「しっかり頼みます!」
会員に対し檄を飛ばす顕正会会長の浅井昭衛氏。
「ハイッ!!」
会員一同の返事が、熱気に満ちた川口総合文化センター(リリア)に凛とこだまする…。
会場では月に一度、顕正会の恒例行事である「総幹部会」が数千名規模で行われており、
この日、会長より重大指導を賜るべく、日本、あるいは世界の各所から遠路はるばる、代表幹部たちが参集します。
「しっかり頼みます!」
「ハイっ!!」
このやり取りは顕正会では通例となっており、総幹部会あるごとに決まって行われています。
一体、浅井会長は会員たちに対し、何を「頼んでいる」のでしょうか?
浅井会長は、ある「壮大な構想」を胸のうちに懐いています。
顕正会「目的」とは、浅井昭衛氏が懐く「構想」を実現することにあります。
また、会員たちにとって「布教」とは、この「構想」実現に向けた具体的な「実践活動」であり、
同時に、彼らが「無二の師匠」と称揚する、会長浅井昭衛氏に対する無上の報恩行為なのです。
SPONSORED LINK
広宣流布とは何か?
表題の通り、会の目的とは「広宣流布・国立戒壇建立」です。
専門用語だけに、難解だと思われるので、その詳細について順次説明していきます。
まず、
顕正会における「広宣流布」(こうせんるふ)とは、
「日本国全体が、概ね顕正会の教義一色に染まった状態」
といったように定義付けられています。
そして、その暁には「国民投票」を実施し、
「国民の過半数(6000万人)による合意」を得ることによって、
顕正会の教義を日本国の「国教」として制定しようと企てているのです。
要するに、顕正会の教義信条を国家の根本理念とする「新しい国家体制の樹立」が彼らの目的であり、
布教活動の先にある最終到達地点だと考えています。
SPONSORED LINK
国立戒壇とは何か?
国家をあげて顕正会の教義が尊崇守護されるようになれば、
その信仰の中心的役割を果たすための建造物の建立が必要だと彼らは考えています。
それが、「国立戒壇」と呼ばれるものです。
この国立戒壇の建立が達成されて、初めて「国家の真の安泰が実現される」としています。
その「国立戒壇建立」がもたらす利益について、浅井会長は以下のように教示しています。
【仏国はいかに素晴らしいか】
このことがわかれば「広宣流布」すれば、どれほど立派な国ができるかということもわかる。(中略)
日本国中が「南無日蓮大聖人」と、熱涙の中に請願して「国立戒壇」が建設されたら、日本はどのような立派な国になるか。これが仏国であります。(中略)
そのとき、世界から戦争も飢餓も疫病もなくなる。(中略)
このとき、政治も妙法の政治になる。科学も、農業も、医療も、教育も、すべてが妙法化されて人々を利益するのであります。(顕正新聞 平成25年1月25日号)
ちなみにこの「国立戒壇」には、現在日蓮正宗が所有し、管理している「本門戒壇の大御本尊」が安置される予定になっています。
国立戒壇の建立予定地について。
国立戒壇は、現在日蓮正宗の総本山である富士大石寺から、東に4キロの地点を立地として定めており、その地を「天生ヶ原」と称しています。
以下、「亡国の坂道」より浅井会長の発言を転記します。
「天母山と天生原は、果たして離れた異地にあるのであろうか。(中略)中心の小高い丘を 『天母山』といい、そのふもとの広がりを『天生原』という。まさに一体の地名ではないか。(中略)そもそも天生原は地名である。大石ヶ原も地名である。場 所が異なるからこそ地名も異なるのではないか。『大石寺』の寺号が、大石ヶ原の地名に因ることは誰人も否定しない。この地にあって、日興上人以来歴代上人 は、東方四キロにある最勝の地たる天生原に、国立戒壇が建立されることを熱願されてきたのである」
しかし、そもそもその地というのは、果たして国立戒壇の立地条件として適した場所なのでしょうか?
以下は、実際に見学に行かれた方の感想。
顕正会戒壇の地・天母山見学地②】看板から約400m上がると、えっ?ここが?、と狭小さに改めてびっくりした。敷地は約1000㎡位(300坪か)平屋の棟100坪有る位、そして南北周りを散策した。南に急勾配の崖、北側棟後ろは崖下に畑があった pic.twitter.com/APK6Pxybfs
— YUME@Mシステム (@miyataK7) 2015, 1月 28
あまりに現実的ではないので、会長もその建築に当たっての具体的な工程のビジョンは、未だ明確には表明していません。
日蓮正宗乗っ取り計画!?
