南無妙法蓮華経と唱える日蓮系教団を渡り歩く人の心理とは。

「南無阿弥陀仏」と言えば法然、親鸞ですが、
「南無妙法蓮華経」と言えば「日蓮」です。

では、インターネットを使って日蓮界隈の事情を覗いてみましょう。

すると、元〇〇会や元〇〇宗の人がどこかの教団に鞍替えして、その立ち位置から、
「〇〇会は間違っている」
「〇〇宗の南無妙法蓮華経こそが正しい」
「〇〇宗の坊さんはけしからん。比べてうちの△△宗は立派だ」

みたいな言説がぎょーさん出てきて、情報筋でもない方がそんな光景を見れば思わず後退りしてしまうことでしょう。

あっちの南無妙法蓮華経とか、こっちの南無妙法蓮華経とか…
南無妙法蓮華経にもそんな色々あるのか…。

そのまま、そっとブラウザのタブを閉じてしまうかもしれません。

なぜ、日蓮系教団、殊に大石寺系教団の信者は脱会して尚、何れかの教団に滑り込むのでしょうか?界隈を見ると、

  • 顕正会→日蓮正宗
  • 創価学会→日蓮正宗

のパターンが最も多いわけですが、
そもそも、宗教組織に嫌気が差したから辞めたんじゃないの?
なんでまた宗教組織に所属するの?

そういった疑問を感じる方は少なくないかもしれません。

今回はそういった声にお応えすべく、その理由について私なりに考えてみた結論をお伝えしていきます。

サイバーカスケードによるもの

社会学的な話なのですが、まずはインターネットの特質から考えてみましょう。

1 まず、Aさんが自分の所属する教団で何か面白くないことがあったとします。
2 Aさんは他にも同じような目に遇わされている人はいないか?あるいは、教団の運営体質自体に何かしらの欠陥があるのではないか?
と、疑いを持ち、インターネットに情報を求めようとしますが、基本的にインターネットで教団のことを調べることは組織で禁止されており、
もし閲覧したとしても信者が批判的言説に傾いて流出しないため、抑止するロジックが既に教団によって刷り込まれているので、最初それらを読んでも共感しません。
3 しかし不満はドンドン鬱積していきます。次第に本能的に「逃げなきゃまずい」ことを覚ります。
4 一旦逃げの態勢に入ると、今度は所属の教団に対して「怒り」の感情が沸々と湧き上がってきます。
5 そこでついに、若しくは再度ネットを開き、詳しく情報を探るAさんにとって、今度はネットの情報が共感できるものばかりに変貌を遂げています。
勿論実際には過去に同じものを読んでいるのですが。本人の中では「なんで今まで気が付かなかったんだ!」となります。
6 Aさんはそういった感情を共にする人達。つまり既にネット上で活躍しているアンチ諸氏の嵩に懸かって教団を叩く側にまわります。
7 ただし「悪」「邪」を定義するためには「善」「正」の定義が必要です。アンチのほとんどは何れかの教団の価値観(そこに必ずしも普遍性はなく特定の善、正)に基づいて批判していますから、
自然とAさんもその教団に所属し、その価値体系を取り入れて批判に傾倒していきます。
8 その連鎖が膨張を繰り返した結果、いつの間にか「ためにする」論のコンテンツが溢れ、ネット上を覆うようになります。

そしてBさんもCさんも‥

そんな具合です。

サイバーカスケードの解説は以下の通り。

インターネットには同じ考えや感想を持つ者同士を結びつけることを極めて簡易にする特徴がある。つまり人々は、インターネット上の記事や掲示板等を通じて、特定のニュースや論点に関する考えや、特定の人物・作品等に関する反発や賛美などの感想を同じくする者を発見することができるようになる。加えて、インターネットは不特定多数の人々が同時的にコミュニケートすることを可能にする媒体でもあるので、きわめて短期間かつ大規模に、同様の意見・感想を持つ者同士が結びつけられることになる。その一方で、同種の人々ばかり集結する場所においては、異質な者を排除する傾向を持ちやすく、それぞれの場所は排他的な傾向を持つようになる。

そうした環境の下では、議論はしばしば元々の主義主張から極端に純化・先鋭化した方向に流れ(リスキーシフト)、偏向した方向に意見が集約される。そして、かような場所では、自分たちと反対側の立場を無視・排除する傾向が強化され、極端な意見が幅を効かせるようになりやすい。そして、小さな流れも集まれば石橋をも押し流す暴流となる道理で、ささやかな悪意や偏向の集結がえてして看過し得ぬ事態を招いてしまう。こうしてインターネットは極端化し閉鎖化してしまったグループ(エンクレーブ〈enclave、飛び地の意〉と呼ばれる)が無数に散らばり、相互に不干渉あるいは誹謗中傷を繰り返す、きわめて流動的で不安定な状態となる可能性がある。サイバーカスケードとはこうした「人々が一団となって段階的に押し流されてしまう」一連の現象に与えられた比喩的な呼称である。(weblio辞書 サイバーカスケードの概要より引用)

南無妙法蓮華経ロス!だけじゃ終わらない。組織ロス!

真田丸ロス、逃げ恥ロス、

最近「〇〇ロス」という言葉をよく耳にするようになった気がしますが、教団が自分を騙し続けていた事実が判明した結果、当人の中にどのような情動が生じるのでしょうか?

