多くの販売冊数を記録し、話題を呼んだ一書なだけに、
中々、楽しく読み進めることができました。
少々ネタバレですが、読後感想を記しておきたいと思います。
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Index
日本国内の寺院が存亡の危機に瀕している主な「理由。」
書の序盤に、以下の主因が列記されています。
1、高齢化。
2、過疎化。
3、核家族化。
4、都市への人口流出。
これらが複合的に重なり合って、現在、窮地に追い込まれている日本仏教界。
ただし、これらは皆「環境要因」であって、
肝心な運営主体側の「落ち度」についての記述は、やや控えめな傾向が見られます。
てっきり坊さんの怠惰を暴く内容かと思いきや、予想とは裏腹。
どちらかと言えばこの書は、
日本仏教界が醸成してきた「文化」。
失われつつある、日本人の宗教的情操。
「僧侶」の資格を有しているという著者「鵜飼氏」の筆致からは、
そういった状況への「憂慮」、そして寺院「再燃焼」への切望が、
文章の中に込められていることを窺わせます。
しかし、何かと「職業坊主」などと言われ、坊さんがやり玉に挙げられることが多いこのご時世ですから、
「寺院」現場の危機的な窮状について、数々のルポから本質的な理解が得られる点で、
世間に蔓延る、誤解、偏見、先行する負のイメージの払拭に寄与する、潜在的価値を秘めた良書と言えるでしょう。
また、いくつかの画期的な試みも紹介されていることから、
これらのモデルが善い模範となって、多くの堕落した寺院に活力が注がれることも期待できます。
具体的な内容。
本当にこの書は、かなりアクチュアルな領域に踏み込んだ内容が記されています。
離島における聞き込みルポや、
3・11で被災した寺院住職への取材。
更に、日本仏教界の権威者との対談等、
そして後半部分では、現在の窮状に至った歴史的背景などが説明されており、
時系列を俯瞰し、論理立てて理解できるような構成に仕上がっています。
坊主のウハウハなイメージ。
案外、驚かされたのが、
「葬儀相場のウソ」と題された箇所。
葬儀や法事の相場は、地域性で決まる。たまに雑誌などで仏事の相場がでていることがあるが、その法外な金額に驚かされる。
しかしそれは東京における「袋の中身」であることが多く、地方の相場とはかけ離れている。
なんと、ある地域では、東京の相場と「10倍以上」の開きがあるというのだから驚きです。
布施を片手にニヤけている坊主のイメージは、まさに先入観でしかなく、
勿論、そういった富裕層の檀家を多く抱え、潤沢な資産を有する寺院も存在することは確かでしょうが、
一方で、糊口を凌ぐ様な生活を余儀なくされている僧侶も、実は多数に及んでいるのです。
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僕が思う、寺院消滅の最大の理由。
著書の内容からは離れますが、
率直な話、寺院消滅を招来している根本的な原因は、この書に記されていない範疇で、もっと単純に説明できるのではないかと思っています。
それは以下の書籍に、ズバリ的を射た的確な論考のくだりがあったので、こちらも紹介がてら引用します。
かつて坊さんは、宗教家であるとともに学者であり、公務員であり、慈善事業家であり、
軍帥であり、教師であり、また芸術家でもあった。
しかし、近代化の流れで、そうした職業は専門化され、細分化され、坊さんの仕事が次第に専門職に取って代わられていった。
そんな中、坊さんの仕事は減っていき、いつしか失業状態となり、いまや食い扶持を稼ぐ一部の仕事だけをしている。
袈裟を着て、木魚を叩いてお経を唱えているだけになってしまった。
そこで、専門職に奪い取られてしまった衆生を救済するための慈善事業家などの仕事を取り戻すことが大切だ。
つまり、
坊さんって本当に必要かな?
ということ。
坊さんは必要なのか?
欧米などでは割と「仏教」は人気を博しているようですが、
ただ、宴会の席でビール片手に、
「ウェーィ!乾杯っ!」
とやってる姿を目の当たりにした外国人の目に、日本の坊さんはどのように映るのでしょうか?
宗教者に敬意を払うことが信条として深く根付いている地域では、どうにか、「ご愛嬌」で済むかもしれません。
しかし、国内に視野を戻せば、
「そんな坊さんに一体何が出来るのか?」
と、猜疑心を懐く人は、決して少なくはないでしょう。
学識高い人がまだまだ少数で、そういった人材が重宝されてきた往時では、僧侶はそれこそ捌き切れない仕事量に恵まれていたかもしれません。
しかし、それらの仕事は専門家が台頭する中で、わざわざ坊さんと信頼関係を構築しなくとも、
金さえ出せば依頼できる業者の方が気軽であり、便利であるため、
むしろそういった社会構造が一般化され、それは現代においてほぼ完全に確立されました。
今や、ネット社会、仏教の教義から、簡易な実践法まで説かれた書籍も数多く出回っており、
ユーザーは組織に頼らずとも、独学によってある程度「仏教」を嗜むことが可能となりました。
僧侶の特権とは何か?
勿論、だからといって、寺院や僧侶が全く必要ないとは言いません、
しかし、その中で、坊さんにしか出来ないこと。
袈裟をまとった人が持つ「特権」が何であるかを真剣に模索し、
教団の首脳部が先頭に立って体現していかなければ、
寺院存続の展望はいつまで経っても見えてきません。
なんせ、「直送」という形式が増えつつある今のご時世、葬儀に携わる職の地位だって危ぶまれている状況なのです。
そこらへんの事情に関しては、過去にベストセラーとなった島田裕巳さんの著書、
葬式は、要らない (幻冬舎新書)に詳細が綴られています。
過疎化がどうとか、高齢化がどうとか嘆く以前に、
坊さんたちが、宗教者としての気概を取り戻すことこそが、
「寺院復興」に向けた唯一無二の具体策ではないかと思っています。
超連投すみません
御僧侶本来の仕事は、他宗はいざ知らず正宗に於いては、葬儀や読経、唱題等ではなく、
1.正法を正しく学ぶ事(教学)
2.正法を判りやすく教える事(説法)
3.世俗、衆議、国家権力に諂わず正法を守り抜く事(護法)
4.辻説法や個人折伏同伴など、広宣流布の先頭に立つ事(折伏)
5.他教、他宗、他門、異流儀と法義対決を行い正邪を知らしめる事(法論)
の五つではないかと思われます。勤行は各々信徒がやれば良いことですし。
上の五つは中々大変な事です。職業宗教家しかできません。
で、その職業宗教家こそが御僧侶です。そう、御僧侶の仕事は広布未だ遠い現在、まだまだ沢山残っている訳です。そうみてくると、僧侶不要とはならないかと思われます。