スマナサーラ 私はちゃんと答えを返しましたよ。「生きているものは誰だって死にますよ、しかし、そればかり考えていては面倒くさいですよ」と。
イケダ 面倒くさい(笑)
スマナサーラ 当時、お釈迦様は無神論者たちに訴えました。「死後があると言う人もいるし、ないという人もいる。そんなことはどうでもいいのだ」と。
イケダ どうでもいい(笑)。なるほど。
スマナサーラ とにかく、生きている間は、「殺さない、盗まない、邪な行為をしない、嘘を言わない、無駄話をしない、粗悪語を話さない、噂話をしない、余計な欲、余計な怒りを管理して、客観的に物事をみることを守りなさい」と言ったのです。そして、「すべての生命に慈しみを育ててみなさい」と。そうすると、死後がないとしても、この世の中を立派に生きてきたあなたの勝ちです、となるのです。幸福三昧です。では死後があったとしても、同じくあなたの勝ちです。死後があったら立派に生きてきたこの人は当然よい死後のはずでしょ?
イケダ そうですよね。
スマナサーラ 死後がなくても何の損もないんですね。だから両方とも勝ちなんです。ですから、今の生き方をしっかりしなさいということです。
上の会話は、プロブロガー「イケダハヤト」さんと、
スリランカ出身の僧侶「アルボムッレ・スマナサーラ長老」との会話を、
そのまま対談形式で綴った、仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学~ (合冊版)の中の一コマです。
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Index
日本人の一般的な「死生観」。
大乗仏教は、日本人の死生観を生成するにあたり、多大な影響をもたらしました。
それは土着の思想と結合し、他国には見ない日本固有の観念を作り上げたのです。
もっとも宗派によって扱う経典が違いますから、そこから語られる死生観というのは多様ではありますが、
中でもとりわけ「死んだら仏様に成る」といった考え方は、ごく一般的な社会通念といっても過言ではないでしょう。
人間が死んだらどうなるか、日本人に聞いてみます。すると、幽霊(魂)になって、しばらくその辺にいる、と答える。それからどうなる?と聞くと、三途の川を渡って、極楽に行き、仏さまになる。これが平均的な回答です。「お陀仏」というくらいで、人間は死んだら仏になると思っているのです。
(※出典 世界がわかる宗教社会学入門 橋爪大三郎著)
「死んだら成仏」定着のプロセス。
この考え方が、日本人に定着させる契機となったのが、浄土教信仰の浸透と言われています。
日本に浄土教信仰が広まったのは、平安時代中期の天台宗の僧侶「源信」が「往生要集」を著し、それを弘めたことに因由があり、
その後、「法然」や「親鸞」によって急速な広がりを見せます。
浄土教信仰は、基本的には「死後」に救いをもとめる教えですから、
「亡くなること(涅槃)=仏様」という概念が成立し、
これがそのまま、日本人の死後に対する、一般的な認識として広く受容されていくことになったわけです。
上掲の絵を見たことがあるという方は多いと思います。
これは、浄土教信仰における世界観を表したもので、
「早来迎(はやらいごう)」などと呼ばれますが、
つまり、死んだら仏様がソッコー迎えに来てくれるというものです。
Amazonプライムナウよりももっと早いのです。
あっという間に仏の世界、つまり極楽浄土へと招待されます。
釈迦が説いた「死生観」。
しかし、これはあくまで日本仏教における死生観であって、
本来の仏教、釈迦の教えとなると、
実は「死後の世界については一切言及していません。」
このことは先日の記事でも示しましたが↓
釈迦は、弟子たちのいくつかの質問に対して、回答を拒否しているのです。
これを十四無記といいますが、「死後」というキーワードに該当する項目は以下の通りです。
11、如来(修行完成者)は、死後存在するのか?
12、如来(修行完成者)は、死後存在しないのか?
13、如来(修行完成者)は、死後存在し、且つ存在しないのか?
14、如来(修行完成者)は、死後存在するのでも、しないのでもないのか?
死んだ後のことを考える必要はない。「今が大事」。
釈迦に言わせれば、死んだ後のことをあれこれ憶測するよりも、
「今、目の前にある問題に真剣に取り組みなさい」
ということなのです。
これは意外な見解ではないでしょうか?
「悟ったのだから、それくらい解るでしょう?教えてくれたって良いのに‥。」
と、思わず不満を漏らした弟子も中にはいたかもしれませんね(笑)
とはいえ、この時点では釈迦といえども「死んだこと」はないわけですから、
「体験、経験」として語ることには無理があります。
死んだ後の世界のことは、「死んだ経験のある方」に聞くのが一番手っ取り早いのです。
(※参照リンク↓)
【死後の世界の体験談。木内鶴彦氏が語るリアルなあの世と人生論。】
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仏教(釈迦の教え)は宗教か?
およそ宗教は、「死後の世界」はどのようなものかを明かしています。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、一神教には一神教の「死後」が説かれ、
日本仏教という宗教の中でも、上に挙げたような死生観がキチンと教義として盛り込まれ、体系化されているのです。
しかし、本来の仏教ではそのことは説きません。
仏教は、釈迦の教えは「宗教」と呼べるのでしょうか?
「仏教は宗教ではない。」
勿論、日本仏教を否定するわけではありません。日本文化の形成に資する重要な役割を担ったのは、紛れもなく北伝経由の大乗経典です。その意味では大きな価値を有しているでしょう。
しかし。
もし仏滅後、教団の作為によって変質した死生観ではなく、
釈迦の本意をダイレクトに伝える、「原始仏教」の世界を覗きたければ、
「アルボムッレ・スマナサーラさん」の著書はその導入に当たり、
極めて有用な資料となること請け合いです。
売れ筋のものをいくつか挙げてみましたので、興味のある方は是非参考に。
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