創価学会の教え。排他性、攻撃性が世界平和と矛盾しませんか?

前回は、創価学会の方からお誘いを受け、会館にて「新年幹部会」の様子を視聴した後、地域でリーダー格の男性、及び、ご婦人の方と長談を交えた旨の内容についてお話しました。

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創価学会って何してるの?幹部会員を直撃インタビュー、長談レポート。

ということで、今回。

その時、実際に行われた会話を公開します。

尚、余分な筆や校訂を加えることによって、彼らの本意を損なわないよう、出来る限り、そのままのカタチで文章化しました。

シチュエーションは前回説明した通り。

相手の心底に、余計な「わだかまり」があってはいけないので、僕が顕正会や日蓮正宗の情報筋であることは伏せました。

理由については説明するまでもないとは思いますが、

創価学会と顕正会と日蓮正宗は、反目の関係にあり、互いに敵愾心を燃やしているため、

自分の立場を明示することが、とりもなおさず、信用の喪失に繋がってしまうからです。

若干の後ろめたさはありましたが、教義論争に話が逸れてしまわないためには、

「ノーサイド」であることが前提条件。

日蓮については独学で勉強しているとお伝えし、いくつかの問いを投げかけることで、創価学会の基本的な思想、活動理念について迫ってみました。

それでは、以下。

排他的な印象が強いけど、実際どうなの?

僕 凄く盛大で(ビデオの内容が)ビックリしました。

男性幹部 そうですねぇ(笑)。創価学会は色々なことをやってるんですね。

普通仏教っていうと お坊さんのイメージですよね。お墓参りとかお葬式とか。

しかし、本来宗教っていうのは、生活に根差したものなんですね。元々は思想や哲学など、人の生き方を説くものなんです。悩みとか課題とか、挑戦することって色々とあるじゃないですか。

どれだけ人生を切り開いていけるかに力点を置いているものなんですよ。

僕 僕が思う宗教って、基本的には団体を問わず、素晴らしいことを教えていると思っていって、例えば良く言われる「頂上を目指すのに、どの登山口から出発しても辿り着く場所は同じ」みたいな捉え方をしているんです。

ただし、何か一つの教団に所属することで、 そこから「排他性」というものが強調されてしまう傾向は、どうしても拭えないと思うんです。「自分の所属団体の教えだけが正しくて他は全て間違っている」みたいな。創価学会さんはそのへんどういったスタンスなんでしょうか?

男性幹部 特定の宗教を持っている人が、色々な宗教を同時進行でやることはしませんね。創価学会なら創価学会で一つの信念です。勉学という観点では史跡も学んだり、接点をもちますが。一番良くないのは宗教戦争ですよね。イスラム教やキリスト教というのは、やはりあれだけ広まっているわけですから、それなりの哲学や思想性があることは認めます、ただし仏教がそういったものを結ぶ包括性を有していることは確かであると認識しています。

池田名誉会長は一番大事なのは世界平和だと仰っています。人間のための宗教であると。現在創価学会は192カ国地域に広まっていて、その中には、国民の8割がカトリックと教徒いう国もあります。そういうところで「自分だけが正しい」という理論は通用しませんよね。

日蓮大聖人様が説いているのは、「人の振舞」です。その国、その地域にあって、良き国民、良き市民として大聖人の仏法を根幹として、現実の生活に投影していく。その中に本当の仏法があるということです。

ご婦人 本物の宗教は進化し続るものだと思います。人が信仰するものだから。ただし、その「人」が正しく伝えられればの話です。どの宗教も真理は一つだと言ったけれど、扱うのはあくまで「人間」ですよね。だから伝える側の人間が間違ったら絶対真理には辿り着けない。例えば、自己顕示欲に宗教使われるケースね。そして宗教の高低浅深をどこまで追及しているかが重要なポイント。創価学会が今なぜここまで大きくなったのかと言えば、膨大な日蓮大聖人様の御金言を正しく伝えるリーダー、つまり「池田名誉会長」がおられたからです。

人生限られた時間の中で、様々な宗教を渡り歩くのは無理がありますよね。だから、まずは一つ宗教を定めてその中から探求していけば良いんです。私は二世なのですが、若い頃は迷った時期もあって、そのときはヨガやスピリチュアルなどに傾倒しました。イスラム教やキリスト教なども雰囲気が好きで、色々と学んでみたりしました。しかし、自分の今の現実を変えてくれるような力のある宗教に出会えなかったんです。そこで家にあった、池田先生の書籍を読んでみたら、そこに答えがあったんですね。それから、家にあった御本尊にお題目を唱えてみたら、「何がなくなっても、これに祈っていけば絶対に変わっていける」っていう確信が満ちてきたんです。

求め続けて、そこに辿り着いたところから出発ですよ。宗教は頭で考えるのではなく、実感すべきものです。

攻撃的な日蓮思想と、世界平和は矛盾してない?

