東京大学文学部教授の加藤陽子さんによる著書です。
僕がこの本を手に取ったきっかけは、著者の加藤さんがTBSラジオの一枠である「荻上チキのセッション22」にゲスト出演されていたからです。
この本に書かれていることは、中庸を得ていると思います。
戦時の植民地主義を肯定するわけでもなく、また自虐史観に拠るものでもない。
様々なデータを洗い出し、説得力を以て、「それでも日本人は『戦争』を選んだ」蓋然性を説き示しています。
表紙下部に「高校生に語る」との文言が添えられていますが、正直、高校生にとってはかなりハイレベルな内容ではないかと。
前提知識として、主要な出来事の概要と時系列くらいは把握していないと、しんどいと思います。
僕は、そこまで詳細に把握していなかったので、割としんどかったですw
ただ逆手にこの本を利用して学習するというのも、それはそれでありかなと感じました。
概要は、主に日清戦争以後、世界各国の相関関係に注目しながら、日本の立ち位置を追って見ていくという流れになります。
最終章の太平洋戦争に至っては、衝撃の連続でした。
今まで知る機会がなかった事実が浮彫りとなり、改めて、自虐史観もさることながら、その他極性の思想体系も百害あって一利なしのお粗末な単純化思想であったことを再認識しました。
とても有益な本だと思います。
学校では教えてくれないが、「義務レベル」として日本人として知るべきこと、考えなければならないことは山の様にあるのです。
SPONSORED LINK
植え付けられた偏狭な史観。
僕が約10年前より約7年間も傾倒してしまった顕正会という宗教団体は、会員に「エセ自由主義史観」の教育を施し、さらにその喧伝に奔走させることで「幸せになれる」旨を説く、とんでもない教団でした。
その論旨とは、日本の一連の対外戦争は、全て他国の思惑によって「引きずり込まれた」戦争であると。
その筋に詳しい方の見地では、どうやらこの考え方というのは自由主義史観というものの剽窃、いわば「パクリ」だそうなのです。
確かに、太平洋戦争は、ABCD包囲網を主因に掲げた経済制裁によって、止む無く、日本は戦争に踏み切ることを余儀なくされた、みたいな言説が目立ちます。
しかし、この本を読めば、恐らくそういった既成の認識は覆るでしょう。
加藤さんは、信用に足る、確かな情報提供者だと思います。
軍事費の出し惜しみ?
引きずり込まれたなんて、まさか御冗談でしょ。
戦時中、武力行使は常に賛成世論が社会を覆っていました。
端緒となる日清戦争では、勿論あらかたの是認があり、満州事変の鉄道爆破では、石原莞爾を中心とする、緻密な計画のもとに決行された疑いようのない裏付けの記録が残っている。
そして日中戦争からの太平洋戦争。
旧態依然とした政治体制に国民の不満が募る中、当時の軍部があたかも一政党に代わる役割を果たし、国民の支持を得ていた側面を指摘。
更にこんな事実。
軍部が37年の7月から始まっていた日中戦争の長い戦いの期間を利用して、こっそりと太平洋戦争、つまり英米を相手をする戦争のためにしっかりと資金を貯め、軍需品を確保していた実態をみなければなりません。(336項)
著書の説明によれば、なんと日中戦争での軍事費は実は「3割」しか使われておらず、残りの「7割」は、ソ連なり、対英米のために粛々と貯蓄されていたというのです。
SPONSORED LINK
太平洋戦争勃発前の各国を取り巻くパワーバランス。
当時、各国の航空兵力の指標となっていた、空母に載せる飛行機の生産機数を1941年12月…、つまり真珠湾攻撃があった頃で比較すると、日本側を「100」として、アメリカは「107」とその差は僅かだったということが分かります。
しかしこれが終戦間近の1945年7月になると、「100対1509」という圧倒的大差をつけられてしまう。
あるいはパワーバランスの比較も大変興味深い。
1939年当時の枢軸国(日独伊)と連合国(英仏ポ)の戦闘に直結する様々なデータを眺めてみると、「はめられた」とか「完全に無謀な戦いだった」といった史観とは全く異とする、新しい観点が得られます。
まず人口比ですが、連合国に対し、枢軸国は約1・47倍。
常備軍も同様に約1・47倍。これは米軍を加えたとしても1・28倍で枢軸国側が優勢。
戦闘機に至ってはなんと約2・75倍。ここに米軍機を足したとしても2・03倍と、日独伊が完全にリードしている格好です。
日本もドイツも持久力がない。しかし、短期決戦なら…という期待が生まれるべくして生まれた素地は明らかに存在したということでしょう。
(念のため捕捉ですが上記はソ連の国力を度外視して、あくまで三国対三国の比較に過ぎません。)
考えるべきこと。
日本の南下による支配領域は相当な遠方にまで及び、パプアニューギニアまで手中に収めました。(かすめ取ったという方が正しいでしょうか…)
著書の終盤では、日本人としてよくよく省察してみなければならない歴史事実が列記されています。
最たるものとして、そのニューギニアにおける戦死者のほとんどが「餓死者」であったということ。それから44年から敗戦までの一年半の間に、9割の戦死者を出して、その9割の戦死者は遠い戦場で亡くなっているということ。
関連して、捕虜となったアメリカ兵の死亡率ですが、ドイツの1・2%に比べ日本は37・3%というデータから、日本の自軍兵士の扱いは酷い有様です。
ブラック企業による労働者酷使の問題と通底するものがあるのでしょうか。
まぁそれはわかりませんが、いずれにしても、日本人の間に流布する太平洋戦争への「被害者意識」は原爆については然り、こういった惨憺たる国民の置かれた状況が強く反映されている側面があると指摘します。
ただ国民として、と国として、は分けて考える必要があるのかもしれません。
たとえ戦勝国だとしても、戦争に巻き込まれて家族を失ったかたからすれば、紛れもなく被害者であって、マクロな観点とミクロな観点を切り分ける視点が、日本人には少々欠如しているような印象を懐いてしまうのは僕だけでしょうか。
難しい問題だとは思いますが、上記のような事実だけでも頭に入っていれば、間違っても受動的であったという認識は排除されるべきだと思います。
また「戦争責任」といったような、善悪の判断に拘泥するべきでもないでしょう。
時代の思潮によって変遷する価値基準ですから、人は皆、目の前の課題に最善を尽くすのだと思います。
「誰かのせい」は常に諍いの萌芽、温床ではないでしょうか。
まとめ。
巻末に紹介されている、2005年に実施された読売新聞の調査では、
中国や米国との戦争をどう考えるかという問いに対し、
ともに侵略戦争だったと考える人は34・2%。
中国との戦争は侵略戦争だが、米国との戦争は侵略戦争ではない、と考える人はほぼ同数の33・9%。
ともに侵略戦争ではなかったと考えるひとは10・1%。
つまり半数に近い日本人が、米国との戦争は侵略戦争ではなかったと考えている、との結果が明らかになっています。
とにかく、この本の特徴は、事実性の追求と教授の優れた考察が光ります。
安心して読める一冊だと思います。
日本の近代史への理解を深めましょう。
こんにちわ
お話の中で出てくる自由主義史観ですが、そもそも顕正会の日蓮主義(国立戒壇主義)とは似ても似つかない考え方ですよ。
「私達は日本人ですから~略~国益追及の権利をハッキリ認めるべきです。しかし、そうだとすれば他国もまた同じ権利を持っていることを認めるべきです」
自由主義史観研究会の教科書が教えない歴史に書かれた自由主義史観の概要です。