現役顕正会員「自殺未遂」の報に接して。

2・3・4月法戦、〇万〇千〇名の大法弘通の「報に接し…」

この「報に接し」って顕正会では登壇発表などで本当に良く耳にする文句ですよね。

その「報」というのは「こちら。」昨日、投稿されたYahoo!知恵袋における質問案件です。

私の母が多額の債務により自殺しました。

一行目だけ読んでびっくりしましたが、二行目に、

現在母は発見が早かったため、ICUにおりますが
意識は戻っております。

とあるので、どうやら不幸中の幸い、現状では「未遂」で済んでいるようです。

正直、今回この話題を取り上げるべきか否か迷いました。

でも、やっぱりこういう事実って、特に「現役顕正会員」は他人事のようにスルーしてはいけないと思うんですよね。

顕正会員に情報を伝えるに当たって、ネットを介するというのはあまり有効的な手段ではないですが、

それでも「知っておいてもらいたい」という切実な思いがありまして、

今回、このことについてあえて取り上げ、微力ながら彼らに訴えかけてみようと思います。

ということで、意図的に記事タイトルには「彼ら、お馴染みの文句」を挿入してみました。

彼らの目に留まればいいんですけどね。でもまぁ多分活動家は見ないだろうなぁ~…。

経済的困窮が理由か

質問案件の文中には「多額の債務により」とありますが、

実のところはどのような心中だったのでしょうか?

本当のところは御本人でなければわかりませんが、

もしかしたら、経済的な困窮が直接的な原因ではないかもしれません。

顧みれば僕も、現役時代は相当経済面で逼迫していました。

東京で一人暮らししていた時は、電気・ガス・水道等が供給停止に追い込まれ、

ときわ台の「マックのトイレ」にしばらく立て籠もっていたこともありました。

何でって、「マックのトイレ」の方が、家よりずっと「快適」だったからです。

「会館に近い」し、「明るい個室」。なんてったって「トイレの水が流れる」んですから。

しかし思えば、そんな状況に至っても、「生きることに対するモチベーション」はかなり高く保たれていました。

当時、「三日に一度」くらいのペースで、同級生等を中心に積極的に勧誘に当たるなど、

かなり忙しく動き回っていた僕は、「妄信的な充実感」に満ち溢れていたのです。

信じ抜いてきたものに裏切られたときの精神的ショック

熱心な活動家顕正会員にとって、最も精神的ショックが大きいのは、

「唯一無二の正しき団体」と強く信じ抜いてきた顕正会という存在が、

「実は間違っていた」のだと悟り、

「信仰活動の意義を完全に喪失したとき」

ではないでしょうか。

ある意味、これは人生を根底から否定されるようなものであり、同時に人生の道しるべを失うようなものです。

上述したように、僕が経済的な困窮に余裕で耐えることができたのも、

もしかしたら「運が良かっただけ」なのかもしれません。

もし当時の状況下において、突如、顕正会への「信」が崩壊するような事態が身に起こっていたならば、

間違いなく、絶望感と悲壮感に満ちた「抜け殻」「生ける屍」のようになっていたでしょう。

経済的な困窮に加え、尚且つ生きる「理由・目的・原動力」を失った僕は、Yahoo!知恵袋における質問者さんの「お母様」と「同じ末路」を辿っていた可能性というのは「大いに」あったはずです。

心の受け入れ態勢を

現在、顕正会では基本的に「浅井会長の存命中に広宣流布」という信条を柱として、会員の信念が成り立っているのでしょう。

しかし浅井会長も「人間」です。

遅かれ早かれ、必ず「別れの日」は到来するのです。

その時、純粋で熱心な活動家たちは、何を思い、どう動くのでしょうか。

余計なお世話かもしれませんが、

「xデー」を迎える前に、その事実を受け入れる「心のスペース」を確保しておかなければならないはずです。

強かに乗り越えるべく、心のレジリアンス(精神的回復力・耐久力)を強化しておかなければなりません。

【※ 浅井先生は病気?はい糖尿病です。ポスト浅井昭衛について考えよう。】

そのためには「思考に柔軟性」をもつことです。

「依存的な価値観」から離れて「本来の健全な自己価値を取り戻して下さい」

「漠然と日々の活動に流されることなく、一歩立ち止まって、自分の将来を案じて下さい。」

「他人の世界に生きることなく、自分の幸せを真剣に考えてあげて下さい。」

「自分の素直な欲求に耳を傾けて下さい。」

「先生がいない世界でも生きていける人生の意義を見つけて下さい」

そして、

今回取り上げた「事件」を決して他人事だと思わないで下さい。

小さな声かもしれませんが、僕から現役会員の方に向けてのメッセージです。

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