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(勝手に)地涌の流類により4年、 9ヶ月前に更新されました。
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山本六十六
ゲスト顕正会絡みの事件を見ながら、そういえば自分も危なかったなってことを一つ。
入信してそのまま着拒否くらった後輩宅に赴いたときのことです。
軽くドアを叩いたらすぐ本人が出てきたので少しでも話ができると思っていたのも束の間、突然父親が後ろから登場し僕の顔にグーパンチ、何やら怒声をあびせてるが酔っぱらってて全然聞き取れない。
とりあえず冷静になりましょうと声をかけるも黒い塊をもってきて「お前が渡した数珠となんか変な本は燃やしてこの通りだ!さっさと呪えよHAHAHAHAHAHA」ともうわけわからない状態でかつ腕を捕まれながらビンタされ続け、ちょっとでも抵抗しようものなら「暴力振るわれましたー誰か助けてくださああああい」ともう本当に絶叫され続け、(あ、これ捕まる以前に生命の危機だわ)と感じた僕は一緒にいた後輩に耳打ちで「ちょっと離れて上長に連絡して」と後輩を逃がし視界から消えたのを確認して狂人の足をひっかけて倒した隙に僕も逃げました。
あの時は警察が来ても無理やり引っ張られて玄関に入った状態で住居侵入の現行犯が成立してしまってたので顔が痣だらけでも僕が不利なことが確実だったことを考えると抵抗して逃げたことは正解だと思っています。山門入り口
ゲスト入信一週間目に、勤行の疑問が浮かんだ。
ネットで調べて顕正会で言ってる松野殿は根拠になってない。
他の御書には別のことが書いてある。
そこで、本部に電話して疑問をぶつけた。
淺井センセイを信じられない人は、顕正会除名です。
電話をがちゃんと切られた。
さすが顕正会員である。
入信一週間の素人に逆ギレした。
これが私の武勇伝(笑)タカチョー
ゲスト地元では有名なワルの同級生宅に訪問折伏しに行った際、
アパートの二階の廊下で口論になり
殴る蹴るの暴行を受けた後、
階段最上段から蹴り落とされそうになった事があります。
この時に眼鏡が吹っ飛びレンズとフレームがめちゃくちゃになりました。
当然、上長からは
「すごい罪障消滅だな!これで戦いが進むぞ!」
と励まされました。現役の頃はこの一件が誇らしく思えたんですが
離れてみると、同級生はさぞ迷惑だったんだろうなーって申し訳なく思えてきますね。
まさに黒歴史です笑(勝手に)地涌の流類
ゲスト山門入り口殿 こんにちは
>入信一週間目に、勤行の疑問が浮かんだ。
(中略)
>そこで、本部に電話して疑問をぶつけた。つーか、是は凄すぎでしょう。私等とは頭の作りが違うようです。
私等は、入って半年くらいは特に何も疑問は浮かびませんでしたね。そもそも仏法って何?創価って何?御書って何?というレベルだったので。半年経っても先輩に色々と質問するだけで、別に顕正会を疑ったりはしませんでした。一年くらいかけてゆっくり学んで行き、登用を受けたりしました。私よりもずっと前から入会していて同い年の人は落ちたのに私は登用受かったので、それは自慢?でしたが、まさか入会一週間で勤行に疑問を持ったり、御書を調べたり、挙句、本部に電話したりなどは、思いも寄らぬ事でした。
ところで、顕正会の勤行への疑問って、具体内容は何ですか?
