日本仏教において、江戸時代までの間「肉食妻帯」を認めていたのは浄土真宗のみでした。
宗の開祖である親鸞上人は、「東洋のルター」などと呼ばれていますが、
鎌倉新仏教の勃興という時流に乗って、「行」よりも只管「信」に力点を置いた信仰の在り方を説き、
簡素化されたシンプルな教えと、「万人平等救済」という思想は、当時、民衆の心を大きく掴みました。
まさに日本仏教のイノベーション。
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明治政府の戦略的意図。
浄土真宗のように、自宗の教理に基づいた、確固たる理念があって、
主体的にそれを認めていこうとする運動ありきで成された「規制改革」だったならば、
現在の日本仏教が「葬式仏教」と揶揄されるような体たらくに成り下がることはなかったはず。
ところが、浄土真宗以外の僧侶が、妻を娶り、肉を食うようになった背景には、
当時の日本政府による戦略的な意図が絡んでいました。
国家が容認する。
実は、僧侶の「肉食妻帯」を認めたのは「国家」です。
明治新政府が1872年(明治5年)、「自今僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」
(今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事)
という太政官布告を出したことに始まります。
明治政府は「富国強兵」を掲げ、強い国家を構築するため、思想的な土台の必要性を求めました。
それは西洋の一神教に倣うカタチで進められていきます。
仏教弱体化を図った政策の一環。
その方途とは、一体であった「神道」と「仏教」の分化です。
「神道」をあえて「宗教」と規定しないことによって、「天皇」を神格化し、
国家と宗教の融合を図ったのです。
これは思想を一本化するということですから、そうなると当然、「仏教」は邪魔になります。
そこで政府は、僧侶を俗化させることによって、仏教を弱体化を狙ったというわけです。
食欲も性欲も解放された世俗的な環境を、国家の権限をもって提供することで、
彼らを「骨抜き」にしてやろうという魂胆がそこにはありました。
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出家者の本来あるべき姿。
この僧侶の「肉食妻帯」が、出家者に対してもたらした「弊害的な側面」を看取できるレポートが、
寺院消滅に記されていたので、以下に該当する箇所を引用したいと思います。
私が若い頃の話です。
タイのエイズ患者を収容するホスピスに、私は日本の仏教者として行きました。
(中略)
タイの僧侶は躊躇なくエイズ患者に歩み寄り、手を握って回るのです。
するとある末期症状の患者が手を伸ばしてきた。皮膚はただれて体液が手にべっとりと付いていた。医療関係者やボランティアは必ず手袋をはめるのですが、僧侶は素手で手を握るのです。
エイズは体液感染します。手にけがをしていると感染する危険があります。
しかし、私の前にいたタイの僧侶は迷うことなく患者の手を握り、最後の力を与えるんです。
そうして私番が回ってきました。
力なく手を差し伸べる患者の、体液のついて手を見た時、私は手を握り返すことがどうしてもできなかったですよ。
もし私が、ここでエイズに感染したら、うちの寺はどうなるんだ。跡継ぎはどうなるんだ、ということが瞬時に頭をよぎり、立ち尽くして手も動かせなかった。
私は宗教者です。だから、手を握ってあげるつもりでホスピスに赴いた。
しかし、それができなかったんです。私は悲しくて泣いてしまいました。
取材に応じ、話すのは「全日本仏教会元事務総長」の「戸松義晴」さん。
「戒」を今でも厳格に守っているタイの僧侶。
「覚悟」の上における、日本の僧侶との「差」というのが、まさに顕在化した瞬間ではないでしょうか。
僧侶が肉を食べないのは「殺生」を禁ずるからです。
ちなみにジャイナ教では、根菜類も食べません。
収穫に際し、土を掘り起こせば、土中を住居とする生命を殺してしまうからです。
また、上座部(小乗)の僧侶は、基本的に「所有」という概念がありませんから、反対に失うものもないのでしょう。
仏教では「執着」を退けますから、仏教における出家者が原則的に妻子を持たない理由がここにあります。
命を懸けて法を説く気概を奪われ、葬式からの収入に安住し、
精進を蔑ろにしてきた現在の日本仏教の僧侶の姿。
ここに、「寺院消滅」の根本原因があるのではないでしょうか?
ハッキリ言います。
日蓮正宗には正当な出家信者は一人もいません。(怒られるかなぁ・・・)
あくまで私の個人的見解です。
だって、住職さん妻いるし、食事も肉あったもん。
イメージと違ったもん。
でもホントに大事なのはそこではなく、大聖人様の仏法を御僧侶様から私たち一同が学び、それを伝えることです。
本当の出家信者がいないからなんて騒ぐこと自体が日蓮仏法の灯を消してしまう要因なのではないでしょうか。