顕正会の軌跡を、創価学会の歩みと併せて概観してみましょう。
まず顕正会の会長、浅井昭衛氏が出生したのは1931年。
ちなみに創価学会三代目会長の池田大作氏は、彼の3歳年上です。
創価学会が飛躍的な発展を遂げていくのは、戸田城聖氏が二代目会長として就任して以降。
それは丁度、浅井昭衛氏の青年期と重なります。
例えば、創価学会の「折伏大行進」を象徴する「小樽問答」が起こったのは、当時、浅井氏が「23歳」の時。
最も「多感」な時期ですね。
浅井氏は、同年の9月に、講の青年部長に就任。
創価学会の版図拡大と並行するように、顕正会の前身である妙信講は、日蓮正宗、法道会の中で目覚ましい躍進を遂げていました。
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創価の成長期における妙信講の動静。
【折伏成果】
妙信講 224
本因妙講 83
野田講 36
里見組 31
星野組 26
小梛組 16
篤信組 8※出典 迷走する顕正会を斬る(「法之道」第12号、昭和29年12月)
上記の成果一覧を見れば一目瞭然。
しかし、当時の創価学会の勢いに比べれば足元にも及びません。
「池田大作」氏への憧憬と嫉妬。
戸田氏の地位を継承し、会長に就任した「池田大作」氏(1960年)。
池田氏と浅井氏の年齢が僅差であることは上述しました。
また、前回の記事で記したように、
浅井氏は戸田氏の運営方法を模倣していること。
そして浅井氏の創価学会批判は、専ら池田氏の代に遷移した後の体質に限定されることから、
別段、戸田氏のやり方に対する異論はなかったように思えます。
むしろ彼に対しては、畏敬の念を懐いていたのかもしれません。
しかし、その戸田氏に代わり、新たにその地位を担うことになった池田氏。
会員の称賛を浴びながら力を奮うその姿を、当時の浅井会長は一体どのような思いで見つめていたのでしょうか。
同じ世代でありながらも、遠く及ばない彼の圧倒的な存在感。
恐らく浅井氏の胸中には、燃え盛るような「嫉妬心」が渦巻き、
一方で、羨望、憧れといった感情が、激しく交錯していたのではないかと僕は思います。
穿った考え方かもしれませんが、その後、浅井氏が独立の道を突き進んだのは、
正攻法では到底、彼に対抗など出来得ないと踏んでのことだったのかもしれません。
仮にもしそうであれば、浅井氏の「自己顕示欲」なり「承認欲求」が、顕正会を作り上げたと言っても過言ではありません。
ただこのことは、本人自身もそのような潜在的心理をハッキリと自覚出来ていない可能性が高いのです。
これは重篤です。なんせ櫻川忠さんが「自己愛性人格障害」ではないか?と指摘しているくらいですから。
言動からの推知。
浅井氏が抱える「負」の感情。
言い方を変えれば「コンプレックス」。
これが会の根本的な原動力として今も尚、機能しているのではないでしょうか。
勿論、直感的なものでしかありませんが、
拍手喝采を受けて、両手を大きく上げるシーンや、
執拗なまでに池田大作氏を否定する発言。
これら浅井氏の言動を見聞すると、思い半ばに過ぐものがあります。
浅井氏は池田氏を指して「第六天の魔王が身に入っている」などといって、表向きは激しく敵視してしますが。(※参照↓)
【おーい創価学会員さん!浅井昭衛さんがこんなアジ演説してますよ~!】
これは感情の裏返しで、
本当は、池田氏のようになりたかったのではないでしょうか?
それとも浅井氏は、「会長の神格化」によって組織の結束を図る、池田氏のやり方を模倣し、演じているのでしょうか?
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時ぞ進まぬ。
顕正会に「時ぞ来たりぬ」という歌がありますが、
「時ぞ進まぬ」に改名した方が良いのではないかと。
時、進んでないですよね。
顕正会の時計は創価学会の「折伏大行進」時代から止まったままです。
戸田学会路線のビジネスモデルは残念ながら現代には通用しません。
浅井さんは、往時の栄光を未だ夢に見、池田氏への憧憬と嫉妬を、未だ拭えずにいるのかもしれません。
一方、創価学会は確実にイノベーションを起こしています。
組織の存続、発展は、時代の流れに柔軟であることがまず条件。
時代の変遷に対応し、変化し続けなければいけません。
しなやかに、
例えば「葦」などは一見弱そうに見えますが、本当は強いのです。
強風に煽られ、一旦倒れたとしても、何度でも立ち上がります。
「大木」ではいけないんです。一度折れたら元には戻りません。
「頑固一徹」の浅井さん亡き後、顕正会がどのような経過を辿るのか、
遠くから観察させて頂くとしましょう。
たしか、講の青年部長就任の前に、本部長とかに成っていたはずです。
この本部長てのが、妙信講本部の長ですね。
そもそも、報道会で本部など作る必要がない。
しかし、権力欲があった淺井親子ですから、本部長などの肩書きを作って名乗っていたわけです。
この時から、名誉欲てのは有ったのでしょう。
そして池田さんを勝手にライバル視して嫉妬して、昔からコンプレックスの固まりでしょうね。