「七色十色 *いつもココロに 顕正ライフ*」元総班長の叫びに万感交到る。

七色十色

今回紹介するブログは「七色十色 *いつもココロに 顕正ライフ*」 、「瑠璃堂みう」さんのブログです。

このブログは、「瑠璃堂みう」さんが、顕正会員として過ごした「12年間」と、「うつ病」を患った経験などをもとに、「無所属、そして顕正会OG(オールドガール)という立場・視点」から「顕正会」について語り明かす「啓蒙サイト」。

会が抱える諸問題について、「心の在り方」や「信仰」をテーマに深く按ぜられ、潜心熟慮の末に仕上げられた一つ一つの記事には、

まるで「魂」が宿っているかのような、「作品」としての重みと奥深さを感じさせてくれます。

豊かな感性と卓越した表現力から、ポエミーな文調を通して伝える「瑠璃堂みう」さんの切実な思いは、「現役顕正会員への真情溢れる手紙」のようです。

そしてなんとブログ歴は「10年」。最近のエントリーではウイットに富んだ、ユーモア溢れる投稿が多い傾向。

過去のエントリーでは、当時の心境が「生々しく」発露されています。

勿論最近の記事も良いのですが、僕は特に古い記事の方に魅力を感じます。これらは、一見、いや、じっくり読ませてもらう十分な価値があります。

ご紹介のため、部分的にピックアップさせて頂きます。

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信に破れ、信に救われし、わがいのち。

信に破れ/信に救われし/わがいのち。
2007年 06月 29日

信じなおす、とは生きなおすこと。
それは、過去から目をそむけずに、現実をしっかりと見つめ、
自身が得たもの失ったものを、世の中に還元してゆくことではないか、と考えているのです。

かような精神で書かれているのですね。

純粋に「信じる」ということについて大変考えさせられます。

そこで僕は思うんですが、

「信じる」ということについては、「自由」というものが保障されているんですよね。

自由ということは「個人レベルでの権利を有する」ということです。

「組織」というのは「後発的」なものでしかありません。

「信じる」ということは本来、「組織云々」とは全く次元の異なる「個人の心ありきの概念」であり、「どこまでいっても自発的」なものなのです。

組織に唯々諾々と従う受動的な「信じる」スタイルより、かえってどこにも属すことなく自発的に「信じる」ということについて対峙する方がはるかに困難なことですし、

そういう困難に真摯に向き合う姿の方が、実際に「輝かしい」という事実を「瑠璃堂みう」さんは証明しています。

今回はブログ紹介が趣旨なので、このことについての僕の所感は時間があったら後にじっくり書きたいと思いますが、

とにかく、このブログは魅力が満載です。

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「普通」と「異常」の境界線。

続けてこちらの記事です。

「普通」と「異常」の境界線。
2007年 10月 30日

おそらく元会員の中でも、「異常ではない」と述べているのは、私だけでしょう。
かりに法華講員、顕正会員、元会員であっても、個人ごとに意見が分かれる議題でしょうね。
①顕正会員は「異常」である
②顕正会の一部の人間だけが「異常」である
③顕正会員は「異常」ではない
(中略)
じつは、私が顕正会員に対し「異常」という言葉を使わないのは、意識的なものでなく、
ごく最近、溜まった原稿を整理している間に、ふと気づいたのです。
当ブログでこれだけ顕正会の誤りを細かく指摘している割には、
「異常」この言葉、使ってないよなあ、と思いましてね。
なぜだろう?
ひとつには、私自身が犯罪や貧困、病気や死という人間のダークな領域に接する機会が
多いためではないかと思います。手前の職業や経歴はご想像に委ねるとして、
人間が生きながらにして抱える複雑さやドロドロしたものの近くに住んでいますと、
その人の心にある悪や矛盾や愚かさは自分にもあり、条件さえ揃えば自分にも起こりうる、
まさに異常であって異常でないと思えます。
確かに、顕正会には法律に抵触する行為だけでなく、目を覆いたくなる疑惑や不祥事が溢れて
ますね。世間的に見ても、会員の行いや顕正会の姿勢は、まさに「異常」でしかないでしょう。
これらの愚行や歪んだ組織体制を美化せずに「異常」として認識し、訴えていく事は肝要です。
それでも顕正会には形式的な数値とはいえ、毎月、数千もの人々が入信します。
在籍中、私と同じような軌跡をたどる人もいるでしょうし、一歩間違えれば私だって
総合女子部長(ムリムリ!)いや、頑張れば区長にはなったかも(ハッタリ)。
私がたびたび会員の純粋さや生真面目さを語るのは、一連の不正不実を容認し擁護するに
あらず、この「異常さ」の裏側にあるもの、日常に転がる必然性を表現したいがためです。
ひとりの人間が、顕正会組織の中で、後戻りできぬ地点まで登りつめていく、
こうして日々、当たり前のように連鎖してゆく現象を「異常」の一言で包括して、
自分だけは安全圏かのように感じてしまうことに、抵抗を感じるのです。
じつに、顕正会の誤りを提唱し訴えていく為には、幾通りもの手段や方法があるのだな
と思います。

顕正会は外部からは罵倒の嵐ですが、元顕正会員にとってこれは普通に考えれば「過去の自分に対する罵倒」でもあるのです。

自分がそこの組織に属した過去があるということは、自分がそこに共鳴する性質を持ち合わせていたからであり、

更に、そういった性質、つまり心理的な「原理・原則」というのは、人間である限り、必ず誰しもが持っているわけです。

過去の自分の環境に対する「むやみな否定」はイコール「自己否定」なので、

特に、そういった思考や、行為というのは大変愚かしいものです。

「過去」と「現在」は異なるものではありません。現在の「自己否定」は自分の「未来」に対する「否定」でもあるのです。

過去の自分を「愛し、認めてあげる」ということができる「瑠璃堂みう」さんだからこそ、上掲のようなことが書けるのだと思います。

本当に感慨深い記事が盛りだくさんです。

また、それらの記事は多くの人に感銘を与え、同時に「救うコンテンツ」としての存在を確立していることでしょう。

ちなみにTwitterにも注力されています。

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