「本門戒壇の大御本尊」は現在、日蓮正宗が所有しているのだから、そもそも顕正会にそれを移す権利がないのでは?
と、思われるかもしれませんが、
顕正会が標榜する教義信条に準じた場合、「本門戒壇の大御本尊」の現在における所有者が誰であろうと、
そんなことは全く問題ではないのです。
なぜなら、そもそも日本全体を顕正会の色に染めてしまおうという魂胆なのですから。
顕正会は将来的に「日蓮正宗を丸ごと併呑してしまおう」、「吸収合併して支配してやろう」と目論んでいるのです。
これは、浅井会長が日蓮正宗の僧侶たちを指して、
「あれは出家しているのではなく、家出(いえで)しているのだ。」
などと揶揄し、蔑視している様子から窺い知れます。
顕正会、浅井会長は平成11年頃までは、「日蓮正宗への復帰」を会の目的として掲げていましたが、
突然、日蓮正宗において代々受け継がれてきた「御相承」が「断絶した」と主張し始めたのです。
このことは同時に、会の今後の方針を明確に打ち出したことを意味します。
日蓮正宗との合流を諦め、「独立路線」を歩み始めるべく、旗幟を鮮明にしたのです。
それでいて、他宗である日蓮正宗の所有物を将来的にどうにかしようとしているわけですから、
これはつまり「宗門、乗っ取り計画」の策謀です。
主導権さえ握ってしまえば、「戒壇の大御本尊」をどのように扱おうが顕正会の自由です。
何とも傲慢な考え方ですが、そのような展望を巡らすこと自体に違法性があるわけではなく、
それは現憲法で保障される「信教の自由」の範疇です。
荒唐無稽ではありますが、それでも一つの「思想」という観点から見れば、何も「間違い」というわけではありません。
勿論これが実際に可能かといえば、それは全く現実味のない話ですが。
顕正会の勢力の伸びは低迷しているのが実態であり、いくら理想を声高に主張しようとも、所詮「机上の空論」でしかないわけです。
「国立戒壇」は田中智学が創唱。
元々、この「国立戒壇」というものを創唱したのは「田中智学」です。
田中智学とは、元々「日蓮宗」の僧侶でしたが、10代の終わりに還俗(僧侶を辞めること)し、蓮華会という組織を創設した人物です。
やがて蓮華会は、立正安国会を経て、国柱会に発展。
戦時下における「国家神道」の天皇崇拝の信条と、日蓮上人の「立正安国論」の実践を結合させた思想を打ち立てました。
「八紘一宇」とは、彼の造語です。
主張の要約は次の通り。
一、大聖人の御一生は国教の奠定(てんてい)にある。
二、大聖人の本門戒壇は国家中心である。世界の教法統一の根本として国家の道法化を目標とすべし。
三、三大秘法抄の王仏冥合とは法国冥合ということであり、その本門戒壇は、勅命国立の戒壇である。
つまりこれは、浅井会長の主張と合致するものであり、
顕正会の説く「国立戒壇」とは、田中智学の模倣であり剽窃なのです。
御無沙汰しております。ポリ銀です。
顕正会員の少ない徳島に住んでいますと、ついつい顕正会のことを忘れがちですが、創価・顕正の退治を忘れてはいけないと、時々思い起こしております。
日蓮正宗であろうと、創価・顕正であろうと本当の被害者は、いつも末端の講員・会員です。ただし、被害に遭うのは自分の信心と研鑽が足りないから・・・そんなジレンマにもどかしい思いをさせられています。
法華講にいても感じることは、役員や総代というような方々ほどカルト的な信仰姿勢からは程遠いということです。創価学会や顕正会の人ってもしかしたら、ピュアすぎて潔癖主義に陥っているんじゃないかなあって思うことがあります。
浅井さんも、戸田さんや牧口さんも、御僧侶のちょっとした物の言い方や、金銭関係の考え方などに失意を感じたりしていますよね。そういう姿勢は、一見すると尊敬してしまいそうになるんですが、正義感の強すぎるのって、修羅なんですよね。象徴的だなあ。。。
修羅って正義の神。堕天使ルシファーも元々は正義を司る大天使。正義って怖いですよね。人間が一番残虐になる時って、正義を背負い、正義の旗を振りかざしているときですから。
国立戒壇問題にしても、20代の若僧ならともかく40代にもなって、政治的な配慮が理解できない浅井の子供っぽさが発端ですよね。中庸ってむずかしいです。