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#4353
(勝手に)地涌の流類
ゲスト

ミミ殿 御返事ありがとうございます。

>「罪障消滅によって命を落とす」という観念は、確かに、顕正会の信条に準拠するものですが、これ、かなり危うい側面をはらんでいますよね。
>厭世観を助長するというか、成長可能性を阻害する「カルト思考」の臭いがします。

そうですね、そういう側面はあります。但し、顕正会では「命を落とす」という側面はあくまで比喩として解釈される傾向にあります。「本当に命を落とす事もある」という事はむしろ指導として避けられているというか、隠されている感じもあります。撰時抄の「由比の浜にて頚を斬るべし(趣意)」の御文に就いて尋ねても先輩は言葉に窮していました。そういった危なそうな法義は、会員が引いたり動揺したりするので、あまり知られたくないのではないかと思われました。顕正会では厭世観よりもむしろ現世で救われる事を強く説きます(創価では顕正会以上に現世利益を説いているイメージです)。

ところが、御書を拝すれば、顕正会があまり強調しない事が説かれているのです。それは「どんなに正法を護持していようが、世法に従い身を修めても、過去の罪障によって死亡する可能性もある」という事です。殺されたり、事故に遭ったり。ならば仏法には力はないではないか・・・然るに、現世だけで完結しないのが仏法です。正法を信じていて、然るに喩え死亡しても、後生にてや必ず救われる、即ち成仏するのです。
そもそも経典にも、数々の法難にて死亡した菩薩、仏弟子の話が説かれています。更に魔の中には死魔というものさえあります。鎌倉時代の史実としては熱原三烈士の存在があります。

過去世々の罪障か、魔の働きか、いずれにせよ正法を信受していたからといって、死亡しないとは限らない訳です。然るに顕正会では会員が怖がったり、離れて行くのを防ぐ為か、この法義に就いては極力説明を避けている感じが致します。

確かに、生命を現世だけに留まらず死後に渡って見る世界観は、人の価値観形成に影響を与えます。通常それは、現世軽視に繋がります。現世しか人生は無いと思えばこそ、自他の命を何よりも大事に思い、なるべく人生を幸福に生きようと思える訳です。どうしても後生があると考えれば、来世で幸福になればいいや、という視点も生まれてきます。御書には命が如何に重要かが説かれていますが、それでも、成仏を目指して生き死ぬ事はやはり更に重要だと説かれています。大聖人の生き様が当にそうでしたし、上掲の熱原の三烈士もそうでした。

但し、是は大聖人の仏法に限った事ではありません。例えば浄土真宗系の一向宗ですが、進めば極楽、退けば地獄とされていました(是は阿弥陀仏への信仰を、いつの間にか戦いに結び付けてしまった誑惑の結果ですが)。そもそも仏教は現世軽視です。それは阿含経(小乗)から大乗まで貫かれています。特に小乗は厭世にまでなっています。オウムであっても真言系であり、即ち仏教が元にあります(摧尊入卑の好例と言えましょう)。ヒンドゥー教では、低いカーストで生まれてきたのは過去世の行い(業)が悪かったからであるとされ、只管現在の境遇に耐えれば来世ではもっと上のカーストに生まれて来ると信じ込まれています。
更に、ユダヤ教では我が子でさえ生け贄にするという話がありましたし、キリスト教では教祖自らが磔に遭っています。それも自ら進んで(浅井会長は横死とたった一言で片付けていますが、それは見方が浅いでしょう)。お陰で後のキリスト教徒も殉教する人が古今東西多く出ました。イスラム教では過激派が年端も行かない娘に爆弾を括り付けて「聖戦」を行う始末。それは特殊な例ですが、しかし、是は根っこに神に殉じるのは素晴らしい事だ、という世界観があるからです。
キリストは、現世の富を一切重視しません。命さえ。そして全てを神に捧げ、天に宝を積み、神の国に生まれ変わる事を何より重視します。そして、弟子にもそのように生きる事を勧める訳です。現世しか命がないのならば、絶対に選ばないような人生選択が、多くの宗教では是とされるのです。

>「死をも想定した罪障消滅」とは、同様に、自暴的な行為に結びつき易いの信条ではないかな?と。現役会員には過剰な理解への注意を促したいところです。

いや、自暴自棄は大聖人の仏法の修行の仕方ではありません。私もなるべく事故や事件が生じないようにかなり慎重に活動をしています(殆ど休眠状態ですが)。言葉には気をつけ、相手を激昂させないように気をつけます。態度に気をつけるべき事は「崇峻天皇御書」に拝せられる如しです。自身を守る為でもありますが、相手を無意味に怒らせて謗法、怨嫉させるような言動は、相手に無意味に罪障を積ませる事になるのですから、幾ら毒鼓の下種とは言え、罪な事だろうと思います。

然るに、極力、態度には気をつけるようにしていても法難に遭う事もあるでしょう。亦、法戦とは無関係に不慮の事故や病気に遭う事もあるでしょう。そういう時は罪障消滅だと考えるようにしてます。事故や病気の場合は、只の事故や病気である可能性もありますが。