勿論ですが、長年唱えてきた「南無妙法蓮華経」の題目は心の奥にしっかりと根付いておりますので、あっさりと捨てるなどということはまず考えられません。

それなら別に組織に属さなくとも、個人信仰で良いんじゃない?
となるのが一般論かと思われますが、そこで重要な問題が一点。

所属してきた組織では他宗への流出を防ぐため、「信仰と組織は必ずセットである必要がある」ということを再三に渡って、繰り返し、繰り返し信者に刷り込んでいて、
このマインドコントロールが解けない状態で組織の欠陥に気付いてしまうと、何れかの組織でその穴埋め、補填をしなければならないのです。

創価学会なんて最近じゃ遂に組織が仏になってしまいました。

創価学会仏。勿論ギャグではありません。(そういう教義の改変があったのです)

殊に大石寺系信者にとって信仰単品の選択は有り得ないのです。

ハンバーガーのみの注文は絶対的にナンセンスで、ジュースとポテトが付いてないハンバーガーなんかハンバーガーじゃねぇよと言った具合に、必ずセットでなければいけません。

ゲインロス効果

ゲインロス効果とは何か?という話ですが、検索すると恋愛に絡めた記事がズラーリ並んで表示されます。

これは例えばドラマのワンシーンなんかで、ある女子が特定の男子に対して「なんかこの男子、いけ好かないなぁ」と思っていたら、ある日突然「大丈夫?」みたいな優しい言葉を掛けられてときめいちゃうみたいなそんな話。

元々印象が悪かったものが、突然良い印象に変わったりすると、そのギャップが大きければ大きかった程、対象への評価が高くなる、といった心理効果で、学説的な根拠があるかどうかは不明です。

ただこの仮説に基づけば、日蓮系教団をサーフィンする心理の裏付けが得られます。

どういうことかって、まず日蓮という人物像に目を向けてみて下さい。

日蓮は、他宗をその鋭い舌鋒で、烈火の如く批判しました。

その様子を端的に表した、四箇の格言は有名で、

念仏→そんなことやってると無間地獄に墜ちるぞっ!
禅→そんなことやってると天魔が入るぞっ!
真言→そんなことやってると国が亡びるぞっ!
律→そんなもん守ってる奴は国賊だ!

以上、四項目がその趣旨です。

何れの日蓮系教団も、その教祖の思想が基底にありますから、他宗を「謗法」(ほうぼう)といってとことん指弾するのが常です。

つまり、日蓮系教団に属する信者達は他の宗教、就中、同じ日蓮系の宗派に対する印象はべらぼうに悪いわけです。

効果を適用してみる

勿論ですが僕の守備範囲である、顕正会、日蓮正宗についてもこのフレームに当てはめることができます。

顕正会から見た日蓮正宗は、

・坊さんが堕落している。

・功徳がない(信仰していても何も良いことはない)

・布教に熱心ではない。

という印象が教団によって刷り込まれています。

そこで、記事の序文に示した、5番目。つまり、アンチへの共感を得た時点で印象が逆転し、批判言説を唱える教団の価値体系に対する評価が「そのギャップによって」一気に高まります。

・お坊さんに会ってみたら印象とは異なり、もの凄く立派な御方だった!←バイアス注意!

・お寺の人たちを見たら、なんか幸せそうだし、人間が深そうだし、停まってる車も高級車じゃん!持ってるスマホもハイエンド品だ!実はこっちの方に功徳があるのかも!←バイアス注意!

・ネットで動画やホームページを作ってガンガン布教してるし、こっちの方が余程熱心そうだ!←バイアス注意!

結果 → 日蓮正宗スゲー!\(^o^)/

まとめ

日蓮系教団に良くありがちな鞍替え現象について、社会、心理学的な視点から考えてみました。

関係者諸氏においては御多分に漏れず、僕も顕正会から日蓮正宗に移った人間の一人なわけで、顕正会員から日蓮正宗に移りたいという方に対しては、なるべく本人の意思を尊重した上でアドバイスさせて頂いております。

過去にあまり対応した例はありませんが、創価学会からも同様ですし、たとえ、その反対のケースでも本人の意思は大事にしたいと思います。

ただし、一言忠告しておきます。

転向先の教団を「理想化」しないことです。

また記事の初めに説明した通り、ネット上には「理想化」した言説が数多く見られます。

そのことに十分注意して、よく自分の気持ちと相談した上で行動に移すようにしましょう。

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『南無妙法蓮華経と唱える日蓮系教団を渡り歩く人の心理とは。』へのコメント

  1. 名前: 投稿日:2017/01/31(火) 22:07:36 ID:746ec1001 返信

    こんにちわ
    結局、引き続き信仰をしたいのであってそれが正当留学なのかどうかの判断はミミさんが仰ったとおりですね。
    しかし私は思いますが、宗教って何なんですかね?私自身日蓮正宗に興味を持ったのは夜回り先生と神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)がきっかけなんですよね。
    夜回り先生が関わってきた子供たちや少年A がどうすれば救われるのかなと日蓮正宗を見つつ彼らに問いかけてきたのですが、結局出た答えはミミさんがかかれている通りです。
    そしたら宗教の意義がわからなくなりますよね。

    • 名前: 投稿日:2017/02/02(木) 17:47:32 ID:ede0c5245

      正当留学ではなく、正当な理由ですね。すみません

    • 名前:ミミ 投稿日:2017/02/02(木) 21:59:46 ID:ce0bafe63

      百さんへ
      宗教って何?ですか。
      その答えは宗教学者の数と同じだけ存在すると言われてますね。
      僕はこのサイトで繰り返し述べてきたことですが、まず「宗教団体」=「宗教」という等式は否定されるべきだと考えています。
      ただ、解釈や認識を帰一させる必要もないものだと思います。人によって様々な解釈があって良いはずです。
      人によって様々な解釈が生まれる、その力学というか、そういった事象を引き起こす根本にあるもの自体が宗教なのかもしれません。