今まで、あまり公に口に出してはきませんでしたが、
正直、金銭的な対価無しにブログ運営など、到底考えられませんね。
なぜ、このことについて、あえて口をつぐんできたのかと言えば、
それは勿論、扱っているテーマが「宗教」という、非常にセンシティブな性質のものだからです。
「宗教をダシに金儲け」
という批判は想像に難くないし、それだけが目的だと思われるのも嫌ですからねー。
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宗教で金儲けする奴は、悪質なカルトの教祖と同じだ。
もし「仮に」そういう批判をなさる方がおられるのであれば、
そういう人に対しては、この際だから言わせてもらいます。
無料ブログが、なぜ「無料」で利用できるのか?現実的に考えたことはありますか?と。
仕組みが理解できれば、そういった偏執的な考え方も改まるはずです。
僕は、今まで「カルト」に散々搾取されてきました。
挙句、そこへきて更に無償で奉仕するなど、さらさらゴメンですね。
適正な対価の享受は、より良いコンテンツを生みだしていく上で、欠くべからざる大切な要素です。
しかし、このことが創作活動の根本理念や、純粋な言論活動の域を凌駕して「唯一の目的化」されてしまうと、
モラルハザードを引き起こすと同時に、自己の創作意欲も一気に減衰するので、
バランスを保つことは重要だと思います。
通過点における一つの成果ではあるが、「目的化」するべきではないわけで、
言うまでもなく、内容や能力が伴っていないのに、過剰な対価を望むと自爆を招きます。
とはいえ、大義や理念だけで走り続けられるほど、人は理性的に設計されていません。
いや、中には無償でも「貢献感」を原動力に、モチベーションを維持できる方はおられるかもしれませんが、
それは恐らく、「あまり健康的ではない」と思うのです。
信仰活動も同じでは?
宗教だってそうなんです。
その宗派が、
「一切、功徳はありません。この実践と個人の幸福とは何の関係ありません。」
と説いたならば、果たしてどれ程の信者がその教団に残るでしょうか?
敬虔な方は、「善行に対する適切な報いがあるだけであり、棚ぼたなど期待しない」
というかもしれません。
しかし、だったら、題目唱えたり、伝道する、その時間を「社会奉仕」に充てた方が余程、健全だし、理に適っています。
にも関わらず、俗的な実践項目以上に、宗教的営為にウエイトを置く、
その心底には、超越的、神秘的な「付加価値」への淡い期待が存在します。
安居楽業を獲得し、身の自在、潤沢な資金を得て、
「幸福になったからその宗教は信じられない」
なんて奇異な考えは、ふつう起こしませんよね。
幸福と信仰活動の間に関連性を見い出した時点で、とりもなおさず、信仰の「対価」ということを認めているのです。
隷属的な信条は、俗的領域におけるパフォーマンスを制限します。
ブログを「布教」のためのツールとして考え、金銭的な報酬の享受を潔しとしない方も多くおられるかもしれません。
言い換えれば、ブログ運営の対価を「聖」に求め、「俗」的な対価を得ることに後ろめたさを懐く人は少なくないはず。
しかし、ネットは「俗」の世界ですから、「聖」に標準を合わせるばかりでは、まかり通らないことも多々あるのです。
「俗」の領域で力を得ていくためには、「聖」にしがみついていては、そのポテンシャルを制限することになります。
余談ですが、そもそも現代社会は資本主義のシステムの中に成り立っています。
今、図らずも僕らは産業の技術革新の恩恵に浴することができていますね。
現在利用中のインターネットもその埒外ではありません。
では、その資本主義の根本精神はどこで誕生したのか?
宗教社会学者の巨匠、マックスヴェーバーは、カルヴァンをはじめとする宗教改革にその端緒があると説きます。非常に定評のある論考です。
まず、聖の領域と俗の領域を区分して、俗的な営為に対し、聖の視点から新たな定義が加えられたことにより、利潤の追求が正当化されていったというものです。
これを「布教のためのブログ運営」と「収益化」ということを関連付けて考えたときに、
ヴェーバーの説いた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、
本質的に通底するものがあり、有益な示唆を与えてくれます。興味のある方は勉強されてみて下さい。
あえて原本である古典を読まずとも、巷の宗教社会学の本を開けば、大概、そのアウトラインが紹介されています。
島田先生の新刊、宗教消滅 資本主義は宗教と心中するの中でも、平易な解説を見ることができます。
人生金じゃない?
「良く、人生金じゃないと言う人がいるが、それはおかしい。人生金だけじゃないと言い換えた方が良い」(By 斎藤ひとり)
ちょっと考えればわかることですが、何をするにしてもパフォーマンスを高めるためには、資金があるに越したことはないわけです。
財源は、外部から調達するよりも、その事業の中で運用した方が、当然無理がありません。
ところで、僕がこうして明け透けもなく「金儲け」に言及している時点で、
理解のない読者さんは颯爽とこのブログから去っていくことでしょう。
しかし、「ネットは無料が当たり前」などという既存の通念は、今後、徐々に崩壊していくと思います。
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安心してブログを続けるために、収益化は大事。
発信力を高めるため、執筆、創作に傾注したいのであれば、
その活動を助成する環境を、自らが積極的に整えていく必要があります。
まず、ブログを書くという行為に消費する時間は多大なものです。
僕の場合、もしブログ運営に収益が伴っていなかったとしたら、
恐らく、「そんなことばかりしてないで家のそうじでもしろ!」
と、妻に怒られますw
例えば、パチンコが趣味の方も多いかもしれませんが、
もし毎回勝ってくるならば、家族も笑顔で送り出すことでしょうw
良いコンテンツを作成するためには、情報や機材もお金を出して買わなければいけません。
趣味の範囲だから…、閲覧数も少ないし…
と謙遜する必要はありません。多くの人は僕なんかよりもずっと優れた能力があるにも関わらず、
明らかに、有効な機会を損失していると思います。
僕は今後、更に収益が上げれば、PCもDELLからMacに格上げして、作業効率を高めたいし
多少値の張る書籍であったとしても、購入して研鑽したいですね。
欲を言えば、家族サービスもしたい。
ブログは個人メディアです。
ブロガーは皆、「マイ・カンパニー」の社長なのです。
教祖に額づき、隷属的に奉仕することが「美徳」だとすり込まれてきた環境から脱却した、その時から、
僕は、そういうった自覚を意識的に、高く維持することに努めてきました。
何より、健全な向上心無しに、説得力に富む力強い言説を生まれないと思っています。
最後に、その方法についてですが、その形態は実に多様であるため、自分に適した方法を模索し、採用すれば良いでしょう。
無料ブログのままでも収益化は可能ですが、できることなら「自分だけの専用のドメイン」を取得した方が、他にも様々なメリットが期待できます。
FC2→ワードプレスへ移転した「3つ」の理由。僕が選定したサーバーについて。
さて次回。
なぜ僕は「宗教」が好きなのか?
そして、新しいブログタイトルに込めた「意味」などについてお話します。
私もせっかくの趣味を活かしたいと思いつつ、なかなか行動に移せていません。今はまだ時期的にもアクティブに動くのは早いかなと思ってますが…。顕正に費やした時間とお金、諸々取り返したいとは思っています(;∀;)今度は毎日快活に、楽しく!