>淺井センセイを信じられない人は、顕正会除名です。
>電話をがちゃんと切られた。まぁ、是で「広宣流布」とかは難しいでしょうね。まあ沖浦殿が常々主張されているような「現証勝負」ならば行けるか?然るに、ちょっとした質問が出る度に除名していては、盲信さんしか流類にならないのでは。
顕正会を入信を強要する恐ろしい団体だと警戒する人も多く、公安もマークしてますが、むしろ入信拒否と脱会は物凄く簡単なんでしょうね。法義に詳しそうな人からは遁走し、鋭い質問をする会員は除名し、なのだから。顕正会の拡大を心配するアンチが多いですが、むしろ私は会は明日にでも消えてしまうのではないかと心配です。
ミミ
キーマスター山本六十六
凄まじい体験ですね(^-^;
何かその親父さん、学会員の臭いがプンプンするのですが‥山門入り口さん
なんか、やっと普通にカッコ良い武勇伝を聞けた気がしますw
ちなみに、本部対応の杜撰さは僕も経験済みです。
彼らは、調子に乗ると話の趣旨を曲げて勧誘してくるので厄介ですw
また別件で、法華講員と名乗った上で、「試練と忍従の歴史」はまだ販売しているかと聞いたら、「法華講員に対応できる者が席を外しています。戻り次第折り返します」とのことで、それだけのことで6時間くらい待たされましたw
いやいや、あんたが今、その場で確認しろよという話。タカチョーさん
よくぞお越し下さいました!
メガネが吹っ飛び、レンズとフレームが滅茶苦茶で若干吹きそうになりましたが、笑いごとではないですよね(^-^;ミミ
キーマスターそう言えばタカチョーさんの話で思い出した。
僕も同様に、地元のワルを勧誘した時の話。
舞台はファミレスのバーミヤン。
副長の応援についてもらって勧誘すると、対象者が突如として逆上。
テーブルを蹴飛ばし、「表出ろや!」と威嚇、店内は静まり返る。
僕も僕で、当時、仏弟子のプライドが謝罪という行為を許さず、返って相手の怒りを逆撫でするような対応に、見かねた副長が全力でありながら、至って冷静に仲裁に入るというファインプレーのおかげで、どうにか事なきを得るw山門入り口
ゲスト勝手に)地涌の流類さんへ
>ところで、顕正会の勤行への疑問って、具体内容は何ですか?
五座・三座の勤行を一座にして遙拝にした根拠です。
入信勤行のときに会館で買える書籍を買いあさって、諫暁書と合わせて全て読みました。
そこで、ちまたで言う武勇伝ばあkりで、肝心な法義とかが皆無。
折伏理論解説書にしても、中身がほぼない。
そこで、ネットでも調べたわけですよ。
そんな中で、月水御書の一説を見て、あて違うジャン。
松野殿だけが根拠にならないと言うことで、本部に突電したわけです。>まぁ、是で「広宣流布」とかは難しいでしょうね。まあ沖浦殿が常々主張されているような「現証勝負」ならば行けるか?然るに、ちょっとした質問が出る度に除名していては、盲信さんしか流類にならないのでは。
現証勝負もダメでしょう。
第一に、顕正会の信仰で起きたことと証明できない。
第二に、客観的な事柄ではなく、主観的な事柄ばかりですから、顕正会の信仰でとは証明も出来ない。
第三に、他宗教でも顕正会で言う功徳(現証)がある。しかし、沖浦教祖様との現証勝負ならいい勝負が出来そうですね。
ミミさん。
さすが顕正会員だなと思う対応ですね。顕正会員の杜撰さ、いい加減さは身を以て体験してます。
一般人として勧誘を受けました。(笑)
詳細は話せませんが、笑いをこらえるのが辛かった。^^唯ちゃん
ゲスト指導といえば 班員のアパートの前で延べにして100時間くらい車の中で待ってた班長も。首都圏の大会に出る為宿泊費をケチって深夜移動で事故って車をおじゃんにした。ファミレスで勧誘中に対象者がだんだん反抗的になったので逆ギレしてファミレス内がり凍ついた。とかいろいろありますな。
はるお
ゲストハハッ。こんな面白いものを作っていたなんて知りませんでしたw
色々なアンチ顕正会ウォッチャーの方のブログで内部情報を暴露させて頂いてますが、ミミさんの「武勇伝」的な話は私もいっぱいあります。思い出したら書いていきます。家族編
・祖父が亡くなったとき、今まで顕正会活動に反対していた家族を再度折伏。「葬儀は顕正会でやって欲しい」と私が懇願すると家族一同から秒速で大反対の嵐。その後「こんな宗教だらけの家(母親も統一教会をやっていました)になんて居たくない」と兄が家出。今でも消息不明。←ガチで責任を感じています…勧誘編。
とある知り合った人妻を折伏し、逆縁で終わったが、その後も連絡はたまに取っていて何年か経った後、対象者に困った私はその人妻に連絡し会おうとする。元々私のことを気にしていたようで(自惚れ乙)「宗教じゃなかったら会うよ」って言ってきたので、もちろん折伏する方向でいつもの方便で会う段取りを取ろうとしたが、色々と話しているうちに旦那に大いに不満があり、会ってセッ○スするというあらぬ方向に話が進む…(その後はお察しくださいw)ミミ
