「九月度総幹部会④」 茨城つくば支区の登壇が物議を醸している。避難所での折伏行為である。私は正直なところ当該のくだりをよく覚えていない、申し訳ない。勿論、顕正会の非常識ぶりは今に始まった事ではない。かといって看過できるものではない。諸氏は被災者感情を配慮すべきだろう。
— すかいみかん@顕正会 (@sigmoidalcurve) 2015, 9月 29
「九月度総幹部会⑤」 同女史の登壇で私は以下が気になった。 【鬼怒川氾濫による被害が大きかった地域は、特集号配布による逆縁者が多かった地域である】と。 昨年の広島土砂災害と同じ煽り文句だ。【信心してて良かった、助かった】だけで良いのにどうして余計なことを喋ってしまうのだろうか。 — すかいみかん@顕正会 (@sigmoidalcurve) 2015, 9月 29
やっぱり…やってたんですね。 「避難所での勧誘活動。」
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天誅、天罰!?彼らの「二元思考」は「公害」。
「顕正会の信仰に随順しない者は、あまねく不幸に見舞われる。」
「被災した原因は、顕正会が信奉する“日蓮大聖人の仏法”を蔑ろにしていること。」
「災難から逃れる術は唯一つ。顕正会に入会し、会長、浅井氏の教えを素直に実践すること。」
彼らの信条を端的に叙述すると、つまり、こういうことなんです。
強引な勧誘活動、その心根にあるのは、偏狭な善意、そして正義です。
惨事に乗じ、
被災者たちの苦悩、悲嘆につけ込んで、
思想の正当性をこれ見よがしに喧伝するのです。
小鼻をうごめかして、「ほら、言わんこっちゃない」と。
叩かれようが妬まれようが、そんなことで彼らは決して屈しません。
それで「本当に人を救える」のだとガチガチに信じ切っているからです。
燃えるような使命感に立脚する彼らの信念は、こうした布教活動によって更に補強、先鋭化されていきます。
害悪を撒き散らさないで下さい。
【鬼怒川氾濫による被害が大きかった地域は、特集号配布による逆縁者が多かった地域である】
「彼らは間違った信仰をしているから、こういう悲惨な目に合うのだ。私たちは正しい信仰をしているから守られるのは当然。」
こういう理屈で彼らの信条が成り立っているのです。
すかいみかんさんの言うように、「信心していて良かった、助かった」だけで良いんですよ。
それを内輪で喜び合い、内部で完結すれば良い話なのです。
そもそも、「功徳と罰」の線引きってなんでしょう?
これ以上社会に毒をまき散らさないで下さい。
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広島の土砂災害でも同様の煽り文句。
すかいみかんさんがいみじくも言い得ているので、
そのまま言い回しを拝借しました。
さて、過日の広島土砂災害に対して、顕正会は具体的にどのような見解を示したか、 振り返ってみましょう。
上掲は当時発刊された顕正新聞。
「この天変地夭こそまさに諸天の戒め。」
要するに、 「あそこは日蓮大聖人に背いたから天罰が下ったのだ」
との趣意でしょう。
傍からみれば何か顕正会が「調伏」しているかのような気がして、気持ち悪いですよね。
彼らの目指すところは「広宣流布」でしょう。
到底「教えを広く宣べ、流布させたい」という人達の言動とは思えません。
人を脅して会員を獲得する。
災害の発生を耳にする度、
過去、そのような過激な思想に共鳴してしまった自分を恥じる思いに駆られるのです。
こんにちは。
私も顕正会員だったので分かるのですが、多くの現役さんは、
「他人の不幸は密の味」
となるのだと思います。
現に、パラパラ茜と名乗る顕正会員がブログで展開する自論などは正にそうとしか言いようがありません。
被災地に折伏に行くというのも、実は被災地の人々を救いに行くのではなく、そういう行為をすることにより、
「俺達はこんな目に遭っていないから幸せなんだ」
「こいつらは仏法をやっていないから不幸なんだ」
と思うのです。
それを実感しに行くわけです。
つまり、
「人を不幸を蜜の味にしないと幸せになれない宗教である」
ことが露呈しているわけです。
で、それに気づいていない顕正会員達……ですね。