異なる宗教同士ではなく、場合によって、更に難しいのは、
宗教教団内部における、「保守派とリベラル派の対話。」
しかし、これは極めて重要。
私(小原教授)の経験から、イスラム教であれ、キリスト教であれ、仏教であれ、
大体、出来ていない団体が多い。
ここが上手くいかなければ、その教団が外に開かれていくということは極めて難しい。
つまり、インターナルなダイアログと、エクスターナルなダイアログ、
この両方は相互関係がある。
外に外に、だけではなく、内部の中でこれがどの程度出来ているかということは、
その宗教の対話に対する「成熟度というものを測る視点になる。」
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Index
宗教間対話の課題。
お話されているのは、同志社大学の「小原克博教授」。
動画は、大学における一授業をそのままコンテンツとしてアップされたもの。
この回では、「社会倫理の諸問題」と題し、「宗教間対話の課題」について講義されています。
各寺院の温度差。
日蓮正宗って、本当に一つの教団かな?ってくらいに、内部において温度差が激しいなと思うことがあります。
悪く言えば、一教団としての体を成していないと言っても過言ではありません。
例えば、ネット上では「穏健派」と「武闘派」などといった呼称が生まれている実情があります。
保守とリベラルのたて分け方というのは、主に一神教の中で語られるケースがほとんどで、
仏教の文脈においては、代表的な類型を挙げて説明されることは少ないように思えますが、
あえて言えば親鸞と浄土真宗の存在がそれに適合するだろうし、
大石寺系では言わずもがな、宗門が保守、創価がリベラルとそれぞれ位置付けることができるはず。
現在日蓮正宗の中では、T田さんなどを筆頭に、ネット上における革新的な折伏が展開され、
布教法だけに焦点を当てれば一見、リベラルと思いきや、
これ、内容としては一種の内発的な「リバイバル」と見ることができます。
一方宗内では、「根檀家」なる者の存在も無視できません。
彼らは「折伏て何?」以前に、「謗法て何?」という次元。
各寺院において、布教に対する熱量の大小が、そのまま各信仰スタイルへと反映され、
性質を異とした、各支部独特の価値観が形成されていく。
交流無き寺院間関係は、「自他彼此」の心を招来する温床となってしまってはいないだろうか?
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組織構造の問題点。
本来これらを統括する役を担う代表格が、いわゆる法主上人となるのでしょうが、
当のご本人は、本尊の揮毫や、法要で日々大わらわ。
宗内の隅々まで、目を配る余裕などないというのが実情でしょう。
更に、宗門の組織構造というのは、基本的に他の寺院との関係が分断されていて、
寺院毎の単独プレー。
「一国一城の主の点在」といった格好となってしまっている感が否めません。
ただし全体から見れば、多様性が確保されているだけ良いと思う。
勿論、これはネガティブな側面ばかりではありません。
逆に、創価学会や顕正会などのように、右向けと言えば、必ず全員揃って右を向くような、
画一的な組織構成の方が柔軟性に欠けるため案外脆かったりします。
ロボットばかりでは、停電に見舞われた際などは、一気に無力と化しますので。
この間ある人から聞いた。活動止めて地元の幹部に「もう活動やらない」と言ってるのに、しつこく壮年幹部が来るとか。それで訪問を断ると「私たちは池田先生の御命令で来ています」と言って食い下がるとか。何だよこの「御命令」って。お前らはロボットなのか?た思ったぞ。( *・ω・)ノ
— 運ちゃん (@sougaku_salon) 2016, 1月 20
寺院間の連携、交流の強化から。
日蓮正宗が持つポテンシャルを余すことなく発揮するためには、強い結束力が必要です。
勿論これは、どんな組織にも当てはまることかもしれませんが、
当該宗に関しては、
「もう少し寺院間の連携を強化するなど、徐々に垣根を無くしていけるような方向性に転換した方が良いよなぁ~」
と、思ったりすることが多々あるわけです。
退屈な折伏活動者会。
例えば、折伏活動者会。
参加してみましたが、あれは本当~に退屈でしたよ。
わざわざ、各方面から意識高い人たちを集めているのに、これは非常にもったいないなと思いました。
会の形式がね。一方的に話を聞いてるばかりですから。参加者が主体的に取り組めるような会ではないあたり、
参加者としては活動意欲の空振りというか、むしろ意欲消沈を招く、形骸っぷり。
なんか僧侶怒ってるし。
宗内対話の環境づくり。
絶対にあの場をもっと有意義に活用する方法ってありますよね。
そういう細かいところの見直しから、「闊達に対話できる環境づくりを進めていくこと」は今後重要ではないかと思います。
もちろん、これは信徒間に限定されるものではなく、僧侶もひっくるめた話で。
例えば、所属寺院を異とする信徒に、僧侶が踏み込んだ指導を行う権限がないこと。
これは構造の改善があり、その上で寺院間の一致があって初めて実現されることなわけで、
法人格が寺院毎に分別されている現在の法律の下では困難な面もあるかもしれませんが、
版図を拡大していく上で、早晩見直しが求められるところ。
ネット住人の法華講員の方で、この意見に頷いてくれる方は少なくないと思われますが、さていかがでしょう?
第二の創価学会の派生という惨状を招く前に、できる範疇から手を打っていく必要があるはずです。
こんにちは。
私は特別布教区と東京第一布教区を経験しましたが、本当に違いますね。
何と言うか、空気が違います。
これが更にまた違う地方部に行ったら、軽いカルチャーショックを受けるのではないでしょうか。
また、私の今の所属先も大規模支部ですが、支部内でも温度差がある状態です。
ただ、良い意味で多様性があるおかげで、私のような適当信心者でも堂々としていられるのですが。