キーマスターはるおさん
どうも(^-^)最近レスポンス悪くてすみません。
“面白いもの”
面白い物を沢山web上にあげてくことで、顕正会員にネットをより身近なものに感じてもらいたいという理念があります。
彼らには現実的且つ正確な情報を取り込んで、よく咀嚼してもらって、それでも信仰を続けたいというのであれば、あえて止めないまでも、日常の信仰営為に活かして(暴走の抑制)頂ければ幸いですし、
何より、脱会者が純粋に楽しめる「場」を提供したかったんですよね。
ちなみにはるおさんの話と、似たような展開を僕も体験したことがありますよw
両方ともw(勝手に)地涌の流類
ゲスト山門の入口殿
失礼、当方宛てに返事を戴いていた事にずっと気付きませんでした。
もう随分前に戴いていたのですね。>>ところで、顕正会の勤行への疑問って、具体内容は何ですか?
→五座・三座の勤行を一座にして遙拝にした根拠です。
ああ、五座三座と遥拝が・・・。
しかし、五座三座を知って居られたという事は、ご家族が宗門や法華講の人であったのでしょうか。或いは創価・・・。
当方は入信時には、五座三座どころか勤行自体が始めての経験でした。
てっきり幸福になれる壷でも買わされるのかと思いきや、お経を唱える・・・?と肩透かしを食らった感じがしました。その後しばらく後に先輩に率いられて会館に行っても、うわっ凄いとこ来たな、皆真面目に唱えてるし・・・。という感慨くらいしかなかったですねぇ。>入信勤行のときに会館で買える書籍を買いあさって、諫暁書と合わせて全て読みました。
凄いお得意様・・・。
私はお金が勿体無いので、買い漁るなんてとても思いもよりませんでした。せいぜい折伏理論書を購入するくらいでしたね。でも、先輩や紹介者が色々と買ってくれたので(御経本と御数珠まで!)、ありがたく活用させて戴きました。>そこで、ちまたで言う武勇伝ばあkりで、肝心な法義とかが皆無。
まあ、御遺命守護の戦いだとか諫暁書の辺りはそうでしょうね。それがテーマの本なので。
顕正会は正宗教義だけでなくて、御遺命守護に就いてもきちんと説明する必要があるんですよ。何故ならば、それが会の設立理由でもある訳ですから。
逆に言えば、正宗信徒でありながら、何も理由がないのに勝手に宗門を飛び出して会を作ったのだとしたら、キチガイですからね。>折伏理論解説書にしても、中身がほぼない。
うーん・・・山門殿の仰る「中身」の定義って何でしょうね?
人生の目的から始まって、幸福論、幸福になる為の方法、成仏、成仏を説いた大聖人の教え・・・と順を追って合理的に説明されている感じがしますが・・・。>そこで、ネットでも調べたわけですよ。
>そんな中で、月水御書の一説を見て、あて違うジャン。
>松野殿だけが根拠にならないと言うことで、本部に突電したわけです。そうだったのですね。
然るに、月水御書こそ、顕正会の勤行の正しさの一つの文証と言って差し支えがなさそうですがねぇ。月水御書では最初に、法華経を一字一句でも唱える功徳の素晴らしさが力説されています。特にどの品だとかどのくらいの長さとかは指定されていません。亦、(他の御文でもそうですが)御題目こそが最も重要で、十分条件である事も説かれています。
では、寿量品や方便品を唱える顕正会の勤行に根拠はないのかといえばそうではなく、月水御書では続けて、法華経であればどこを唱えてもその功徳は計り知れないが、敢えて言うのであれば、方便品と寿量品が良い、と御指南されています。その理由は、方便品は法華経迹門十四品の要であり、寿量品は法華経本門の要であるから、とされています。こうした御指南は他の御文にもあります。然るに、どこにも五だの三だのという数字は記されていません。だから月水御書を文証とするならば、五座三座は必要ない、という事になります。
そもそも、大聖人が五座三座を弟子に指導なさっていたのならば、仙代問答などは生じなかったでしょうしね。五とか三とかいう数字は、恐らく日本の(恐らく神道系の)風習から江戸時代あたりに来たものでしょう。七五三とかお節句や雛祭りにその例が見えます。
中国では、整っている偶数が好まれる事が多いですが、日本ではバラバラに切り裂かれないという理由で奇数が好まれる事が多いのだとか。>>まぁ、是で「広宣流布」とかは難しいでしょうね。まあ沖浦殿が常々主張されているような「現証勝負」ならば行けるか?然るに、ちょっとした質問が出る度に除名していては、盲信さんしか流類にならないのでは。
→現証勝負もダメでしょう。
>第一に、顕正会の信仰で起きたことと証明できない。
>第二に、客観的な事柄ではなく、主観的な事柄ばかりですから、顕正会の信仰でとは証明も出来ない。第一と第二の違いは、第一は客観的な事柄であったとしてもなお関連性が示せないという事で、第二は主観的な事(幸福を感じる)が多い、という事でしょうかね?
