘めた「種」を蒔いておきながら、
その萌芽を自らが摘み取ってしまうという、ジレンマを抱えているというもの。
例えば僕が、「これはおかしい!」という意見を提起し、
それを閲覧した読者が、「いや!そんなことはない!」と考えたとしても、
わざわざ苦労してそういったコンテンツを作成し、
しかも半ば個人情報を露出した上で、あえて「これはおかしい!」と揚言しているという、
多大なリスク前提に勝負している人に対して、
いちいち横から口を挟むような気概を持ち得ている人というのは、かなり奇特な部類でしょう。
「この人はこういう風に思ってるんだなぁ~。ふ~~ん。」と。
普通はそんなもんですよね。
「あぁ、この人には多分言っても定見を曲げることはないだろうなぁ~」と。
だって、「僕と、投稿した論客さん」という限定的なやり取りの域を出ないわけですから。
他の人が、気軽にその会話に参入できるような雰囲気というのを、ブログのコメント欄という空間で提供することは出来ませんので。
仕方ありません。
なので、これは「言い放つ」みたいな色が濃いわけですね。
Twitterなら可能
ただし、それを可能としているのが「Twitter」で、
めちゃくちゃ楽しいので、みんなやれば?と思うのですが、
なんせ参画する方が少ない、その理由は、わざわざアカウントを作成してまで発信し辛いのでしょうか?
存在を構えるわけだから、話しかけられたら応答しなければなりませんので、
そういった煩わしさがあるのかもしれません。
コメント欄の利点
その点、ブログのコメントというのは、言いっぱなしが可能で、
何か意見を投げても、それに対する「責任」をいちいち踏まえる必要がない。
「いいぞー!」とか、「お前バーカ!」とか、本来コメントとはその程度のものなのかもしれません。
しかし、最近の当方におけるコメント欄の様相に目を移してみると、
現役会員さんでは、「勝さん」が、精力的に意見を提示して下さっており、
その他大勢の方(まとめてしまってすみません)も、割と濃厚な反応を示して下さっています。
一つのテーマの下に会話が発生しているので、基本的に本題から軸がブレないし、
他者の容喙の余地を与えない雰囲気を醸し出すことによって、発信者の「主体性」を保護する利点などが挙げられるかと思います。
なので、悪く言えば、「コンテンツのブラッシュアップに貢献する読者さん達」と、「それを喜ぶ発信者」という構図があるので、
頑なにそこに加担したくない読者さんの意見を、悉く封殺してしまっているわけですね。
コメント欄とTwitterの「中間」としての意義。
Twitterのようなオープンな雰囲気、
コメント欄のお手軽さ、
「掲示板」とは、そういった性質を併せ持ったコンテンツではないかと思います。
また、ある程度、運営者の管理の影響下にも置くことができます。
どういった体制で管理していくかは、場の自由度を損なわない条件の下、様子を見ながら決めていきます。
「楽しい」から続けたい。
で、実はそういった意見を下さる方々との「会話」が、僕自身凄く楽しいんですよね。
これは続けていきたい。
もっと議論の枠を広げていきたい。
更に、この場を移さずに実現したい。
結構、ワクワクしているんですよね。
なので、僕が一番張り切って投稿する可能性がありますw
まぁ、そもそも、僕に対して鼻持ちならない方は掲示板にも来ないでしょうから。
少人数、クローズドな空間で会話を楽しみたいのです。
ちなみに、「厳虎独白」などは、掲示板に性質が近いですが、どちらかというと、コメントレスみたいな状況になってますよね。
積極的に議論の間に立って、会話を進めるというスタイルではない。
大体、タイトルが「独白」ですからね。至極当然の格好なのかもしれません。
掲示板の特徴
作るからには、他の掲示板と差別化したいと思います。
まず、大きな特徴は、
板に書かれた内容を「検索エンジン」に反映させません。
ブロガーの方や特定のHNで色々なところにコメを投下している方の多くは、
「エゴサーチ」って、恐らく、やった経験があるかと思います。
例えば、「ぷー太郎」というHNの方なら、Google、Yahoo!の検索窓に「ぷー太郎」と打ち込んで、サーチをクリックすれば、
もし爆サイなどで、悪口が書かれていれば発見することができるわけです。
傷つきますよねー。
勿論、意図して書き込んでいる方がおられるのかもしれませんが、
いずれにしても、「記録」として残り続けしまうのがネットの性質というもの。
この度開設する掲示板では、そういったしがらみを「遮断」します。
クローズドな空間です。
まさに談話室で展開される「支隊座」的コンセプト。
この部屋を外から覗くことはできません。
掲示板の性能
ぶっちゃけ、僕自身、まだこの機能に関して、良く理解していませんw
誰でもお構いなしトピを立てられるとなると、野放図に荒れ果てていきそうな懸念はありますが、
設定の仕方が良くわからないので、今のところ自由にトピ立てられるようになってます。
試験運用の段階ですね。利用する中に色々体得していこうかと思ってます。
取りあえず、「雑談」というトピ立てますので、何か提案があれば、色々、気兼ねなく、
マイルドでも、ストレートでも、アイロニカルでも、ラディカルでも、
何でも、書き込んでください。
掲示板のルール
基本的にそれぞれの良識に基づいて頂ければ結構です。
もし、長文で何連投もする方が出て来たら、それはその時に、都度考えて追加していきます。
勿論、参加資格は問いません。
日蓮正宗も顕正会も、はたまた創価学会も。正直、見通しがつかない状況。
教団が成長期であれば、何も取り立てて問題を提起する必要がないわけです。
しかし、大石寺3兄弟は、明らかに斜陽、左前であって、
内部で眉を曇らせている方、放りだされた、あるいは自ら去った会員、信徒たちというのは、
明確な指針、基盤を失った状態であって、そこに明確な答えを見い出せていません。
三者という枠を越えて、共に、考える場。
多様な考え方に触れることで、自分を確認する場。
必要ではないでしょうか?
上手くいくかはわかりませんし、あまり人が来ないかもしれませんが、
互いにいがみ合うことなく、建設的な会話を、安心してできる場として、
運営を試みたいと思います。
ブログのトップページのサイドバーから利用できるよう、設置しておきます。
それではご自由に何なりと書き込んで下さい。
ミミさん おはようございます! 精力的な活動お疲れさまです(^▽^)/
掲示板創設おめでとうございます!(おめでとうで合ってるのかな(笑))
何だか新しいお店の開店祝いを、出すような気分ですね(* ´艸`)胡蝶蘭の花飾りでも ^^) _~~どうぞ!
このノリ…以前私は性マイノリティので、某掲示板(ミクル…ってバラシてるやん!)って利用したことありましてね…。
実は嫌な思い出しかないんですわ…。
楽しい時はええけど、一旦風向きが変わったら…。荒らしや侮辱・ネット上で顔も見えない、名前も本当か分からない、そんな状況だからまぁ酷かったですね。
”開店”早々に水を差すような!とお怒りになったらごめんちゃいですm(__)m。
私、”入店拒否”若しくは”入店不可”になりまへんかね( ´艸`)
失礼しました~
愛国 清澄 拝