前回の記事では、信徒の条件や定義について個人的な考えを書き綴った。
参照リンク→日蓮正宗信徒たる条件とは何か?
話が少々長ったらしくなってしまったので改めて帰結だけ記しておこう。
要するに僕が思う「信徒たる条件」とは、あくまで本人が自ら棄教を宣言しない限り、他者が自分勝手な料簡でその当否を判断すべきではないし、そういった判断を下す際に依拠すべき、いわゆる宗内規定のようなものがあるという話は聞いた事が無い。
もちろん不文律というか、信徒としての徳目があることは否定しないが、もしそこに矛盾が存在するならば、一度、漫然と従う自己の姿を客観的に見つめ直し、漠然とした既成の信条の是非を問い直してみるべきだろう。
当サイトの一連の投稿は、そういった概念的整理を促進するための、いわば情報材料の提供を義としているわけだ。
さて、続きを記そうと思うのだが、正直なところ、彼の言い分をまともに受け取っていたら、とてもじゃないけど収拾がつかない。
しかし折角なので一つだけ取り上げておこう。
彼は僕の言うことに対して「どうでもいいこと」と放言した。つまり傾聴して、忖度しようという態度が微塵もないわけだ。
これでは彼の自己満足以外の何ものでもない。
むしろ、僕に対する私怨が根底にあるのではないかと思わせるような口ぶりである。
果たして、彼は本当に「僕をお寺に誘うため」に連絡をよこしたのだろうか。
今回は彼の「真の意図」にメスを入れていきたいと思う。
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今までのやり取りの経緯。
一旦、ここまでの経緯を簡単におさらいしてみよう。
一連のやり取りの先頭記事はこちら→法華講員から届いた「御講」参加を促す陳腐なメール。
彼はお寺へ行こうと言った。
僕は嫌だと言った。なぜそれをしなければいけないのか理由を問いかけた。
彼はいいから黙ってお寺に来いとの旨を以て解答。
僕はちゃんと彼の気持ちを添えた上で納得のいく説明をと要求した。
彼は日蓮正宗にはもう戻らないのかと質問してきた。
僕はちゃんと質問の内容やこれまでの経緯を理解してね、との思いを込めて確認を求めた。
彼はそんなものはどうでも良いことだと一蹴し、人と会って普通に話せることは素晴らしいことで、顕正会に関する資料は捨てた方が良いと提案してきた。
わけわからん。
メールの真の意図が徐々に明るみに‥。
では、さっさと次に進もうと思う。
以下、前回の受信メールに対する僕の返信内容。
だから僕が言いたいのは貴方は一体何のために連絡をよこしたのか?ということです。
目的がさっぱりわかりません。
人を小馬鹿にして、謝りもせず、不快にさせて何がしたいのか。
鬱憤が溜まっているのならネットの掲示板でも利用して下さい。
貴方からは屁理屈「すら」も出てこない。芯がないんですよ。
何か熱意があって伝えたいことがあるならそれ相応の理屈は最低限用意すべきです。
人間としてのマナーではないですか?
「ただ、やれ」というのは強制であり、それを信じる側も盲信というものです。
貴方は顕正会で何を学んだのか?
カルトサーフィンをいつまで続けているのか?
目的と手段を履き違えていては世の中は渡れません。
少し省察してみては如何ですか?
改めて、
貴方は「何のために」連絡をしてきたのか?
相手に不快感を与えている自覚が本人にあるかどうかはわからないが、
過去記事に書いたように、もう既にこの時点で僕は何度か怒り心頭に発している。
とにかく「目的」を明確にしてもらいたいというのが第一義だった。
実はこのあたりで、僕の中に釈然たる思いが浮上していた。
それは、彼の目的は「別」にあるんじゃないかという疑惑である。
一緒にお寺へ行くことが本当の目的ではないのかもしれない。
いや、絶対そうだ!
