戦後の創価学会は、信徒数の増大は爆発的、まさにうなぎ登り。
「折伏大行進」のスローガンをぶち上げた戸田城聖氏。
氏は会長推戴式において、「自分が生きている間に75万世帯」という折伏目標を設定されましたが、
結果、目標を大幅に上回る飛躍的な前進を遂げていくことになります。
1956年には「50万世帯」を達成。
更に、1960年には「300万世帯」。
1964年には「600万世帯」の大挙を成し、
指数関数的、破竹の勢いで版図を拡大。
大行進の怒涛の足音が日本列島全体を覆いました。
SPONSORED LINK
大行進が残した足跡。
彼らの布教の性質は、攻撃性と排他性を含みましたので、それが、社会との大きな軋轢を生んだようです。
現在の団塊世代の方に訊ねると、大概、一度は創価学会の勧誘を受けた経験があるのだから驚きです。
うちの父親は66歳ですが、やはり青年期に彼らのお誘いを受けた当事者です。
大勢の信者に囲まれ、断るに断れず、次第に危機感を懐いた父親は、
「ちょっとトイレ行ってきます」
トイレの窓から逃げたそうです(笑)
父親に限らず、年配の方に創価学会の名を出すと、眉をひそめる方が多いですね。
彼らの大行進は、当時一つの「社会問題」に数えられる状況を招いたことが窺い知れます。
そのような最中、
ある事案が発生しました。
それは、当時の創価学会の所為を象徴するかのような、大騒動へと発展していきます。
「小樽問答」です。
「小樽問答」。
1955年(昭和30年)に日蓮宗妙龍寺と日蓮正宗妙照寺所属の創価学会とで論争が起こり、日蓮宗側は宗門幹部を派遣し公開法論に臨んだ。弁士として創価学会から教学部長と青年部長が、司会として青年部参謀室長兼渉外部長だった池田大作が参加。創価学会員が聴衆の7割を占めていた事から 議論は創価学会側の講師に拍手と声援を送る一方、日蓮宗側の講師には激しい野次や嘲笑を浴びせるなど一方的な展開になる。後に、日蓮宗は創価学会とは一切法論を行わないと各寺に通達した。
上記はWikipediaからの引用分に一部捕捉を加えたものです。
法論を通して聞いていると、池田大作氏のスピーチをはじめ、日蓮宗を激しく指弾し、圧巻する当時の創価学会の姿はまさしく「気炎万丈」。
大変勇ましい印象を受けます。
SPONSORED LINK
実際に動画を視聴してみる。
で、この対論の音源がyoutubeにアップされているんですよ。
現在の大石寺系教団に見る特有の体質、
上述した、攻撃性、排他性を知る上で大変有用なコンテンツであり、
これは、彼らの原点を「音声化」したものと言っても過言ではないと思います。
池田大作氏のスピーチは4分を過ぎた辺りからですが、
図太い声で、勇ましく決意を述べています。
法論が開始されます。
日蓮宗側は、創価学会が、世間の秩序を乱すカルト宗教であることを読売新聞のコラムを引き合いに強く指摘します。
創価学会側は辻氏が答弁します。
早速、本尊論に持ち込む論法。
まぁ、小樽問答の動画は他にもYouTubeにアップされているので、お好きなものをお聞きいただければと思います。
とにかく、最後まで視聴して頂ければ分かりますが、創価学会サイドから飛ばされる激しい「ヤジ」に、日蓮宗サイドの僧侶が委縮してしまい、
最終的に法論会場は、とてもまともな法論とは言えないような惨憺たる状況になってしまいます。
何だか日蓮宗の僧侶がかわいそうです。
教材として有益。
これ、案外と再生回数が少ないんですが、大石寺系教団に属する人間は全員一度は視聴しておくべきだと思います。
「温故知新」と言いますが、このやり取りから、学べるものは少なくないですよ。
まず第一に宗教者としての謙虚さ。
それから創価学会の教義、更には自分達のイデオロギー、宗教観は、どこからやってきたのか?
それら曖昧な概念をより具体化し、覚知し、
抽出されたものを如何にに組織的な営為に投影していけるかが重要なのだと思います。
この記事へのコメントはまだありません。
コメントをどうぞ