近年、創価学会が大胆な教義変更を矢継ぎ早に打ち出している模様。
顕正会もそうですが、元はと言えば、日蓮正宗から派生した教団ですから、教義信条も日蓮正宗のものを基盤、原形として受け継いだ姿が随所に見られ、
それは大前提となる「日蓮本仏論」に然り。あるいは大石寺が所持する「戒壇本尊」への信仰などは、その骨子とも言える既成信条であったわけです。
ところが運営の主体が日蓮正宗から離れてしまえば、差別化を図る為、教団の独自性の創造にベクトルが変化していくのは至極当然のこと。
それぞれの教団の方針に合わせて、その論理性を担保すべく様々な言説が生まれ、横行する。
こういった現象は、現在という時局、大石寺系という枠に限定された話ではなく、人間というものに付いて回る、普遍的な性質であり、自然で「よくありがちな」流れ、ということになるんでしょうね〜。
さて、いきなり話はそれますが、哲人「ニーチェ」は、キリスト教に対し「奴隷道徳」という表現を使って、徹底的に批判を浴びせました。
しかし、それは「教会権威」によって作り上げられた「価値観」や「そのドグマ」に対する批判だったのであり、
決して「イエス」を否定したわけではありません。
また同様に、「ニーチェ」は「釈迦」を批判することはしていませんが、
もし、彼が現代に蘇って現在の「大石寺系教団」の姿を見たら果たして何と言うでしょうか?
「教会以外に救いの道は無い」と言って憚らなかったカトリック教会は、第二バチカン公会議を経て、排他的な態度から、他との協調性を重んじる方向へと転換を遂げました。
近年のローマ教皇のスピーチからは、独善的な色合いを感じることはほとんどありません。
僕は、もし特定の宗派の教義を深く学んでいくのであれば、同時に反証やアンチテーゼにもしっかりと対峙していくという姿勢、態度が極めて大切だと考えます。
批判に対して耳を塞ぎ、自己完結的に悦に入ろうとするならば、
途端に謙虚さを失い、保身的で偏執的な人格が形成されていくことでしょう。
またそれは、物事をありのままに見る「悟りの境地」からは程遠い在り方だと言っても過言ではありません。
仏教では涅槃に至る基本的な修行の方途して「八正道」を説き、それは「正見」から始まります。
「正見」とは、「正しく物事を見る」ということです。
片一方からの情報ばかりを鵜呑みにした、狭い世界観から論じる「正邪」なんて、
稚拙なヒーローごっこにしか見えないのです。
知識は膨大かもしれません。
しかし、仮にも「正邪」を論じるならば、自宗で説かれる「教学」を超えた、横断的な考察が必要であり、
そういった地道な作業を無視した、中途半端な「正しさ」の論証など、
所詮、取るに足らない戯言でしかないでしょう。
完全に中立な言説などあり得ませんが、それぞれの立場から語られる客観的な大石寺を知る上で、僕がオススメしたいサイトをいくつかご紹介したいと思います。
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(ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録)
「はてな」の紹介文からの引用です↓
ファビョる大石寺信仰をディスります
明治以来の代々法華宗信者、俺の代で造反しますた。
未だに鎌倉時代の定石で現代を乗り切ろうなんて、甘いわ!