ミミ君(注、僕のこと)は日蓮正宗に入信し〇〇寺所属の信徒です。しかしお寺へ通うことも信徒と接することもまだ分からないような内にお寺を離れてしまいました。もし、日蓮正宗の信徒ではないというのなら早く御本尊を返しに来たらどうか。
私の管轄なのです、参詣を促す。
もし再び信心するなら、今度は自分の意志でどうぞ。
自分の意志で顕正会を離れてしかも日蓮正宗に辿り着いた奥さんは、やはり信徒に喧嘩を売るようなことは言わないでしょう。全く要らないような難しい言葉などを使ったりもしないでしょう。要するに簡単なのですから。信心もあるでしょうし、大人なのだと思います。しかしミミ君、あなたはどうですか?副講頭に乱暴な口をきいたり、自分がまだ分かっていない普通の信行も自分でその道を【軽く】塞いでしまうのです。これは一般的なこと、分かってないようなので一応伝えますが、『能ある鷹は爪隠す』というでしょう、修羅の人の場合、戦略的に隠し、後でここぞとばかりに出したりするのでしょう。しかし誠実な人の場合、最初から最後まで出しません、そんな邪魔なもの。争いは避けるのが普通ですね。
私達には法華講の先輩の姿は貴重なお手本だと思います。良い振る舞いの勉強です。
『人の振る舞いにて候いけるぞ』障害についてですが、自分では普通と思って気付かないこともあり、色々と勘違いがあるものです。自分の不得意なことや、どうしても無理なことがあると思いますが、誰もが「治る」「直せる」と思ってしまうので居心地になったり独善的になったりしてしまうこともあります。
私達は、普通だったのが顕正会でおかしくなったのではなく、元から顕正会に辿り着いてしまうような者です。顕正会で、本来もっている命が露骨に表れたものです。
『妙とは蘇生の義なり。』
確信的だった。
そして疑いは晴れた。
相互理解を困難にする認識の相違。
彼は御本尊の返却を催促している。
お寺に通うことを以って信心した「気分」になる、ということが分からないうちにお寺から離れたことを彼は残念に思うのかもしれないが、
それについて僕は、例えば「顕正会の素晴らしさは浅井先生の講演を何度も拝聴しないと分からない!」といっている顕正会員の勧誘文句と同じレベルで、「分からない間に足を洗えて良かった!」と、内心ホッとしている。
そして、そのお寺の人々振舞を手本にした結果が現在の彼の言動に表れているとするのであれば、模範となる人たちもロクな人間じゃないことは察するに余りある。
あと副講頭というのは誰のことだかさっぱり分からない。
多分、「普段お寺に通ってない人」だから知る機会がなかったのだろう。
更に毎度理解に苦しむのは他でもなく、人を障害者だと言い切って憚らない彼の態度である。
なぜ彼は僕のことを障害者に仕立て上げようとするのだろうか?
呆れてしまって、僕は障害者じゃないよ、と改めて教えてあげる思いすら湧いてこない。
「やっぱりこれは挑発だ!」
明らかに彼は参詣を促してはいない!
「目的は何か?」との質問に対し、「御本尊を返せば?」との旨が返信内容に盛り込まれていた。それは、直截に言うには障りある彼の本意というものを推知するのに十分過ぎる程の材料であった。
ほーーーーぅ。
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法華講を辞めさせたい。
そういうことか、謎が解けたぞ!
つまり、こういうことだ。
僕は現在ネット上で法華講員を名乗りながら、不遜な言動を繰り返している。
しかし、法華講員の条目として「見ず、聞かず、言わざる」の原則があるから始末に負えない状況だ。
お寺に来ないから指導教師が介入して糺すこともできない。
であれば、感情を煽って、もし僕が「辞めてやらぁ!」ということになれば、あちら側としてはしめたもので、
僕が自ら法華講員の立場を放棄したという言質が取れれば、「部外者からの批判」ということで処理することが可能となる。
僕が法華講員を標榜する限りにおいては、例えば創価としても「日顕宗では内部からも批判の声が上がっている」などとしてfake誌などに取り上げる際に恰好のネタとして利用すること請け合いだ。
fake誌は主に内部に向けて効力を発揮するものであるが、僕が「真面目な」法華講員であるかどうかなどネタとして扱う分には、そのような事情など取るに足らない些細な問題に過ぎないだろう。
つまり宗門側にとって僕は、野放しにしておくと何かと害のある存在にも関わらず、
かといって、謗法者と断定して指弾するには今ひとつ大義名分に欠いている、というのが現状なのだ。
「そういうことだったのか!」
いや、そういうことでもなければ、わざわざ「参詣に誘う」という口実を設けて、そのこととは全く関係のない傷害的文句を一方的に羅列して送り付けてくるようなマネ自体、その真意を図りかねるというものだ。
それならば先の「日蓮正宗にはもう戻らないのですか?」
とのメール内容についても納得がいく。
彼はつい本音を漏らしてしまったのだ。彼の中で僕は既に「部外者」であって、メールの真の意図として、何としてもそのような既成事実を作り上げたかった、ということに違いない。
実は目的は他でもなく、そこにあったのである。
彼の本音はどこにあるのか?
参詣を促していることについては予てより承知してます。
目的が他にあるんでしょ?
要するに貴方は僕が法華講を辞めることを願っているわけですね。
僕が「辞めた」と宣言した証拠を取るために煽っている。
もしそうでなければ、貴方の言動は全く理解できません。
それと、乱暴で失礼なことを言う人にたしなめられる筋合いはありませんね。
ということで、素直に聞いてみた次第である。
さて、真意を暴かれた彼の返答内容は如何に?
次回へと続く。
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