まあ、この辺りの事情は宗門・法華講でも同様でしょう。
>第三に、他宗教でも顕正会で言う功徳(現証)がある。
まあ、実際問題そうなのです。
癌が治っただの、脳施肥麻痺が治っただの、医者も驚く信じられない現象や、津波で顕正会員の家だけがなぜか流されなかった(周囲は全て流された)という信じ難い功徳例もありますが、そういうのを除くと、どこにでもありそうな事が多い訳です。顕正会で登壇されているくらいの功徳ならば、創価の大会や会合でも度々発表されています。恐らく、法華講とかでも功徳の発表会的なものはあるのではないかと思われます。
そして、現世利益も謳っている宗派ならば、やはり同じような発表があったりするでしょう。前は引きこもりだったのに、この信心のお陰で前向きに生きて行けるようになりました、とか、仕事が認められボーナスが貰えました、とか、家が隣の家の失火で燃えましたが、保険で前よりよい家になりましたとかならば。
もっと言えば、無宗教の人にも普通に起こる事です。所得という事で言えば、大聖人の仏法とは全く無関係なビル・ゲイツの方が遥かに金を持っていますし、平均として言ってもクリスチャン主体のスイスやルクセンブルク人の方が大聖人門下の人々よりも高いでしょう。さて、そういう場合、正宗系では「あれは前世の福運が残っていたから」とか「魔の通力」とか「努力の結果」という事で片付けます。ところが同じ現象が自分達の教団の人に生じた場合は「功徳」となります。
他方、他の教団や無宗教の人が不幸になると「罰」という事で片付けたりしますが、自分達の教団の人が信心していたのに不幸な目に遭えば「魔障」だの「罪障消滅」だのと説明します。
然るに、このように或る現象を以て一つの結論(功徳とか罰)を導けないのだとすれば、現証論とは欠陥理論だという事になりましょう。では、御書に明確に御指南のある「現証」とはインチキなのか?
そこで、考え直さねばならないのは、「果たして、大聖人の仰せの現証とは、世事での幸福の事なのか?」という事です。仮に、そうだと仮定すると、熱原三烈士は遥かに現証勝負で一般人に負けてしまっている事になります。そこで、単に世事での幸福の事などではないのではないか、という事を視野に入れて、よくよく考え直さねばならない事かと存じます。その辺りが突き詰められてないと、現証勝負と言っても、ルールがない状態でゲームを始めるのと同じで、まともな勝負は付かないでしょう・・・。
>しかし、沖浦教祖様との現証勝負ならいい勝負が出来そうですね。
ただ沖浦殿は実際に祈りと闘いで何度もどんぞこから這い上がって居られますからね。そしてその結果、世界大会で三連覇ともなっているので、なかなか手強い敵になるかと思います。
一般的な顕正会員だと、なかなかそこまでの現証を持つ人は少ないでしょうから。但し、上でも述べましたように、突き詰めて考えてみますと、沖浦殿の盛んに主張される「現証第一」というのも、再考が必要な事柄であるように思われます。
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