書く気力がない。
何故だろう、僕の場合大概土日といえば、丸一日空いているので、記事を書いたり、ネタについて調べたりしているんですが、
不思議なことに、昨日、今日と「全くその気が起きないのです。」
まるで「得たいの知れない何か」が書く気力を打ち消しているかのように、イライラばかりが募ります。
「書くことがない」わけでもなく。かといって「疲れている」わけでもない。
「なんだこれは?」「その正体は如何に?」
そう思って「ブログ 書く 気力起きない」とググってみたら、
出るわ出るわ、同じくこの不可解な症状に悩まされている方達の記事がズラリ。
「なんだ、結構いるではないか」
幾分か「モヤモヤ」と「イライラ」が和らいだところで、同時に少し書く気力が回復したように思えました。
ということで、「文章を書く気力が起きない」をテーマに、たまには記事のクオリティとか度外視して、思うがままに書き殴ってみるのもいいかなと、
そう思った次第です。
僕は良く「しゃべります」
「本来は」良くしゃべります。そもそも僕は、相当「自己主張」が強い人間です。
この「本来は」とはどういうことか。
普段、職場での僕は「寡黙」なタイプ。仕事上、自分の意見を口に出すことは滅多にありません。
勿論、人それぞれ、「立場」「その場の空気」といった、理性が働くため、自分が思ったことを率直に口にできないということは社会生活を営む上では往々にしてあることだと思います。
ただし僕の場合、「一般的なそれ」とは違う次元だという自己認識があります。
自分の主張を意識的に封殺してしまうという感じでしょうか。
柔軟性がないので、あけすけに「言い過ぎて」しまうのです。
なので、大概は意見した相手には「あいつは変わり者だ」という印象を与えてしまい、
その失敗経験によって心に内在する「恐怖」が、自分の意見を過剰に封殺してしまうのです。
「本来は」良くしゃべる僕にとって、これが物凄いストレスです。
職場でディベートが行われるときも、
「この人たちはなんて稚拙なことを言っているのだろう」
と、高みの見物をしながら、僕はやはり「寡黙」な人間を貫きます。
とはいえ、もし「君はどう思う」と振られたならば、
抑圧されたものが一気に開放されたが如く、マシンガンのように何時間もしゃべり続けるはずです。
恐らく、周囲はそんな僕の性格を既に察しているのでしょう。
なのでディベートにおいて、僕の意見を求められることは基本的にはありません。
「面倒くさい変わり者のガキ」でしかないので、そういう限られたシーンにおいて僕は「空気のように」扱われます。
こういうのは、僕の中で「もの凄いストレス」なのです。
ストレスは「脳疲労」を誘発します。
よく帰りの車中では、頭の、特に前頭葉の部分を指でマッサージしながら帰宅するくらいなので、
相当なストレスを感じているはずです。
そして、そのストレスの正体は、「主張を相手に伝えていないこと」ではなく、
「表現する行為」にブレーキをかけている「恐怖心」に対してではないかと、徐々に気付き始めたのです。
ですから、「主張を許される」などして、その「恐怖心」が取り除かれた瞬間、一気にそれは放出されます。
「ブログ」はその放出する対象であるべきはずなのですが、
多くの人の目に触れるという前提があるせいか、この厄介な「恐怖心」が喚起されてしまい、
結果として「書く気力が起きない」という事態を招いているのだと考えられます。
でなければ説明がつきません。
先に述べた通り、僕は相当自己主張が強いタイプです。
主張したいネタも山積していて、全く尽きる気配がありません。
なのに「書く気力が起きない」というのは、つまり、
「自己主張が強い故に、自らが生み出してしまった恐怖心」が、「主張・表現」という行為を妨げていたから。
概ね、そのような結論で間違っていないはずです。
世間の目を憚ることなく、主張したり表現できたならば、どんなに気持ちが良いだろうと切実に思います。
だって、実際ここまで書くのに1時間も要しているにも関わらず、
これが恐らく、しゃべったならば、たった2分くらいの内容でしかないのですから。
つまり、タイピングに当てる時間を控除して考えれば、
「58分」もの時間を「恐怖心」という「自らが生み出したブレーキ」の作用によって損失しているわけです。
今回、「書く気力がなくなる」という、まぁ言ってみれば壁のようなものに直線したことによって、
いかに余計な観念が「自縄自縛」していたかを明らかにすることができました。
いつかはその「恐怖心」を払拭し、「本当の心の自由」を手にしたい。
夢のような話です。恐らく経験したことのないような「爽快感」を味わえることでしょう。
とはいえ、現実的には、それを完全に取り除くことは不可能かもしれません。
少しは残しておかないと、確実に暴走してしまうので、そういう意味では人間である以上必要な機能ではあると思うからです。
なので、どこまで「コントロール」できるかでしょう。
これは「読み書き」とは別次元の「鍛錬」、或いはもっと核心に迫った「自己分析」が必要なのかもしれません‥。
と、取り留めの無く、大変締まりの悪い内容になってしまいましたが、
まぁこうして一通り、「表現」できたことで、そこそこ「スッキリ」することができました。
読者の皆様、今回はこのようなものでご勘弁を(^^)
ミミさん、お久しぶりです♪
書く事が本当に好きなんですね^^
私は歓喜することで書く気になるタイプかなw
ストレスも適度に解消しなくてはね~☆