ガッツリ似非折伏宗を逆伏したるわい。
ということで、こちらは教義的にかなり深い部分まで掘り下げた論考が行われています。
どちらかといえば、「大乗仏教」全般に対しての反証ですね。
読み進めるためには、少々高度な仏教的な知識が必要かもしれません。
おぉ…。
まさに「魔」を連想させるようなプロフィールアイコン。
まるで大石寺信徒たちを「退転」の道へといざなうかのようです…。
(怪しい教説、カルトな話題)
対話形式でとっつきやすい文体。
こちらも大石寺系に焦点を絞った批判、というより大乗、就中、日本仏教全般に対して疑義を投げかけています。
先に紹介した、「正宗系観察日記」もさることながら、こちらも情報が精査されており、大変説得力に富む内容に仕上がっていると言えそうですね。
連載形式になっているので、過去記事から順に読み進めていくと良いでしょう。
(※追記 2017年2月23日の「はい、さようなら」の投稿を以って更新が打ち切りとなっているようです。長い間お疲れ様でした。)
創価学会「非活」の「運ちゃん」さんが管理、運営をするサイト。
主に創価学会の問題点について言及されていますが、日蓮正宗信徒、法華講員においても、
今の創価学会を知る上で、
また、日蓮正宗が教義上有している問題点を知るという二つの意味合いで、
僕が最も読むべきだと思うブログの一つです。
読者に深い説得を与える文章力と、知性溢れる考察力が特長的。
社会問題にも良く触れており、とても勉強になるので定期的に閲読しています。
Twitterでも積極的にツイートされてますね。
共感するものが多いので、良くシェアさせてもらってます。
「論破できるものならしてみなさい」
と言わんばかりですね。
批判を上手にかわすのも良いですが、たまには正面から向き合ってみてはどうでしょうか。
山門入り口さんの「星界の道」については、過去に当ブログで紹介しておりますが、改めてピックアップしておきたいと思います。
こちらのサイトでは主に顕正会について触れることが多いですが、日蓮正宗の問題についても度々提起されていますね。
ちなみに、上で初めに紹介した2つのサイトの存在についても、知ることになったきっかけはこちらのブログで紹介があったことによるものです。
積極的にコメントを入れている論客さん達の意見を見るのも面白いですよ。
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問題や誤りは掘り下げていけばキリがない…。
以上、ここまで4つのサイトに絞って紹介させていただきました。
もっとも日蓮宗サイドからは予てより数多の批判言論が行われてきましたし、
近年の例ですと、その最たる方として「犀角独歩」さんが有名ですね。
また「大乗仏教」についても、近年では、上座部サイドから積極的に批判が挙げられているようです。
ただしこれらの論考については難解なものも少なくないため、今回は比較的読み易いものを厳選した次第です。(他にも沢山あるのかもしれませんが…。)
日蓮本仏論、大乗非仏語説、如来蔵思想…
まぁ、これは日蓮正宗に限らずどの宗派にも言えることだと思いますが、
教義上の矛盾など掘り起こせばいくらでもでてくるものです。
矛盾があって当たり前、故に「信」を帰趨とするのが「宗教」ということなのでしょう。
ただし、そういった自宗が抱える数々の矛盾をなおざりにして開き直るのではなく、
認識し、受け入れて、可能な限り解消していこうという謙虚な姿勢こそ、長い目で見れば大きな信用の獲得へと通じていくのかなと。
得てして人は、他人の誤りについては良く見えるものですが、
翻って、自分のこと、自分の所属宗派のことになると途端に見えなくなってしまうものですよね。
先日、ブログにコメントを入れて下さった「ぎん」さんの言葉を借りるならば、
「こちらも正しい あちらも正しい
あちらは間違い でもこちらだって間違い」
現在の大石寺系の教義からこういった帰結に導くのは難儀なことかもしれませんが、
今後、運営部がじっくりと協議を重ね、柔軟で、高い公益性を備えた体質へと生まれ変わってくれることを僕は期待したいと思います。
ミミさん。おはようございます。
タイトルを見て一瞬驚きました。
山門みたい不良法華講員ならいざ知らず、触れたらまずいよと言う内容に合えて触れる勇気には、敬服いたします。
そして、物事を多角的に見て、一方の視点で見ないミミさんは尊敬に値します。
それと代々の法華講員のぶっちゃけ話を聞けるぐらいの知り合いがいれば、今とは言ってることもやってることも違うてことが判ったりします。
具体的には今は明かせませんが、何それとなるようなことはいっぱいあります。