先日の記事からの続編となりますが、今回は「ユング」の提唱した「箱庭療法」に絡めてお話します。
僕は、ブログを利用して「文章を書く」ということは、この「箱庭療法」と類似の効果が得られるんじゃないかと思っています。
まずは「ユング」についてですが、一体どのような人物かというと、「スイスの精神医学者。」であり「 分析心理学の創始者です。」
ユングは「フロイト」という人物を師としましたが、後に考え方の方向性の違いから、決別することとなります。
例えばこんな違い。
「フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。」(Wikipediaより)
上記から、フロイトよりユングの方が「信仰」に対して寛容だったという姿勢が窺えます。
そういう点では、信仰を経験した人にとって「比較的受け入れ易い」思想なのかもしれませんね。
では肝心の「箱庭療法」とはどのようなものか。
これは、「表現力の治療」を行うために確立された「心理療法」です。
実例を示すのが一番解り易いと思いますので、
「ユング心理学へようこそ」から該当部分を引用させて頂きます。
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箱庭療法の実例
対象:
「授業中も落ち着きがなく、時には同級生に暴力をふるうこともある」という小学校低学年の男子。
自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)が疑われたが、検査の結果、それらの障害ではなく
心理的な問題が原因である可能性が高いことが分かった。最初の治療:
落ち着きなく、次から次へとおもちゃを手にするという状態。箱庭療法を始めてみても、ただ無秩序におもちゃを置いているだけで、
全体的なまとまりやストーリーがなかった。⇒自分自身の心の中がうまく整理できていない状態を伺わせる。
両親とのコミュニケーション不全を疑わせる結果。治療に現れた変化:
回を重ねていくうちに、どう猛なワニやライオンといった動物や銃を手にした兵隊など、攻撃性を感じさせるモチーフを多用するようになった。
そこからさらに発展して、救急車や病院なども登場し、「攻撃を受けて傷ついた人を治療する」
というストーリーが感じられるようになっていった。最終的には、山や川が流れる里山のような場所に、家々が立ち並び、
動物や人が仲良く暮らしている…というようなイメージの箱庭が完成した。⇒厳しい父親に対する攻撃心、
過保護で一方的に愛情を押し付ける母親 への反発心…等、心の中で抑圧し続けてきた感情が箱庭に現れていった。
今まで表に出せなかった感情を表現できたことで自分自身の心の中のエネルギーをうまくコントロールできるようになり、
攻撃性は薄れ、全体としてまとまりのある箱庭を作れるようになっていった。結果として、学校での暴力行為もおさまり、
授業中も落ち着いて席に座っていられるようになった。
抑圧された感情を解放する。
自身の心の奥にある「抑圧された感情」は、
「文章を書くこと」で喚起され、
「知覚」できるところまで「浮上」してくるんですよね。
つまり「発露」することは、その「感情の発生源」の「確認作業」であり、
発生源にフォーカスすることによって、その正体が詳らかとなり、
「適切な対処の仕方」がだんだんと見えてくるのです。
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ブログ運営という「心理療法」
ブログサービスを利用して文章を書くことは、自分1人でできる「心理療法」ではないかと思います。
また文章を書くこともそうですが、「テンプレートのカスタマイズ」も一つの「表現のカタチ」ですね。
なるべく沢山の人の目に触れさせたい情報ならば、サイドバーでも上の方にもっていくだろうし、
記事下に挿入するという手段もあります。
ヘッダーや背景画像でも「自分のカラー」を出せますし、
無料ブログサービスでも、カスタマイズ性の高いものは多く、
初めから有用なプラグインも多く実装されているテンプレも存在します。
ブログを運営するということは、箱庭を作る作業と同じ。
特に僕のような「カルト宗教」に身を置き、「マインドコントロール」によって精神的ダメージを被った人間にとって、
この治療を実践する価値は大きいと思います。
ブログの目標
過去に自分が執筆した文章を読み返したときに、
こんな表情。
実はこれよくあることで、そのままだと恥ずかしいのでその都度リライトかけてます。
でも実はこれ、ひとつの「成果」なのです。
つまり、以前よりも「心の中がスッキリと整理・整頓され」、「自分を分析する能力が向上した」ということです。
要はそれだけ「成長をした」ということなんですよね。
僕はこのブログを通して、書く気力がなくなるか、あるいは何か外的な要因によって記事の更新が不可能な状況に追い込まれるその日まで、
「治療」という「挑戦」を続けていきたいと思っています。
ミミ様、更新ありがとうございます。
当ブログの柔軟な思考に助けられています。
いつも感謝しております。