僕 ありがとうございます。しかし、世界平和を宣揚するに当たって、日蓮思想を根っこの部分に抱えているとなると、それは恐らく「障害」になってくるのではないかと思うんです。っていうのは、「攻撃性」がイメージとして強いじゃないですか。先程正しい間違いと仰いましたが、そういう序列をつけていく考え方自体が、各宗教を寛容に受容していく上で妨げになるのではないでしょうか?

つまり他宗を見下すような視点に陥りがちでは?

男性幹部 日蓮大聖人様の折伏は、確かに歴史的には攻撃性が強いと認識されている側面があります。しかし大聖人のお手紙を読む中に感じ取れるのは「慈悲」なんです。大聖人は法然を一番攻撃しました。それは法然の思想が人間を弱くする性質を持つと同時に、権力にへつらっているところです。だから決して人間を責めたのではありません。思想を責めたのです。そして、それは人間のために言ったわけです。でなければ、あれだけ慕って弟子達が集うことはなかったでしょう。攻撃性だけが真実ではないのに、そこが難解で世間ではなかなか読み取られていない部分なんです。

大聖人が、流罪の地佐渡から鎌倉に戻るときに、当然お坊さんだから髪の毛がないわけですが、「無い、後ろ髪引かれる思いだった」という、とても温かで、慈悲深い人柄を連想させるようなお手紙を残されています。これこそがまさに、「大聖人の精神」だと認識しています。人間というものを大事にする心があったからこそ、ダメなものはダメとはっきり仰ったのではないかと思うんです。

同じように、日蓮系の中でも南妙法蓮華経を唱えながら戦争を推進していったような宗派もあるわけですよ。創価学会の初代の牧口会長と、次の戸田会長は、ちゃんと抵抗して、それ故に、当時の治安維持法から不敬罪に処されて牢獄に入りました。日蓮を悪しく敬えば、間違ってしまえば結果は変わってくるという、日蓮大聖人様の本来の思想性や哲学を深く読み取って伝えていけるリーダーや組織につかなければ、いくら題目を唱えても結果がでません。つまり、日蓮大聖人様の教え、正しい信仰ということにはならない。だから排他性や攻撃性という側面だけクローズアップしても本当の教えは掴めないんです。

イタリアには創価学会員が10万人いて毎週5000人くらい入信しています。イタリアといえば、カトリックの総本山ですよ。なぜそういった地域で創価学会の教えが広まっているかというと、日蓮大聖人の仏法を根幹に、良き国民、良き市民として立派に振る舞っているからです。人権運動、自殺防止運動にも貢献しています。イタリアの創価学会の会館にはローマ法王が来たりもするんですね。カトリックの人が創価学会の会館に集まって平和に向けての署名活動を展開したりとか、そういう面を見ると、本来の大聖人の教えとは、単純に排他的ではないと感じます。

ご婦人 私が過去、メキシコの女性の研修生と接した際、「日本人は友人とどういう会話をするのですか?」と聞かれたので、 「恋愛やドラマの話かなぁ?」と答えると、それが信じられないと言っていました。メキシコでは政治と宗教の話で盛り上がるというんですね。私達はいくら一生懸命働いたとしても、前提として、政治が盤石でなければ生活は良くならないでしょ?最悪戦争にもなります。一国のリーダーは、表面は素晴らしいように宣伝しているけど、その心根には、自分の欲にまみれていたなら…。間違ってついてしまえば、いくら個人が努力したとしても全部だめになってしまう。

創価学会は、その根幹を変える戦いをしているんですね。外国の人は、基本的な人権感覚が育っていいますが、日本人は希薄です。どれも一緒みたいな。宗教や政治に関してリテラシーが低いんですね。お宮参り、お葬式…。自分が何を信じ、どのように生きていくかということに対して凄く曖昧な考え方しかありません。先程の攻撃性が強いという意見は日本人に多いと思うんです。人を見た時に、その人のどこを切り取って見れるかが、その人の境涯の高さだと思います。

創価学会の真実の部分、つまり良い部分を切り取って見れる人というのは希少です。そういう勇気がないんですね。だから見えるということ自体が境涯が高い。日蓮大聖人の深い部分を切り取れる人は境涯が高いんです。要は人間の持つ素質の中で、どの部分を育てていくかということが重要です。

この組織には仲間同士で、それを高め合うことのできる環境が整っています。高齢でも地域貢献に身を投じていたりするわけですよ。そういう方が在籍しているという事実があるからこそ、信じられるわけで、これが真実の団体である所以なんです。

僕 なるほど。要は、教えの正しさがキチンと顕在化している、説かれた内容が結果として、目に見えて組織に反映されているということですかね。

ご婦人 そうそう!顕在化!どんなに正しいことを言ってたとしても、様々な世間の悪縁に触れて食い破られてしまいますよね。創価学会は生きている宗教です。社会を、世界を良くしていこうという組織。その影響が自分を常に高めてくれるんです

次回は、「創価学会の政治に対する考え方。公明党の存在意義」についてお送りします。

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