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#4650
(勝手に)地涌の流類
ゲスト

ミミ殿 どうもご無沙汰しております^^; 最近、一ヶ月ほど海外に行っていたので・・・
ようやく暑くなってきましたが、元気にしておられますか?

上の事について、少々思うところを。

>“「本当に命を落とす事もある」という事はむしろ指導として避けられているというか、隠されている感じ”
>本当ですかぁ~?
>「命ある限り!」とか、良く登壇できわどい表現を聞き及びましたが。

本当です。
確かに、命を妙法(顕正会)に捧げる、といった事は美徳とされ、さかんに宣揚されていますが、掛け声だけです。無論、生活の多くの時間を顕正会に捧げているので、命を捧げているとも言えなくもないのですが、命を落とす事までは言われていません。苦節色々あっても、最終的にはハッピーエンドになる、というのが重視されている訳です。詰まり、現世で守られるという事です。

そういう意味では顕正会は非常に御利益宗教(現世利益を強調する宗教)的です。
御書を拝せば、妙法に帰依してようと、却って罪障消滅や魔障によって命を落とす事は普通にあり得る事が明白ですが、どうにも顕正会ではそこのところが隠されてるようにも思えるのです。

その証拠に、恐らく顕正会史上、以下のような内容の登壇がなされた事はないのではないでしょうか?
「私の母は、入信前までは健康で経済的にも恵まれ、前世よりの福運を取り崩して見せかけの幸福を謳歌しておりましたが、入信後は罪障消滅が叶い、財産も殆ど失いました。過去世に積んだ数々の罪障もこうして次々と消滅させて戴けるありがたさに歓喜の念が絶えません。また、日々広布の闘いをさせて戴いている中で、数々の魔障に遭い、病気や怪我なども連続して起こり、その魔障の多さから、いかに仏法が正しいのかを実感させて戴いております。遂に母は先月、死魔によって急逝致しました。これも母が正しい道を歩んできたからこその結果だと確信しております。母は臨終の間際までこの仏法のありがたさを口にしておりました。そして無事、成仏の相を遂げました。集まった同志もみな、感激しておりました。医師も「あなたのお母さんは、医学的には亡くなるような原因は見られなかった。にも関わらずこんなに突然亡くなられるなんて、医学的には信じられない事です」と驚いておりました。この医師の言葉に、正しい法を広めれば三障四魔競い起こるの御金言の正しさを改めて思い知らされました」

妙法を保ち広めれば、罪障消滅やら魔障やらの働きで、上のように財産を失ったり、不思議の病魔に犯されたり、挙句亡くなってしまったりという事も普通に起こる筈で、然るに成仏が叶ったのだから見せ掛けの現世での幸せを謳歌するよりもずっと幸福な結果だった、というような話もあっても良さそうですが、そういう登壇は見たことがありません。「顕正会での活動のお陰で、父は急逝しました」とか「無事罪障消滅ができて会社をリストラされ、アルバイトも解雇されました。先生のお陰です」とか「創価をやめて顕正会で活動をしてから、本当の魔障が現れ、先月も折伏戦の折、怨嫉に駆られた人に襲い掛かられ右目を失明しました。創価での見せかけの戦いでは起こり得なかった事です」といった感謝の報告は、なされないんですよねぇ。

だから、私は顕正会は結構現世利益を謳っているように思えます。創価から顕正会に移籍した途端に、怪我や病気が増えて、会社もクビになりました!では困るんだと思います。聞こえが悪いですからね。ましてや、法戦で命を落とす会員が続出!なんとありがたい事か!などといった事は新聞に載ろう筈もありません。

>雪山童子の故事などが好例だと思いますが、例えば、一神教の方では、その内容に酷似する逸話としてイサクの生贄の話があります。
>問題はこ教訓に対しての意義付けで、西洋では「命まで差し出すべきではない」、と「殉教」への戒めも含め、解釈されている向きがありますが、

現代の価値観からすると問題のある箇所を隠しているだけでしょう、キリスト教も。しかし、旧約も新約も実は様々に身を犠牲にする事を勧めています。

>僕は、顕正会の思想は、終末思想、メシアニズムに、輪廻とう概念と統合しただけのものと認識していますが。

大聖人の仏法を「だけ」と表現する事には抵抗がありますが、終末思想やメシアニズムが存在する事は確かな事でしょう。そういう意味ではキリスト教やイスラム教シーア派とも非常に共通しています。
但し、終末とは言っても、亡国が先か広布が先かというだけの事であり、この世が滅ぼされる訳ではありません。(エホバの人に言わせれば、聖書にも終末の日に世界が滅びるという思想は存在せず、終末の日以降も人々は地球で暮らし続けるそうですが)。顕正会の終末は、(亡国じゃなければ)広布です。その後は日本は仏国となり、平穏無事な生活が期待されます。だから、終末といっても全てが終わるのではなく、ただの区切りなんですよね。煉獄の終わり、ユートピアの始まり、という区切り・・・。

メシアは・・・日目上人ですね。

>というのは、広宣流布を「到達地点」と捉えているからです。宗門では「流れ」という解釈が通念化していますから、「一人一人折伏していくことが広宣流布」という様な言い回しとなっているわけです。あ、勿論、指導教師たる僧侶が、です。

広宣流布は区切り、到達地点ではありますが、別に全ての終わりだとは捉えられていません。広布達成後は世界広布や仏国維持という目標が残っていますし、衆生も相も変わらず地球に転生してきますからね。そういう転生してきた衆生を教化するという活動が残っております。
「一人一人折伏していくことが広宣流布」というのは顕正会でもそうですよ。呪術で一気に千人入信させる!なんて事はできませんからね。

>余談ですが、僕の上長なんか、「ある日空から突然‥」みたいな再臨思想になってましたねw

日目上人でしょうか。本当、どのように御再誕されるのでしょうね?
我々には全く何も知らされていないので、ワクワクしますね。
是で、実は日目上人は日顕上人でした、なんて事であれば、そのズッコケ感は甚だしいものになるでしょうが。

>話を戻して‥。要は、そのような視点から評価すれば、会長の資本主義構造全般への批判言論もある程度許せる範疇なのではないかと思っています。ただどうしても、それはどちらかというと、内に向かうエネルギーが強いわけで、そこに組織の功利主義的な概念を引き合わせると、信条の摩擦が起き、ダブスタを生み出す温床となってしまうため、あくまで個人主義に焦点を合わせるのであれば、目標設定も見直す必要があると思います。

うーん、上の箇所に就いては何だか難しくて当方には容易に租借できませんが、顕正会には何らかの二重基準問題が内包されている、というお考えなんでしょうね。